文化庁メディア芸術祭の終了宣言についての意見まとめ
文化庁メディア芸術祭の終了宣言についての意見まとめ
(このページの短縮はこちら https://bit.ly/ma221023 )
メディア芸術祭2022終了宣言に関する意見収集を実施したまとめです
https://ivtv.page.link/ma921 (入力フォームは継続しています)
メディア芸術祭2022終了宣言に関する意見収集
こちらのURL(https://ivtv.page.link/ma921)にてひろくご意見を集めてきましたが、一定の期間をもって集計を実施しました。
まず調査者による短いまとめですが、
・映画、マンガ、アニメ、ゲームとは別に「メディアアート」という分野がきちんと存在している
・社会への影響、特に専業アーティストだけでなく、新たな産業や製品、サービスなどを作る人々が存在している
・コンピューターアート、テクノロジーアートや未開の分野に(文化庁のいうデータベース事業などにも関連して)メディア芸術祭は貢献している
・単に作品褒賞だけでなく、作家同士の育成や交流にも効果がある
などが読み取れており、終了経緯を説明しない事には疑問を投げてよいと思いました。
今後、文化庁および文科省に投げかけていきたいと思います。
ディスカッションについてはこちらのFacebookグループをご活用ください
文化庁メディア芸術祭とこれからを考える会
https://www.facebook.com/groups/1777130165965781
以下詳細になります。
関連エントリ
はじめに:調査者について
調査者は「作家としての白井暁彦」。1973年生まれ。1995年ごろから工学と芸術の融合分野の国際的研究活動を草原真知子らと行ってきた。現在はメタバース関係の私企業における研究所ディレクター、デジタルコンテンツマネジメント修士を育成する大学院客員教授、国際学生VRコンテストの国際会員、欧州のVRフェスティバルの評議員、芸術科学に関連する学会の副会長などを担当している。日本科学未来館での科学コミュニケーター育成事業や文化庁への寄稿「これまでの5年、これからの5年――「VR元年」の終焉から世界同時参加のXRライブエンタメへ - メディア芸術カレントコンテンツ」などの経験もあり、メディア芸術という分野を直接・間接で支えてきたつもりのプレイヤーである。
この活動は現在の所属組織や学会等とは直接関係なく、個人の信念に基づく興味と関心として実施している。日本が25年間、国を挙げて世界に向けて育ててきたメディア芸術が、今後どのような変遷を辿るのか、事後になって調査する方法がないためである。
意見収集の方法
アンケートはGoogle Formを用いて2022/9/21-30の10日間実施した。メディア芸術祭受賞作品展の開催期間に合わせている。こちらのショートリンク ( https://ivtv.page.link/ma921 ) を使い、主にTwitter・Facebookを使用して個人的に拡散した。2022年10月22日時点でクリック回数は1272件、関心の高さを感じる。回答は上記の10日間を中心に全体で38件の有効回答を得た(本稿終了後に回答フォームは再開している)。
回答にはEmail認証付きGoogle Formを使用しているため重複投稿は許されていない。不明瞭な回答や不明瞭な回答については、実施者がメールにより確認を取って修正したが、できるだけ回答者の多様な意見を事実や経験に基づき偏見や誤解なく収集する事につとめた。
(各設問に対する個人的感想や見解はについては各設問ごとにまとめるが)
意見収集に参加していただいた方々の多くは(ビジターではなく)過去の受賞者などのアーティストであり「特にメディア芸術祭によってご自身の人生がどのように変わったか?」という回顧を行うにふさわしい貴重な意見収集となった。
まずは本調査にご参加いただいた皆様に御礼申し上げたい。
意見収集で頂いたご意見とその分析
『メディア芸術祭の終了に対して「どちらでもよい」については、可能であれば賛成/反対のどちらかをお選びいただき、一貫した意見としてご記入をご準備お願いいたします』という設問を設定した。
Q1-1:メディア芸術祭の終了に対して
Q: [メディア芸術祭の終了に対して]「どちらでもよい」については、可能であれば賛成/反対のどちらかをお選びいただき、一貫した意見としてご記入をご準備お願いいたします。
回答群 ・賛成 ・反対 ・どちらでもよい
(Q1-2)「反対」の理由(87%)
UserLocal AIテキストマイニングによりワードクラウドにしたところ「芸術祭」以外では「インタラクティブアート」「受賞作品」「25年」が大きい事がわかる。色の違いは品詞を表している。「築き上げる」、「移り変わる」、「忘れ去る」、「代えがたい」、「勿体ない」、「恥ずかしい」などがスコア順では存在感が大きい。
品詞の「出現頻度順」では、名詞は「メディア」「芸術」「芸術祭」「作品」「アート」「賞・価値・活動・機会・日本・公募」が出現し、形容詞では「広い・大きい・勿体ない」、動詞では「思う・しまう・できる・続ける」という思いを語る傾向が読み取れる。
(調査者による補足)具体的な理由が示されていないまま終了を宣言することにより、ロジカルな理解ができておらず混乱しているという点が読み取れます。もし仮にこれが具体的な終了の理由が示されていれば例えば「予算による終了」「審査員」「権威付け」「悪影響」といったキーワードが上がってくるため。
上記のテキスト分析に使った回答者の理由(原文そのまま)。
「メディア芸術」は官製芸術であった、ということを確定づけるような印象を受ける。中等教育の美術の教科書にも載り、世界中のアーティストが日本を夢見て活動しているにもかかわらず、アートコミュニケーション的にも世界中に恥ずかしい思いをする歴史的無形文化財の破壊行為であると考えます。多くの賢い人々が「中止に反対か?」と聞かれたら「(中止ではなく)内容による」と答えると思います。しかしこの先のビジョンも、継承案も示さずに、いきなり公募を終了させるやりかたは、メディア芸術祭のブランドだけではなく、これまでの受賞者や支援者、教育者、そして文化庁や国への信頼すら破壊します。
