【後編】カメラ、好きです
後編。
何が言いたかったんだっけな。
そう、何年か経ったとき、経緯は省くけどカメラマンとしての活動を始めた。(この経緯は今度書けたらイイナ)
カメラ、好きだと思ってたしインスタなんかで写真を見るのも好きだった。
笑顔だったり、ふとした表情だったり、大切な人との一瞬を切り取ってその後の人生に残すなんて素晴らしいじゃないか。そう思ってやりがいを持って活動していた。
結局、カメラマンとしての活動は集客も上手くいかず、いろいろ思うところがあって今はもうほとんどしていない。(頼まれたらするし、楽しそうと思ったらする。自ら営業はしないけれど。)
またカメラが押入れに埃をかぶって眠る時期に突入してしまった。カメラよ、ごめんね。
少し話を変える。
アルバムの制作会社と契約をした時、営業の優しそうなおじさんが笑いながらこう言った。
「カメラマンの方ね、多いんですよ。データで渡すと自分の写真をトリミングされたりするのが嫌でアルバムで渡したいっていう人。」と。
確かにその気持ち、少しわかるなぁ、とその時は思った。し、今も少し思う時がある。
インスタで真四角にトリミングされると、あの、そのあなたが切り取った何もない空間にもちゃんと意味があるんです…と思ってしまう時だってあった。
わたしの写真を、どうか好き勝手にしないで下さい。って。
今になって思うと、わたしの写真に意味なんてないしただ「良いな」と思った絵をただただなんとなく「良いかも」と思いながら撮ってるだけだし、別にわたしがとやかく言う程のレベルでもない。
わたし自身は、撮ってもらった写真を何かに使う時は極力そのまま使うし、編集するなら一声かける。それが写真に対してのマナーだと思うから。
けれどそれって別にルールではなくて、写真をお金で買ってくれたらもうその人の物なんだろうなと思ったりもする。
そこでふと考えた。
わたしって本当にカメラが好きなんだろうか?
出来上がった写真に対しての執着はあるけれど、撮影中の一瞬一瞬に対する執着が少ない。
カメラを持ち歩くのも重たくて億劫だしむしろあまり持ち歩きたくない。
だけど写真を見ると心が躍るし、そんな写真を撮れたら感情が高ぶる。
自分の写真を切り取られたら落ち込むし、だけどカメラを持って出歩きたいとは全く思わない。
変なの。
そこで行き着いた答えが、ひとつ。
わたしはカメラが好きなんじゃなくて、写真が好きなんだということ。
ひとつの作品としての写真が好き。
だからその作品を作り出すためにカメラが必要だし、被写体も時には必要だし、レタッチだってする。
わたしが一番楽しいのはレタッチからの写真が出来上がる瞬間だ。
あぁ、わたしって、こっちが好きだったんだ。
初めて気が付いた。
嬉しい。好きな気持ちを細分化してみると見えてくるものがあるということがわかってしまった。
だから、わたしは出来上がらせたい写真のためにカメラを持つしシャッターを切るんだ。そうだったんだ。
今日からでも公言するのをやめようと思う。
別にわたしはカメラは好きじゃない。
最近インスタでちょっとずつ♡をつける人がいてくれるお気に入りの写真。
眠たいから文章が支離滅裂すぎて恥ずかしい。