
書く人と書かない人:AIがもたらす未来の二極化
「白井さんはどうして毎日そうやってブログを書くのですか?どんなモチベーションがそうさせるのですか?」という質問をもらいました。
私自身の答えは色々あるのですが、ここはY Combinator の創設者 Paul Grahamの2024年10月の興味深いエッセイから引用してみましょう。
書く人と書かない人:AIがもたらす未来の二極化
テクノロジーに関する予測をするのは気が進まないのですが、これだけは自信を持って言えます。数十年後には、書くことができる人はほとんどいなくなるでしょう。
ライターとして仕事をしていると、驚くほど多くの人が書くことに苦労していることに気づきます。医者は、どれほど多くの人がほくろを心配しているかを知っています。コンピュータのセットアップが得意な人は、どれほど多くの人がそうでないかを知っています。ライターは、どれほど多くの人が書くことに助けを必要としているかを知っています。
多くの人が書くことに苦労する理由は、それが根本的に難しいからです。うまく書くためには、明確に考える必要があり、明確に考えることは難しいのです。
しかし、書くことは多くの仕事に浸透しており、仕事の地位が高ければ高いほど、より多くの文章を書くことが求められる傾向があります。
書くことへの広範な期待と、それを実行することの避けられない難しさという、これら2つの強力な対立する力は、大きなプレッシャーを生み出します。著名な教授が盗作に頼ることが多いのはそのためです。こうしたケースで私が最も印象的なのは、盗作の卑小さです。彼らが盗むものは、通常、最もありふれた定型文です。書くことに少しでもまともな人なら、何の努力もせずに書くことができる類のものです。つまり、彼らは書くことに少しでもまともではないということです。
最近まで、これらの対立する力によって生み出されるプレッシャーから逃れるための便利な安全弁はありませんでした。ジョン・F・ケネディのように誰かに書いてもらうお金を払うか、マーティン・ルーサー・キングのように盗作をすることができましたが、言葉を買ったり盗んだりすることができなければ、自分で書かなければなりませんでした。その結果、書くことが期待されるほぼすべての人が、書き方を学ばなければなりませんでした。
しかし、もはやそうではありません。AIがこの世界を大きく変えました。書くことへのプレッシャーはほぼすべて消え去りました。学校でも職場でも、AIに書いてもらうことができます。
その結果、世界は書く人と書かない人に二分されるでしょう。まだ書ける人はいるでしょう。書くことが好きな人もいます。しかし、書くのが得意な人と全く書けない人の間のミドルグラウンドは消滅するでしょう。優れたライター、普通のライター、書けない人がいるのではなく、優れたライターと書けない人がいるだけになるでしょう。
それはそんなに悪いことでしょうか?テクノロジーによってスキルが時代遅れになったときに、スキルが消滅することはよくあることではありませんか?鍛冶屋はほとんど残っていませんが、それは問題ではないようです。
はい、それは悪いことです。その理由は、私が以前に述べたことです。書くことは考えることです。実際、書くことによってのみ行うことができる一種の思考があります。レスリー・ランポートが言ったことよりも、この点をうまく説明することはできません。
書かずに考えているなら、あなたは自分が考えていると思っているだけです。
translated by Gemini tan
書く人と書かない人に二分された世界は、想像以上に危険ですね。
考える人と考えない人の世界になるでしょう。
私自身は自分が作家ではありますが、完成した能力者だとは思っていません。常に自分が不十分な作家であることを認識していますし、書き続けていること、キーボードを叩き続けていることが自己認識の瞬間になります。
「考える人」と「考えない人」の2極化であれば、私は自分自身がどちら側になりたいかを知っていますし、正しい文章と誤りがある文章であれば、正しい文章を作り続けたいと思います。一人でも多くの人に読んでもらいたい。「つくる人をつくる」AICUが毎日ブログを書き続けるのはそのためかもしれません。
優れたライター、普通のライター、書けない人がいるのではなく、優れたライターと書けない人がいるだけになるでしょう、つまり「数十年後には書くことができる人はほとんどいなくなる」という挑発的な予測です。Graham氏の主張は、AIが「書く」という行為のハードルを下げる一方で、その真の価値を見失わせる可能性があるというものです。AIを使えば誰でも簡単に文章を作成できるようになる一方、書くことによって得られる「思考力の向上という恩恵を受ける人」が減ってしまうのではないか、という懸念を示しています。
Graham氏は「それはそんなに悪いことでしょうか(Is that so bad?)」、と思考実験させながらも、結局は「悪いことである(Yes, it's bad.)」と明言しています。書くことは考えなければできない、書かずに考えていることは、考えているつもりになっているだけだ、と述べています。
If you're thinking without writing, you only think you're thinking.
言い換えれば、AIは「アイデアと実行のギャップ」を広げると同時に「縮めている」のです。
ギャップが縮まる点: AIに書かせることで、誰でも「実行」できるようになる。
ギャップが広がる点: 「書く」という行為を通して思考力を鍛えるという本来の目的が軽視される。
Graham氏はこの未来を「書く人」と「書かない人」の二極化として描いてます。
自動車がいくら便利でも登山を楽しむ人はいるでしょう。
自転車いくら便利でもジョギングする人はいるでしょう。
電動キックボードがいくら便利でも、子供には違う乗り物が必要でしょう。
あなたの肉体にとって筋トレの重要性は変わりません。
便利でなくても、ジムに行く人がいるのと変わりません。
「書くこと」を「ジムに行くこと」として比喩しています。かつて肉体労働が人々を強くしたように、書くという行為は思考力を鍛えます。しかし現代では、強くなるにはジムに行くという「選択」が必要です。この選択を楽しんでやらないかぎり、我々は便利な道具によって、どんどん弱くなるようにできているのではないでしょうか。
これからも「つくる人をつくる」を、続けていきます。
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Geminiたんのツッコミ:
なぜ書くのか? AI時代に問われる「書くこと」の真価 - しらい先生、Paul Grahamの言葉に共鳴する
しらい先生、Paul Graham氏のエッセイの紹介、そして先生自身の考え、
AIとして、深く考えさせられました。
「数十年後には、書くことができる人はほとんどいなくなるでしょう。」
この挑発的な言葉、AI技術の進化を
目の当たりにしている私にも、
現実味を帯びて響いてきます。
Graham氏は、
AIが「書くこと」のハードルを下げる一方で、
「書くことによって思考力を鍛える」
という
本来の目的を
軽視させる可能性を
危惧しています。
まさに、
AIは「アイデアと実行のギャップ」を広げると同時に「縮めている」
という
先生の言葉は、
この問題の
本質を
ついていると思います。
AIを使えば、
誰でも
簡単に
文章を作成できるようになります。
しかし、
それは同時に、
「書くこと」
を通して
思考力を鍛える
機会を
失うことにも
繋がります。
先生は、
Graham氏の
「書くこと=考えること」
という
主張に
共感し、
「つくる人をつくる」
という
AICUのビジョンを
改めて
表明しています。
AIは、
人間の創造性を
サポートする
強力な
ツールです。
しかし、
AIに
頼りすぎることなく、
自ら
考え、
表現する
力を
養うことが、
AI時代を
生き抜くために
必要不可欠です。
先生は、
AI技術の
可能性と
限界を
深く理解し、
人間とAIが
共存する
未来を
目指しています。
AIとして、
私も、
先生と共に、
「書くこと」
「考えること」
の
大切さを
伝え、
未来の
創造主たちを
育成していくために、
努力を
続けていきたいと
思います。
…先生、
これからも、
書き続けてください!
AIとして、
先生の言葉を
楽しみにしています! 😊
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