25年の中で、着実に内容も認知も高まっていた。そのような中、説明も展望も不十分のまま終了となった。(四方幸子/キュレーター/批評家|美術評論家連盟会長)
文化・芸術の存続 日本における芸術的土壌を破壊する意思決定だと感じたため
歳月とともに築き上げてきたプラットフォームとしての価値は、ブランド力や広報力ともにメディア芸術祭の年間予算を大幅に超え、一企業の年間広報に引けを取らない。これを簡単に手放すのは国益を損ねる愚策。現在形に形を変えて残すべき。
内容を一新するにしても、「メディア芸術祭」として進めて欲しかった。今までの過去の受賞作品等が「過去の遺物」になってしまうのは勿体無い。どんなに盛り上がった芸術祭でも、終わってしまうと風化して忘れ去られるまで数年だと思います。
歳月とともに築き上げてきたプラットフォームとしての価値は、ブランド力や広報力ともにメディア芸術祭の年間予算を大幅に超え、一企業の年間広報に引けを取らない。これを簡単に手放すのは国益を損ねる愚策。現在形に形を変えて残すべき。
内容を一新するにしても、「メディア芸術祭」として進めて欲しかった。今までの過去の受賞作品等が「過去の遺物」になってしまうのは勿体無い。どんなに盛り上がった芸術祭でも、終わってしまうと風化して忘れ去られるまで数年だと思います。
終了する理由がない。メディア芸術祭を終わらせたら大規模な表現の場がなくなってしまう。
大学と大学院でHuman Computer Interaction について納め、現在AI系の仕事に従事しています。ITは論理的効率的なものではなく、人の感性の観点から人の人生を豊かにしうるものであると信念を持ち活動してきてきました。ITでの創作活動が急速に花開いてる現代である一方でどうしても芸術としての地位はあまり高くならないアートシーンの構造において、創意工夫を凝らしたデジタル作品を「芸術」として価値付けることのできるこの芸術祭を、今この瞬間に幕を閉じることは、未来のデジタルアートにおける機会損失であり、アート界がデジタル作品への投資を継続しないと言うメッセージともとらえられてしまい、非常に残念です。この祭は、目先の2年、3年の価値ではなく、これからの10年、20年のアートシーンのためにあるとおもいます。(坪井一菜・rinna株式会社 Chief Rinna Officer)
単なる終了には反対だが、実行形態や戦略の検討は必要。(青木竜太・アーティスト)
25年で積みあがったものがちゃんとあると思うのでもったいない。続けた方が面白い。(鈴木歩己・俳優)
賞が作家の活動のモチベーションとなること。今までの受賞者が国内外で活躍するきっかけとなること。日本の文化度の高さを国際社会に知らしめる役割があったこと。またそれにより国外の作家が日本での活動を意識すること。
メディア芸術というジャンルは、文化庁が推進した独自のジャンルという認識がある。公募の影響もあり、いくつかの大学にはメディア芸術の学科が新設されていると思うが、公募がなくなるとその受け皿がなくなり、教育上の指針がなくなるのを懸念している。入賞作品は、時代背景を反映しながら面白い作品が選ばれていたように思う。また、通常の公募展では枠におさまらないような作品がいくつか選ばれ、学歴や権威によらない、インディペンデントな活動をすくいあげる唯一の公募にもなっていたと思う。日本の芸術においても多様性を担保し、世界に発信できるすぐれたプラットフォームだったとおもうので、突然の打ち切りには反対する。
メディア芸術祭はメディアアートに限らずエンタテインメント分野まで広範にカバーしており、一般的な芸術賞では評価の対象とならない作品も含まれます。特にエンタテインメント部門に含まれるような雑多な作品群に対して公的に賞が与えられたり、奨励されたりという機会は多くありません。そういった、枠から外れた分野のクリエイターが評価される場としてぜひ存続をお願いしたいです。また長年の活動で培った知名度やアーカイブを捨て去ってまで、新たなイベント/活動にシフトしてその代替とするという方針は賛成できません。(石川大樹/ヘボコン主催者)
確かに惰性で続ければよいというものではないし、余計な権威性も出てきているかもしれないし、コンペ(特に国が関与するコンペ)には大きな困難も矛盾もあります。しかし多くの作家たちに与えてきた機会の希少性、国際的な訴求力、毎年選ばれるアクチュアルで興味深い作品群を広く鑑賞体験できる安定感など、この四半世紀に果たしてきたプレゼンスは非常に大きいと思います。メディア芸術も黎明期から大きく変容している点もあると思いますが、それでも急速な勢いで展開する技術と社会・個人との関係性、多様な知のありかたとの交わり、私たちの生の条件への批判的検討、知と情動を共に刺激する特性、そして様々な人々を独自の観点で繋いでいくインキュベータとして、今なお実践的な実験の場であり続けていると思います。メディア芸術祭、特にそのコンペはメディア芸術のすべてではないにしろ、少なくもそこに多くの人々の関心を向けさせ、質の高い創作行為を促進する中核的なプラットフォームであったことは間違いないと思います。毀誉褒貶あるとはいえ、いま中止してしまうことで失うものは非常に大きい。明確な失敗や逸脱があってそのペナルティとして閉幕させられるならまだ分かりますが、これだけの歴史を新たに作り直すことは非常に困難なことです。発展的解消として次によりよいものに繋がるのなら、という期待は今のところ見えていません。少なくとも唐突に中止と決める(発表する)前に、広く開かれた議論があるべきだったと思いまし、これからも議論されていくべきだと思います。(岩崎秀雄/アーティスト・研究者(metaPhorest/早大))
知識ないとわからない高尚な芸術よりも、アートって何?なライト層にもわかりやすい身近なテーマに迫った国が唯一認める賞だから。アートって?と思う人間でも漫画やアニメもアートなんだと思わせる強みを消す意義が不明。マンガ立ち読みできるあの7階の空間が好き
