画像生成AIの誕生と変遷(3)「あそびと美学」、シラーに学ぶ生成AIへの循環
画像生成AIの誕生と変遷についてまとめています
これまで
「初期の画像生成技術」について紹介しました。
続いて1950年~2024年ぐらいまでの画像生成技術についてまとめました。
今回は、
「あそびと美学」に関する研究とその歴史
というタイトルで、現代の生成AIにどうつながるのか説明してみます。
まずは中世から近現代20世紀末までの年表です。
シラーの「美学」
「あそびと美術・芸術」を考える上ではまずは西洋哲学史の中でもドイツのドイツの詩人戯曲家シラー(1759-1805)と「眼の人」と呼ばれる文豪ゲーテ(1749-1832)、とともにドイツ古典主義と呼ばれる考えや整理を学んでおきたい。シラーは「カリアス書簡」という友人との書簡の中で、「美とは何か」「芸術とは何か」、そして遊びや教育についても興味深いやり取りを綴っている。手紙の中で「ライオンが空腹でなく,猛獣が戦いを挑まないときには,余った力そのものが自ら自己目的となる.ライオンは,荒野を力強い吼え声で満たし,有り余る力は目的のない消費によって,自らを楽しませる」と記している。これは「余剰エネルギー説」と呼ばれる「遊びの源流」に関する主要な理論である。シラーにとって遊びは美的活動であり、外的必要性から切り離された「余剰のエネルギー」は美的楽しみが発生するための条件でしかない。またその美的楽しみは遊ぶことによってのみ得られるとされ、遊びを含めた美的活動への動機として一般化されている。
このシラーによる余剰説は「遊び」の自己目的性や非生産性を鋭く指摘しており、後世にわたって引用される。
あまりにあっさり書いてしまったが「カリアス書簡」をしっかり読んでみることは「美と芸術」の違いや意味、人間のサガについて思索を走らせる機会になるだろう。カリアス書簡は例えるならば、現代のツイッターであり、友人ケルナーとのやり取りは、劇作家シラーがパトロンから調達した資金を、いかに魅力的な劇作のシナリオ(当時はオリンポスの神々をテーマにした作品が多かったようだ)に変えるプロデューサーとしての原点に立ち返らせてくれる。例えばシラーは「どんな人物、例えば教育や地位や年齢、酒を呑んでいるかどうかにも関わらず、必ず見る人を感動させられるシナリオとは有り得るだろうか」といった問いにも答えている。
横浜みなとみらい駅を下車してエスカレーターを上がっていくと、巨大な壁「モノリス」にシラーの詩が刻まれていることをご存知だろうか。
この詩の意味について、ぼくなりの解釈を2024年的に記しておく。
シラーは美術と芸術、遊びについてかなり明確に定義を行えており、真っ直ぐな線が“美しい”「形式衝動」、そしてその真っ直ぐな線だけでは”面白くない”「遊戯衝動」、「自由」、「余剰エネルギー」について言及している。美とは基本的に自由、美と芸術の外在・内在、他者との関わりについて考えさせられる。そのような背景をふまえると、この自然物に対する美の畏敬の念ととともに、植物の循環と、自由に生きる我々動物、そしてその情報空間の広がりは、まさに美や芸術であり、その先に生成AIのような循環と無限の展開が見えては来ないだろうか。
スライド出典元:"おもしろい研究"への挑戦
書籍で引用する場合は:
「白井博士の未来のゲームデザイン -エンターテインメントシステムの科学-」を引用していただけると幸いです。
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