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キャンプ日記*両手いっぱいの秋


母と一緒にキャンプを初めて、4年目の秋。
この季節になると「栗拾いにいこう」という合言葉で、大阪府能勢町にある「もりのテラス」に行くことが恒例行事となっている。

この日は三連休の真ん中でキャンプ場は満員だけど、いつも静かで美しい、最高の癒し空間なのだ。

腹が減っては、設営はできぬ。
テントを建てる前に、腹ごしらえ。
木陰がとても気持ち良い。


まずはビールで乾杯。
喉はあえてカラカラに乾かしておくのが、美味しくいただくポイント。

最近、お豆のおかきに目がない


キャンプ場での昼食は、積極的にカップ麺を食べる。
簡単で美味しいし、キャンプに来た!って感じがする。

お湯を沸かすのも、3分待つのも、楽しい。

ローズマリーとパプリカの香りが、オシャレなお味

母は栗だけでなく、石も拾う。
拾った石は、時折このように活用される。

これは夏に、洞川で拾った石らしい


お腹を満たし、テントを建てて、住環境を整える。

天井は、雲ひとつない秋晴れ


その後はコーヒーを淹れて、おやつタイム。
キャンプの間は、いつ、何を、どれだけ食べても良い、ボーナスタイムになっている。

久しぶりに食べる、たべっ子どうぶつ。

これは何?
これなら分かる

絶対、おんなじ型を使い回されているどうぶつがいるはず。

その仮説を、検証しよう。

と言い出した頃には、ほとんど食べてしまった後だったけど。
同じ型を使い回されているどうぶつは、いないようだ。

「cow」と「ox」はどちらも「牛」だけど、ほんのわずかに牡牛のoxの方が、がっしり強そうな形をしている。

勉強になる。

テントのスクリーンに、木の影が揺れている

その後、私はテントの中で昼寝をし、母はせっせと薪を割る。

太陽が沈み始めると、おだやかな陽気がさっと身を引き、しんと冷たい空気が降りてくる。

夜を迎える準備を始める。

突然ですが、問題です。

私はなぜ、森の中で大根をすりおろしているのでしょうか?


正解は・・・・








「さんまを美味しく食べるため」でした!

すだちも絞れば、完璧。

きのこを豚肉で包んでラー油で食べたり、焚き火でさつまいもを焼いたり。

今夜の夕食は、質素で贅沢。

静かな森の中、焚き火で温まりながら、こうして秋を噛みしめる瞬間は、ほんとうに幸せ。

早々に夕食を済ませ、うきうきした気持ちで能勢温泉まで歩いて行ったのに、この日は混雑しているため、日帰り入浴の受付が予定より早く終了していた。

何もすることがなくなったので、9時過ぎに寝床に入った。

こんなに早く寝れるわけがないと思って目を瞑ったら、朝になっていた。

母がコーヒーを淹れていたので、巨大なウインナーを焼いた。

コストコで見つけた。中にチーズが入っている。

今日のために大切にとっておいた、ちょっと良いパンも焼く。

インスタントのオニオンスープも添えれば、茶色い朝食の完成。

The brown breakfast



「今年は栗、ぜんぜん落ちてない・・・」

昨日はそう言って、少ししょんぼりしていた。

が、決してあきらめてはいけない。

状況は、日々移り変わっていく。

トイレに行った母が、栗といっしょに、うれしそうに戻ってきた。

よくよく見上げれば、これから落ちてくるであろう栗が、まだ少し残っている。


チェックアウトまでの残り時間は、本気で栗を探した。

昨年は栗のパラダイスになっていた場所も、今年は一つも落ちていない。

しかし、私たちは諦めなかった。

栗のことだけを考えながら、広いキャンプ場を練り歩いた。

時々、きのこに気をとられた。

今年はもう、これで終わりかなと思ったとき。

落ち葉に紛れて、さりげなく、ころころと輝く栗を発見。

ひとつ見つけたら、もうひとつ、ふたつ、みっつ・・・

両手いっぱいの栗は、なんだか心にずっしりくる重み。


遠くに行かなくても。
多くを持たなくても。
手を伸ばすと触れられるところに、この両手ですくえるだけの幸せは、じゅうぶんに有り余っている。



拾った栗は、その夜に蒸した。

割った栗の実をスプーンですくい、ほくほく食べていると、小学校の運動会を思い出した。
お母さんが、おやつに蒸した栗を持ってきてくれた。

しかしよく考えると、それは私の記憶ではなく、母の幼少期の記憶だった。
去年の今頃、大量に採れた栗を剥きながら、私に話してくれたのだった。

来年も、こうして一緒に栗を食べれるといいな。


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