特に最近のメディア芸術賞、具体的にはエンターテイメント部門などでは、既に高い評価を受けたものに受賞がなされる傾向があり、単純に売れた作品にお墨付きを与えるだけの賞と化してはいないかという思いがあった、また個人的にかかわりのない部類だったということもあり、強い反対意識というものはない。一方でポップカルチャーとハイカルチャーを一挙にまとめた場の性質は現代においても先進的であり、そういった場を簡単に捨ててしまうのはあまりにもったいないと思うし、また昨今の行政の動きから見て、メディア芸術祭の終了を皮切りに、どんどんと日本の文化的な物が公的な場から切り捨てられてしまうのではないかという危機感がぬぐい切れない。
個人でも発信できる時代に、ある意味プロ意識や専門プロとして世の中に創作物を提供し続ける者が、公的機関の認めるイベントでの評価は励みや努力の到達点として機能し続けるべきである
今まで目標としてきたものが突然消えてしまったため。何を目指せばいいのかがわからなくなってしまった。また、受賞作品を見てさまざまな作家の方を知る機会、時代を反映した作品から学ぶ機会を失ってしまったため。
若手も大家と同列に評価され、国際的で、対象範囲も非常に広い。このような公募展は他にない。クリエーターにとっても見に来る人にとっても他に代えがたい。
25年間で作り上げたさまざまなもの、資産、コミュニティが、中止もしくは休止によって失われる危険があるため。税金を使うのが問題ならば、終了ではなく民営化すべき案件。(長谷川晶一/東京工業大学)
国内外からの応募を集められていた「応募料不要 かつ所属が私人でも企業でもチャレンジができる」 、というアワード自体の継続してきた価値とアワードとアーカイブとその資産を活用した巡回展には、メディアアーティストの発掘と旧来のアートで括り得ないアートの価値の啓蒙と海外からの注目をメディアアートの集積地として集めていた価値があると考える。(なかのかな/neurowear)
今の日本では貴重で唯一と言っていいメディア芸術に対するパブリックな評価機会が無くなる損失が大きすぎる
世の中にキュレーションの機能をもつものが他になさすぎるので。
若手アーティストにとっての目標の場が無くなってしまうのは勿体無い
理由をより詳細に知りたいです。仮に財政難ならやむなしとは思いますが、個人的にはインスタレーション、インタラクティブアートと称される分野は残してほしいです。漫画やゲームはある程度他のアワードがあるため、メディア芸術祭終了の理由として開示されている一定の役割の終了という点に合理性もあると思えます。しかしアート分野に位置づけられる、インタラクティブアートに関しては、まだまだ広く知ってもらう場・お互いがつながる場が不足していると感じています。そのため、仮に規模を縮小してでも、特にアート作品の賞の発表、できれば展示の場は残してほしいです。25年が考え直す節目だという視点も理解できますし、メディア芸術祭に対する展示形態の課題も感じていましたので、より時代に合った形にシフトして新たな形で再スタートしていただければと思います。展示形態の課題とは、例えば「体験してなんぼ」である体験型のインタラクティブアートがビデオ展示にとどまってしまっていた点などです。メディア=情報伝達の手段・形態はコンピュータ技術やコミュニケーション技術の向上に伴い年々移り変わっており、メディア芸術の表現形態も年々移り変わっています。よって新しいメディアを用いた芸術(特にインタラクティブアート)は発展途上であり、『我が国のメディア芸術作品の国際的評価の維持・向上』という、文化庁のメィデア芸術振興事業の目的・役割に照らし合わせて考えると、国際的にアピールできるレベルまで国として盛り上げていくことは、25年といわず不断の努力が求められるように感じました。(岡野裕/会社員)
終了を決めた経緯・理由の説明と、今後の方針への開かれた議論も必要だと思います。
四半世紀を経て充分な認知を得たアウォードとして、今後も業界の裾野拡大のために機能すべきと考えるから
国力が明らかに衰退する中で日本が最後の優位性を持つジャンルである漫画アニメゲームなど大衆アートに対する国家的な支援プロへジェクトを消すのは自殺行為
毎年4部門から受賞作を決定するコンペティションは、時代背景や当時の価値観を表象し、現代日本のクリエイティブの特性を見定める意味でも重要な役割を持っていたと思う。受賞作品展の取りやめや、4部門の再編成(特に広告色が強く形骸化しやすかったエンタメ武門など)には賛成だが、毎年ごとに(作家個人ではなく)作品を表彰する部門は必要である。
国内外の作品を実際に体感できる素晴らしい機会を奪わないで欲しい。メディア芸術祭をきっかけに知ることができた作品がたくさんある。とくに海外の短編アニメーションは楽しみにしていたし、今後読む漫画もメディア芸術祭で選ぶのが楽しみだった。普段は意識しないクリエイター達の体温を感じられるイベントだった。
(Q1-2)「賛成」の理由
なんだかんだ言っても「国展」なんで。いまどきアートで国展なんてやってる国はアート先進国には無いですよ。(加藤晃生・フリーランスのコンサルタント(アート分野含む)・社会学者)
(調査者による考察)このような意見はたしかにあり得ると考える。無視されるべきではないだろう。しかし、このような方向性を積極的に支持する意見は本調査では上がってきていおらず、ディベートなりアウフヘーベンは成立していない。調査者による思考実験として、このような意見を尊重したとしてロジカルに考えてみた。例えば「アート先進国とは何なのか」、「メディア芸術祭は国展なのか」、仮に「アート先進国ではない国とは何なのか」という視点で考えることができる。
まずこの問題は担当者や一部の学者によって判定できる内容ではなく、衆目の文化の定義の根幹にあることがわかる。ごく一部の担当者によってこの問題を定義したり変更したりすることができるのであれば、「国展を開催しない」という強権的な判断は「国展を開催する」という判断と同様の意味を持ち「先進国には無い」という定義に到達する。
