023:リンゴを食べた私たち
昔からもやもやしていたことがある。
全裸が苦手だ。とても。
自分が脱ぐ脱がないの話だけではない。
家族、恋人、友人、見知らぬ他人、はたまた画面の中のAV女優。
ありとあらゆる全裸をできるだけ見たくない。
他人とお風呂に入るのも好きではないし、他人のセックスはまず見られない。
1個付き合っても1回セックスしたら興醒めして逃げ出す理由はもはやこれもあるんじゃないかというくらい、一糸纏わぬ姿にもやもやしてしまう。
たぶん目黒蓮(推し)でも嫌だ。脱がないでめめ。パンツは履いてて!
以前に書いたとおり、私にとってのセックスとは究極の非言語コミュニケーションであり最後の自己開示だ。終点だ。
終点の先には線路がないので留まるか戻るかしかない。
そこにあるのが田舎の無人駅かもしれないし、巨大なテーマパークかもしれない。
後者だとしても、暫くはそこで遊んで楽しくいられたとして変化がなければいつか飽きる。
飽きたら次の目的地に出発する。
普段散々布面積の少ない制服を着ている。
でも0と1は全く違う。
多人数の前でも1:1の場でもどれだけ布が少なくても大丈夫だが全裸だけは圧倒的抵抗感しかない。
一般的にはセックスするなら全裸不可避なので渋々脱ぎはする。
相手が脱いでそれから脱いで全裸になってるのもあまり視界に入れたくない。
どれだけ好きでもなぜか蛙化現象を引き起こしてしまう。
そもそも服を着るのは人間だけだ。
神は天地を作り、昼と夜を作り、動植物を作り、
そして最後に自分と同じかたちの人間を作った。
男と女を作った。
神はふたつの樹を生やした。
知恵の樹と生命の樹には、美味しそうな実が成っていた。
神は人間に、「他の実はどれだけ食べてもいいが知恵の樹の実だけは食べてはいけない」と言った。
しかし蛇が人間をそそのかし、ふたりは知恵の樹の実を食べてしまった。
するとそれまで裸だったふたりは急に恥ずかしくなり、いちじくの葉で体を隠した。
布一枚すらない姿は、動物とおなじ。
それが嫌なのかもしれない。
今まで散々書いてきたとおり私は知性を以て性とエロごとを捉えて楽しんでいる人だ。
人間と動物とでは会話はできない。
幼稚園児に大人の言葉で会話してもコミュニケーションは成り立たない。
身ぐるみ剥がした本能の塊では知性もなにもない。
相手が、自分がそうなるのが嫌だから布を纏っていてくれと思ってしまうのかもしれない。
ちなみに全裸に靴下だけなぜか残した格好でセックスした人(※靴下履いてるのは相手)は1回で飽きるどころか4年くらい抱えていたので、もしかすると無様でも布があればアリなのかも。
ますます自分が謎である。