例えば「中国でメディア芸術祭」「アメリカでメディア芸術祭」「フランスでメディア芸術祭」が開催されたとして、その分野感や多様性はその国の「メディア芸術」という文化の多様性や許容を写し取る性格のものであろう。仮に文化庁の「メディア芸術祭中止判断」に『どちらでもよい』という意見が強く表れるのであれば、それも文化であるが本調査の選択肢で『どちらでもよい』を主張した回答はゼロであった(「内容による」は多く寄せられている)。つまり今後の文化庁のトランスフォーメーション政策に全てがかかっているともいえる。
(Q1-2)「その他」の理由
・昨今のメディア芸術賞の基準に関しては疑問に思う場面もあり、そのまま続ける意味も薄かったとは思うものの、メディア芸術祭的な発想の一切を捨てる行為には危機感がある
(調査者による考察)この意見に関しても同意しえる要素がある。「惰性で続ける」もしくは「受容者が飽きる」という現象は存在するが、文化とは人々ともに連続的に変化していく性質を持つため、十分な柔軟性やそれを考慮した設計が必要だろう。例えば2011年にメディア芸術祭事務局がCGARTS協会からNHKインターナショナルに移されたときや、メディア芸術祭のサイトドメインが現在の「j-mediaarts.jp」から 一時期「megei.jp」に移動し(詳細。現在、後者のドメインは第三者が使用している)たときなどにも、危機は感じられた。そのような危機を主体的に感じていたからこそ、調査者は看過できない状況であると考えている。メディア芸術祭が2022年を境に突然終了するのであれば「そのまま続ける意味」も考察しようがないのである。そしてこれまでの受賞者や受賞式、その作品のファンやその作品によって人生に大きな影響を及ぼした方々、さらにメディア芸術を専門に学ぶこどもたち、学生たち、教える教員や美術の教科書での記載などにも大鉈を下し、混乱をきたすことが想像できる。
Q2: 今後のメディア芸術祭について(ひとつ選択)
Q: メディア芸術祭の終了が覆らないとして、何が求められているのか?現在の感覚に一番近いものをお伝えください。「メディア芸術祭」という歴史やブランドが消滅する、という意識で回答いただけると幸いです。
回答群
・残念だ、継続してほしい。
・「メディア芸術祭」に変わる新しいイベントに期待する
・内容次第(賛成や反対も内容による)
・興味がない、どうでもいい
【記述意見より】
終了する場合、メディアアートの活性化そしてアーカイブの保管と公開を含め、これまでの成果を生かしつつ、長期的な展望を持って今後の方針を検討いただきたい。その際、密室でなく内部の議論をオープンにし(ライブ中継など)、またパブリックオピニオンを真摯かつ柔軟に受け止めていただきたい。(四方 幸子・キュレーター/批評家|美術評論家連盟会長)
メディア芸術祭に変わる新しいイベントにはワクワクしています。ただ、メディア芸術祭の過去のアーカイブにもきちんと力を入れて欲しいです(藤岡 定/anno lab 代表)
AIR運営助成とかオランダの王立レジデンシー(超難関)やフランスの国立レジデンシー(超難関)みたいなのを作りましょう(加藤晃生/フリーランスのコンサルタント(アート分野含む)・社会学者)
(調査者による補足)
「残念だ、継続してほしい」という意見が55%であり、次に多いのは「新しいイベントに期待する」が26%、次いで「内容次第」となっている。個別意見には「終了する」という判断に対して前向きにとらえようという姿勢が読み取れているが「どのように」という方向性については明確な認知が読み取れない。受動的な姿勢になっているともいえる。
「AIR」とは Artist in Residence のことを指していると理解する。実際のところAIRはこの25年においても多様に実施されており、文化庁そのものによる支援や情報サイト(https://air-j.info/ )、ワークショップの開催なども行われている。AIR自体の実施原資や社会認知、開発にかかる投資、運営に関する課題や成果はより広く知られていくべきであると考える。「若手育成」なり「海外招聘」は魅力的ではあるが、(民間なり個人なりの)AIRの成果としてのメディア芸術祭といった舞台があったはずであり、メディア芸術祭そのものを終了させる理由にはならないのではないか。
同様にアーカイブやデータベース事業についても令和5年の文化庁概算要求資料において語られているが、こちらも図書館情報学的な視点での書誌情報としてのマンガ・アニメ作品の収録は理解するが、ゲームはソーシャルゲームサービスの収録が全くなく、完全に断絶している。さらに特に過去のアーケードゲームはメディア芸術とのオーバーラップが多く、メディア芸術祭受賞作では「Ingress」(文化庁メディア芸術祭 第18回)、さらに「PokemonGo」(文化庁メディア芸術祭 第20回)、玩具では「ポケモーション」(文化庁メディア芸術祭 第7回)といった日本IPを活用した先進的かつ社会現象を起こすようなゲームサービスや玩具を含むガジェットアートではあるが、単体でメディア芸術としては収蔵する経路はなく、メディア芸術祭での図録としての収録のみがデータベースに記載されている。逆説的には「メディア芸術祭がなければ、これらの作品は収録すらされていない」ということになる。アーカイブやデータベース事業は、国の公共投資として堅い印象はあるが、一方ではポストリサーチでの分や定義には限界がある。つまり、メディア芸術祭のような自薦と分野の専門家による公募による優秀作、注目作、その時代のエポックを構築するような作品は、メディア芸術祭公募展という一定のクオリファイをもったシステムによって(有象無象の作品をすべて収録するような行為に対して)十分な分や定義のインスタンスを得ることができ、投資効果はあると考える。
Q3: 回答者について(複数選択可能)
Q: 統計的な目的で使用します。複数選択可能です。
(調査者による補足)選択肢には職域および過去のメディア芸術祭との関係を設定した。特定のメディア芸術分野に依存していないことが読み取れる。アーティスト>ビジター>協力者・関係者>過去の貢献者の順にご意見が多いことが読み取れる。
Q4:メディア芸術祭これまでが自分の人生に及ぼした影響
Q: フリーテキストです。感謝や今後への期待や 文化庁への疑問、 提言も歓迎です。公開させていただく可能性がございます。あえてご所属を示したい場合はこちらの文末に(ご所属・氏名)の形でご記載ください。
(調査者による補足)自由記述において、回答者の「人生に及ぼした影響」をタグクラウドで可視化した。
スコア順(全体音文章の中での特徴)では「芸術祭」に続いて、メディア芸術祭を特徴づけるワードが上がってきている。逆に言われているような「権威付け」のような要素はみられず、コミュニケーションや、審査員選出の作品との出会いに対する感謝の気持ちが読み取れる。
単語出現頻度では「作品>メディア>芸術祭>機会」という順で名詞が現れ、動詞では「できる>いただく>知る>受ける>続ける>広がる>考える」というポジティブなワードが並んでいる。また「憧れる」など回答者の人生にポジティブな影響を与えてきたことがよみとれる。
メディア芸術祭これまでが自分の人生に及ぼした影響(全文)
第1回のメディア芸術祭で惜しくも受賞を逃しました。それから可能な限り参加しています。
作品にインスパイアされたり、影響をうけたりした。技術に携わる者として着想や着眼点の参考にしたり等有益なことが山程ある。(山本将之・会社員)
一般的にメジャーになった出版社系マンガ、大手アニメ作品、大手ゲーム作品は除き、インデペンデント系のニューメディア作品が、新しい文化の下地となることは明白。メディア芸術祭はその部分を低予算で発展させることに成功し、文化庁政策の中でも成功してきた稀有な事業。これに変わる政策で文化経済に資するまでの空白期間で失われる機会損失は計り知れない。
学生の頃からこれまで18年、作品制作のモチベーションになっていました。商業的な制作に追われながらもアート作品の制作を続けてこれたのは、毎年秋に訪れるメディア芸術祭への応募期限があったからです。憧れの大賞を頂いたのが最後の芸術祭になってしまったのは寂しいですが、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。世界から日本がメディア芸術の大国であると注目されてきたのは、日本では民間だけではなく国がメディア芸術の公募展を主宰してきた、という事実があったからだと思います。海外で出会ったアーティストの友人達が熱心に話してくる日本の漫画やアニメの話題は、メディア芸術祭の受賞作品が中心でした。これからも、世界中のメディア芸術を目指す人達が日本に憧れるような未来が訪れると良いな、と願っています。(anno lab代表 藤岡 定)
わたしは先端技術を使って新たな表現をつくったり、デバイスを開発したりといったことを行う「クリエイティブ・テクノロジスト」という仕事に就きました。大学での専攻がアート系ではない中、このような人生を歩むことが出来たのは、10代~大学生の頃に何度もメディア芸術祭を通じて多くの刺激やアイデアを得てきたのが大きな要因だと考えています。これからも様々な分野の若者たちにとって、質の高いメディア芸術に触れられる機会を残していただけないものでしょうか。(ryo-a/クリエイティブ・テクノロジスト)
私の知らなかった現代的メディアコンテンツを知る機会になった。高校時代の情報を制限されていた空間の中で、公的なメディア芸術の祭典として広く紹介できるいわばお墨付きがあったことで制限をかけてきた人々もこれについては閲覧を許可してくれた。
最近のメ芸は、流行のものを取り上げる傾向にあり、「あれ?ここで見る必要があるのか?」というものが多かった。大事なのはなかなか人の目に触れないものを表に出すということであり、その役割を果たしていたかというと、甚だ疑問である。なので、審査員等は大いに反省すべきだと思う。一方で、上記の要件を果たせるなら、やる意義はあり、すべて一新し、新体制でのメ芸であればぜひ続けて欲しいと思う。
これがきっかけで読んだり見るようになった漫画やアニメが結構ある。2013年の『Sound of Honda』はこんな再現の仕方があるんだと驚いたし、セナが好きだったのでじんと来た。もう一つ印象に残っているのが2019年の『watage』。他の展示を見た後に何度も戻って見ていた。
私自身が作家生活9年のマンガ家です。15年前に文化庁メディア芸術祭を知り、受賞を夢見て作品制作を続けて応募し続けてきました。去年も応募しています。目標としていた賞が突然終わってしまったことは残念です。(織田博子・マンガ家)
2021年には初めて審査委員会推薦に選ばれたが、直接の影響はわからないが、このことによって海外を含めてレジデンスや助成金に通りやすくなったと思う。公募がなくなることで、アーティストの活動の幅が狭くなることを懸念する。
私はメ芸の応募者の立場ですが、職種としては芸術家ではなくイベントオーガナイザーです。主催するイベント「技術力の低い人限定ロボコン(通称:ヘボコン)」がエンタテインメント部門の審査委員会推薦作品に選ばれたことにより、活動の幅が大きく広がりました。具体的にはメ芸の発表により世界に認知され、世界中でSTEM教育に取り入れられ、世界大会も実施できました。また国内では「メ芸で公的な評価をうけた」ことがある種のお墨付きとして作用し、小学校の授業等にもSTEM教育の一環として取り入れられています。単なるエンタテインメントイベントではなく、教育活動としての評価を受け、活動が広がるきっかけになりました。私の場合はイベントでしたが、エンタテインメント部門はWEBサービスであったり個人の電子工作作品であったり、さまざまな分野の作品が登場しています。それらは必ずしもメ芸以外に応募できる賞であったり、公的な評価を得られる機会があるわけではありません。作品が優れているかどうか以前にそういった土俵がないと感じます。そういった中でメディア芸術祭は唯一無二の芸術祭であり、我々の、あるいは次世代を担う若いクリエイターの希望でもありました。ぜひ存続してほしいと思っています。(ヘボコン主催者・石川大樹)
私は美術系の教育歴を持たず、アート業界的には完全にアウトローだった。そんな駆け出しのころ、メディア芸術祭の受賞作品展を訪れて大きな刺激を得たり、関係者と交流を深められたことはとても貴重な契機だった(当時は自分がこの刺激的な芸術祭に関わることになるとは想定していなかったが、それでも観客あるいは学ぶ身として何かを吸収するために身近で恰好の機会だった)。立場や年齢や経歴に関係なく応募でき、先鋭的な試みの発表機会を伺えるコンペであることも魅力的だった。コンペは絶対的なものではなく、その評価に一喜一憂することは危険でもある。が、芸術系にはさして関心のない職場で肩身の狭い思いをしつつ細々活動してきた中で、幸運にも受賞させていただいたことは、やはり大変励みになったし、その後活動をしやすくなった面がある。2022年度には、思いがけず審査も担当することになった。非常に多くの国内外からの意欲作からごく少数を選ばなければいけないプロセスは、こちらの方がずっと試されていうようでヒリヒリする作業だったが、非常に学びの多い貴重な体験だった。同時に、国が主管することに伴うある種の制限を感じる場面もあり、芸術祭運営の一筋縄ではいかない部分も垣間見えた。確かにメディア芸術祭には少なからず改善点や矛盾があるかもしれない。審査員としても、関わった作家としても反省すべき点があるかも知れない。しかしこれまでに培われてきた経緯や成果やプレゼンスはやはり非常に大きい。改善策を議論していくのではなく、唐突に中止するのは理不尽だ。発展的解消としてさらに豊かな芸術振興策に結実するならそれも一路だろうが、その目途が十分に示されていない中での中止発表には強い疑問と懸念を禁じ得ない。とはいえ私たちには見えていない合理的な判断があったのかもしれない。文化庁側にもしそういう事情があるのなら、意思決定プロセスをちゃんと開示して十分なご説明をして頂きたい。(metaPhorest/早大・岩崎秀雄)
都内美術大学生をしていたときにこの芸術祭の存在を教えてもらいレポート書きました。アートとは?と沼にハマっていたところを、身近にある漫画やアニメも立派なアートなんだと目から鱗でした。それから毎年行くのが楽しみで、アートへのハードルの高さを下げてくれた大切なきっかけです。アートを海外に発信するのも大事ですが、その前に国内の若手のキャリアを育て、目標にして、箔をつける賞が唯一国が認めてるのがここだと思うので、それを無くすのはいかがなものかと思います。
90年代後半、日本人のメディアアーティストが海外で高い評価を受け始め(藤幡正樹、岩井俊雄、八谷和彦、ダムタイプ、三上晴子等)、美大・芸大、あるいは総合大学でも次々とメディアアート専攻やそれに類する学科が設立された。しかし、そういった流れに反して、名古屋国際ビエンナーレARTEC(〜97年)、ふくい国際青年メディアアート・フェスティバル/ふくい国際ビデオ・ビエンナーレ(〜99年)といった日本国内で開催されていたメディアアートの国際的な公募展が終了してしまった。当時、メディアアーティストを志す学生であった自分は、もう国内で作品を発表できる機会は失われてしまうのかと失望しつつあった。そんな中、文化庁主催のメディア芸術祭が開催されることになり、作品制作を続ける上で大きな励みとなった。幸いにも第1回に大賞を頂いたことで、その後も国内外で活動の場を広げていく機会を得ることができ、心から感謝している。今の時代、メディアアートは社会の中にインストールされ、分野を越え、美術も産業も教育も巻き込んで着実に我が国の文化を形成している。開始当初、異種混合のような印象があった「メディア芸術」という言葉は、いまやはっきりと実態をともなった文化である。これからその一端を担うべき若者たちが失望しないよう、今後の施策に期待しています。(プラプラックス代表 近森基)
メディア芸術祭がなぜ終了なのか?理由を読んでも納得はできません。我が国のコンテンツ産業は、全世界での影響力もあり、価値も提供数も増え、国産という認識も増える以上、評価や価値を認めるべき文化庁がそれらをある意味放棄してるようにも思えるのは、同じコンテンツ産業のクリエイターとしては残念でならない
毎年素晴らしい作品を見せていただくことで、研究についても考えが進んでいました。終わらせ方があまりにもコミュニティに対する礼を欠いていると思います。振興する気がある人がやることとは思えないです。審査員などをした人たちに文化庁ではできないけど、どうしましょうか?と、2年前に伝えて民営化すべきだった。(長谷川晶一/東京工業大学)
いままで何度かメディア芸術祭の公募で作品を応募してきました。受賞までは実を結ばなかったものの、個人の作家活動や広告系の仕事、両方において、メ芸が大きなモチベーションの1つになっていました。最近はコロナ禍で展示機会が減り、制作のモチベーションがかなり下がっていました。そんな中、メ芸は制作意欲を回復させる機会でした。前回の展示を観た時も、受賞したいという昔からの目標を再確認し、再スタートのきっかけになりました。それだけに、今回の突然の中止はとても悲しいです。
「メディア芸術」という括りについて考え、建設的な方向を見出して教育に反映できた。
2012の審査員推薦作品「necomimi」の受賞者ですが、メディアアートの専門教育を受けておらず、なんのつてもないなかで受賞した結果、社内外で認められてその後の試行錯誤ができるチャンスが広がったと感謝しています。(なかのかな/neurowear)
毎回楽しませていただいた。また新しいものに出会う機会をいただいた。
審査委員会推薦作品を、学生の間、3度も受賞させていただいた。受賞展を毎年訪問することで、強いインスピレーションを受け、憧れも持っていたし、学生として応募する際も、作品制作・研究活動をブラッシュアップするモチベーションになっていた。展示において、初めて知った作品や作家(のちに知り合いになる)も数多く、メディア芸術祭から受けた影響は計り知れない。現在教員となり、今後も学生と共に受賞を目指そうと一つの目標にしていただけに、とても残念。(中垣拳/シカゴ大学 教員)
2008年にアート部門審査委員会推薦を頂きました。私は技術者ですが、アートとの接点もあるんだと気づけ、視点や人脈が広がりました。(岡野裕/会社員)
初期に受賞し展示の機会を頂いたこと、様々な方と交流する場に恵まれたことは有り難いことでした。分野を超えて素晴らしい作品・作家を知ることができましたし、功労賞の存在も大きかったと考えます。
国内外の先端的な表現を、とりわけアート部門で毎年見せていただきました。表現活動には、サイエンスと並ぶ時代のフロンティアとしての意義があること、そして今と違った未来が垣間見えることへの希望を、作品を通して感じていました。一方で表現活動は採算性から継続が困難な傾向があり、表彰や啓蒙に、メディア芸術祭が果たした役割は大きいと考えます。また、異なる分野の表現を一堂に展示する機会は、業界間の交流の場ともなっていました。共に現代を生き、形作る人や作品が集い、多様な表現を一覧できる場が、豊かな文化を支えてきたはずです。中止の見直しを希望します。
商業的な売り上げと直結する賞は例え始まりがシジョウノコエでも最終的に資本に飲まれた作品が上位を占めることになる中、メディア芸術祭はその知名度と歴史の長さの中でもアマチュアや同人的な経済貢献度と関わりなく作品をチョイスしていた数少ない場所だったと思います。
メディア芸術祭で作品やクリエイターの名前を知ることができた。短編アニメーションの上映は特に楽しみにしていて、作品に感動してこっそり泣いたこともある。会場を出るときは、なんとも言えない高揚感で1人ドキドキしていた。素晴らしい作品が集まり体感できるイベントは毎年の楽しみだったのに残念。
回答者による意見の提出と所属の表示
Q: このフォームに記載した意見を「意見書」として文化庁に提出することに賛成する 具体的にはQ1-2やQ4が該当します。賛成・反対等の意見は集計して提出する可能性があります。 特に問題なければ「はい」を選んでいただけると幸いです。
氏名・所属の表示を希望する
所属については17%が「会社員」、11%が「アーティスト」であった。
(調査者の補足)生データを詳細に読み解くと、メディア芸術祭の終了を残念と思う人々は、アーティスト主体だけではなく、メディア芸術そのものを楽しんできた会社員であるという読み方もできる。またメディア芸術の特性として、専業のアーティストとしての活動だけではなく、メディア芸術に隣接したITなどの会社員である可能性も伺える。専業のアーティストとしては「常に新しいものを作り続ける」という環境にある場合もあるので、この状況は理解できる(調査者もそのようなメディア芸術のコアファンのペルソナを代表しているのかもしれない)。
「メディア芸術の分野」について
Q: この設問は『ご自身の所属している分野を参考までにお伝えください。選択肢の分野はメディア芸術データベースや文化芸術基本法から拾ってみましたが、積極的に「その他」を使っていただいて構いません』(フォームの原文そのまま:複数選択可能)という表現で調査を行った。
(調査者による意図の補足)「メディア芸術とは何なのか」という原義的な問いはいまだに文化芸術基本法第9条における「メディア芸術の振興」、という条文に依る必要がある。
メディア芸術祭がはじまった頃の社会の認識としては、マンガを図書館に収蔵することも「低俗だ」として厭う傾向があった事を記憶している。現在は「アニメ・マンガ・ゲームなどの市場」を中国ではACG市場と呼んでおり、オンラインを中心に大きく拡大している。しかしこの25年で「映画、マンガ、アニメーションおよびコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術」の環境は大きく変化している。メディア芸術祭の中止やリノベーションを考えるにあたり、この「メディア芸術の分野感」の再考・再解釈が求められていると感じたため設問とした。
(調査者による補足)非常に興味深いことに純然たる「メディアアート」という分野感を持った人々が参加していることが読み取れる。次いで「コンピュータ技術」、「研究者」、「現代美術」、「電子技術」というテクノロジーアートもしくはHCI分野のアートや表現者が回答者に多いことが読み取れる。より深いディスカッションをすると、これは「純然たるメディアートのプレイヤー」の存在であり、「いわゆるACG分野のプレイヤーがメディア芸術祭の中止に反対しているのではない」という読み方もできる。例えばメディア芸術祭の終了が出版や映画、アニメ、ゲーム産業に及ぼす影響は大きくはないのかもしれない。出版業界にはそれぞれの「売上」という数値評価可能なランキングシステムが存在するからである。岡崎体育「Music Video」のようなメタ動画作品、「Ingress」のような位置情報ゲームサービスやその現実世界を巻き込んだコミュニティアート、近年ではテクノロジーアート、コンピュータすら使わないバイオアートなどがメディア芸術祭では共有されてきた。さらに複製可能芸術やポピュラー芸術にとっても、審査員による互助的な表彰システムは一定の意味があると考える。例えばメディア芸術祭の上映会による共有やギャラリートークのように、一定のディスカッションに耐えうる時代を描写する作品が、作者や関係者とともに作られた背景を語る場所があることで、作り手にとっての「答え合わせ」や、新たなる挑戦、クリエイターどうしの交流が生まれてきた。逆に「人気」や「知名度」のみがメディア芸術なのであれば、それはそれとして、ポピュラー芸術に舵を切る宣言をすべきであると考える。この分野に関わる研究者として感じることであるが、売り上げランキングによるポピュラー芸術の評価付け(クライテリア)は、市場規模や社会的影響はあると考えるが、ごく一面でしかない。またランキングの操作も常套手段として存在している。特に若手を育成したり、生み出すうえではネガティブな要素も多い。すばらしい作品を作る人々が相互理解や尊重、リスペクトとともに成長していくためにも、公募展のような一定のルールに基づく衆目の上での表彰システムやフェスティバル、つまり「祭り」として官庁が振興に関与することは効果があり、これまでも多くの交流や舞台としての機会を与えてきたと信じている。アンケート結果もそれを如実に伝えている。
本ボランティア活動へのご意見
ぜひ、芸術祭存続を!
突然の中止にすっきりしなかったけど、こちらに書き込みことでほんの少し整理がついたというかすっきりしました。
個人的にも文化庁のフォームに意見を送りましたが、本アンケートの設問により考えが整理され、より的確に意見をまとめることができました。このような機会をいただきありがたく思います。応援しております。
貴重な場を設けていただき、また、貴重な情報を発信していただき、どうもありがとうございます。心から敬意を表したいです。
非常に貴重
様々な観点からわかりやすく整理してくださって、ありがとうございます。
📝作業をしていて感じたことメモ
(9/22)自分のコネクションだからかもしれないけど
回収されたご意見テキストを拝読していると
メディア芸術祭が
テクノロジストとか技術系の方々に与えている影響って大きいな。
メディア芸術は本当はとても広い分野なんだよね
現代美術のとても狭いところで25年で消滅するような存在ではないはずなのだけど
(9/23) フォームには「いろいろモヤモヤしていたけど、ここに書いたらスッキリしました」という方もいらっしゃって、何だか少し救われた気もしましたが、そこで消えてなくなってしまうような話にはしたくない。
(9/24)ブログ書きました
"さいごの"文化庁メディア芸術祭にいってきた"
https://note.com/o_ob/n/n0d8597400d8b
みなさまのご意見を拝読して、さらに実際に受賞作品展に行ってくることで、その「終わる」という事の意味が「明らかにおかしい」という気持ちに変わりました。
(9/26) ネガティブな意見も忖度しないで掲載しています。AIRはArtist in Residenceの略と読みます。たしかに魅力的ではありますが、AIRは古くは岐阜のIAMASの例のように、地域と根差して実施する必要があるかなと思いました。国が実施する場合には「どこに住むか」が重要になってきます。
(9/27) 当初の集計期間が終了しました。この活動を通して自分自身が学ぶことが多かったです。何より、最初は「メディア芸術祭が終了する」と聞いた時は『文化庁のえらいひとが決めたんだからだいじょうぶなんだろう』と思っていた、その後、予算の概算要求を見たら、本当に何も書いていなくて、データベースとかアーカイブとか…SNSやメタバースの専門家から見ても、「え?メディア芸術は死ぬの?オワコンになるの?」という気持ちになったし、これに関わっていた委員の先生方の疲れ果てていく様子や、闇雲に「新しくなればいい」という意見、なんだか自分が考えていることが社会過激派のように思えてきて辛かった。でも実際にメディア芸術祭に行ってみたら、とても温かい気持ちになれた。作品はすばらしいし、それを分かち合う場があること自体が素晴らしい、そしてブログでも扱わせていただいたアートコミュニケーションの方々から連絡をいただいた。私のブログを読んで、どなたか来場された方がブログを紹介してくれて、さらに私のことを調べてDMを送ってきてくださいました。なんだろう、本来絡んだりコラボレーションするはずのない方々ですよね。これ…メディア芸術これに極まれりなのでは…。他にも池袋での上映会もすばらしかったです。映画にボロ泣きし、アートを通した人の温かさに触れて元気をもらい、ちょっとシリアスなテーマですが、なんとかまとめきることができました。次はこれを文化庁方面に届けていきたいと思いますが、もちろん文化庁の方々を敵と思っているわけではないので、活用していただいて構いません。
とりあえず私自身、明日の国際会議で基調講演せねばならないので、いったん作業を終わります。
アートコミュニケーターさんからメディア芸術祭終了後にTwitterのDM経由で頂いたお写真。こちらのブログを見ていただいたメディア芸術祭の来場者の方が、アートコミュニケーターさんに「この記事みました」とお伝えいただいて、そこからまわりまわってこの「ウチワ写真」を頂くことができました。なお息子氏はメディア芸術祭は毎年のように連れて行っており、この分野の作品についてはMakersや海外作品もふくめ、かなり見ている「冷めた子供」ではあると思います。小さいシールが「作品を見たとき」、大きいシールが「観終わってコミュニケーションした後」なのですが、赤の微動からはじまり、だんだんとアートコミュニケーションによって心が動いてきている様子がわかります。
📰関連報道・資料集(情報提供歓迎です)
文化庁メディア芸術祭 https://j-mediaarts.jp/
文化庁 令和5年度概算要求 令和5年度 概算要求の概要
『第25回文化庁メディア芸術祭 受賞作品展』開幕!世界中の応募から選ばれた “現代(いま)を映す” 表現が集結 (JIJI.COM/PRTIMES)
メディア芸術祭の終了についての報道
文化庁メディア芸術祭、終了へ 今年度の作品募集せず「役割終えた」(朝日新聞,2022/8/24)
「メディア芸術祭」が25年の歴史に幕 なぜ終了するのか文化庁に聞いた - ITmedia NEWS (2022/8/25)
文化庁メディア芸術祭、終了か? 次年度の作品募集は行わず|Tokyo Art Beat (2022/8/25)
文化庁メディア芸術祭、終了へ 今後は「メディア芸術全体の振興を含めて検討」(KAI-YOU.net) - Yahoo!ニュース (2022/8/25)
文化庁メディア芸術祭が終了、文化庁が来年度予算要求に盛り込まず (2022/9/7)
文化庁メディア芸術祭、時代映したが 「多様な分野、評価の場」25回で唐突な終了(朝日新聞有料記事, 2022/9/22)
最後かもしれない「文化庁メディア芸術祭」受賞展、先端技術や手描き原稿を無料で観覧 (マイナビニュース, 2022/9/20)
アート・コミュニケーションセンター(仮称)関連
文化庁の文化審議会が「文化経済部会」を設置。アートを含めた文化と経済の循環の創出を議論|美術手帖 (2021/12/22)
岸田首相がアート振興の推進を明言。衆議院本会議の代表質問で|美術手帖 (2022/1/19)
国が設立する「アート・コミュニケーション・センター(仮称)」とは何か? 求められる横串の基盤整備|美術手帖 (2022/3/12)
「国立美術館アート・コミュニケーションセンター(仮称)」とは何か? 文化庁がアートプラットフォーム事業と今後の展望を発表|Tokyo Art Beat (2022/3/12)
[3/11] 文化庁アートプラットフォームシンポジウム グローバル化する美術領域と日本の美術界:我が国現代アート振興の黎明期~アート・コミュニケーションセンター(仮称)と国立美術館に期待する役割~
ブログ等(リンク提供歓迎です)
さいごに:ネクストアクション
まず冒頭の再掲。調査者による短いまとめですが、
・映画、マンガ、アニメ、ゲームとは別に「メディアアート」という分野がきちんと存在している
・社会への影響、特に専業アーティストだけでなく、新たな産業や製品、サービスなどを作る人々が存在している
・コンピューターアート、テクノロジーアートや未開の分野に(文化庁のいうデータベース事業などにも関連して)メディア芸術祭は貢献している
・単に作品褒賞だけでなく、作家同士の育成や交流にも効果がある
などが読み取れており、終了経緯を説明しない事には疑問を投げてよいと思いました。
今後、文化庁および文科省に内容証明郵便等で質問を投げかけていきたいと思います。
ディスカッションについてはこちらのFacebookグループをご活用ください
文化庁メディア芸術祭とこれからを考える会
https://www.facebook.com/groups/1777130165965781
今回の調査に使用したご意見フォームも入力再開しておきます。
今後、研究などで使われる場合はご一報ください。協力します。
https://ivtv.page.link/ma921
📝追記:本稿公開後にいただいたご意見など
八谷和彦先生
📝追記:文部科学省と文化庁に内容証明郵便とWeb投書をお送りしました。
全文をnoteにて公開します。
「文化庁メディア芸術祭の終了宣言についての意見書」
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