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創作講談「若宮正子物語」
公益社団法人AC ジャパンのCMでご存じの方も多いと思いますが、
「とにかくバッターボックスに立って、バットを振ってみようと思ったんです。そしたら、当たっちゃったんですよ。」でお馴染みの
80歳を超えてからプログラミングをはじめた若宮正子さんを題材に創作した講談のネタを公開します。
本ネタ
ICTエバンジェリスト、デジタルクリエイター、世界最高齢プログラマー、
はたまた国連総会での基調講演、人生100年時代構想会議やデジタル社会構想会議の有識者メンバーなど、あまたの肩書を持つその女性の名は、若宮正子、愛称はマーチャン。
若宮正子さんが生まれましたのは、1935年。日本が本格的に第二次世界大戦に突入する間近。小学校に入学したときには、太平洋戦争真っ只中。9歳で学童疎開を経験。
お父さんやお母さんは恋しくなかった。それよりも、おにぎりが恋しかった。とにかく、食べたかった。
「先の事なんかわからない。だから、今やりたいことをやる。とりあえずやってみよう。」この心意気が、彼女自身、想像もしていなかった人生を引き寄せることになります。
高校卒業後、三菱銀行、現在の三菱UFJ銀行に就職。入行当初は不器用で仕事が遅かった。
上司:「まだ終わらないのか?いつまで札を数えているんだ?」
若宮:「すぐに終わらせます。もう少しだけ待ってください。」
同僚:「いつも、そう言って、結局、みんなの帰りが遅くなってしまうんだからな」
若宮:「すいません」
とにかく不器用だった。札を数えるのも遅く、肩身の狭い思いをいつもしていた。「まだ終わらないのか?」という言葉が、彼女を苦しめた。
若宮:「私は、お荷物社員なのかしら・・・」
当時の銀行業務と言えば、大半が手作業の時代。ところが、やがて、機械化が進み、紙幣も機械で数えるようになり、徐々に、彼女の能力が発揮されはじめます。
業務改善や新商品の提案を、次々と社内の投書箱に投稿。
「思いついたら、やってしまう」という行動力は、やがて、周りの評価も変えていき、ついには管理職へと昇進。女性が長く会社勤めすることが珍しかった時代に、女性の社会進出の道を切り拓いたのでございます。
定年退職目前の58歳の時、彼女はあるものと出会います。それは、パーソナルコンピューター、所謂パソコン。当時は、高価なもので、よほどのマニアでなければ、購入するものはいなかった。
同僚:「そんなもの、無駄遣いになるわよ。何に使うのよ。」
若宮:「パソコンを使って、いろんな人たちとつながりたいの。パソコン通信よ」
同僚:「パソコン通信?」
若宮:「そうよ。パソコンと電話回線があれば、誰とでもやりとりできるの。日本中の人たちとお友達になるの。」
同僚:「何言ってるのよ。そんなお金があったら、タンスや着物を買った方がいいわよ。きっと、後悔するわ」
インタネットが普及していなかった時代に、顔も名前も知らない人と友達になるという発想は珍しかった。
思いついたら、やってみる。衝動買いでパソコンを購入。だが、この一つの決断が人生を大きく変えるとは、誰も、いや本人でさえ知る由もなかった。
仕事でもパソコンを使ったことがなかったにも関わらず、パソコン教室に通うことなく、一人で日夜悪戦苦闘。
「ピー・ヒャララララ、ピー・ヒャララララ」とモデムが鳴る音
「マーチャン、ようこそ」この文字がモニター画面に出たときは、
本当にうれしかった。なんてすばらしい技術なんだろうと、
思わず童心に帰って、飛び跳ねてしまった。
パソコンを独学で習得したばかりでなく、スマートフォンも使いこなしていた。だが、しばらくすると、高齢者向けのアプリが少ないことに気づいた。
思いついたら、行動する。すぐに、パソコン通信で知り合った友人に、「年寄向けのアプリを作ってよ」とお願いしたところ、思いもよらない返事が。
若者:「僕らじゃ、お年寄りがどんなことが面白いのか、何が不便なのか、わからないから、マーチャンが自分で作るのがいいよ」
若宮:「そんなの作れないわよ。作れないからお願いしているのに」
若者:「マーチャンならできるよ。サポートするからさ」
若宮:「そう、やってみようかしら」
結果は、僅か半年で「hinadan」というひな人形を正しく並べるゲームアプリを開発してしまった。この時、御年81歳。
このことが日本の新聞に掲載され、その後、「世界最高齢のアプリ開発者」として、瞬く間に若宮正子の名が世界各国に知れ渡ります。
そんなある時、一通のメールが届きます。
若宮:「あれ?アメリカのアップル社からのメールだわ。CEOが私に会いたがってるって」
友人:「そんなの詐欺メールに決まってるわよ。引っかかったらダメよ。すぐ削除しなさい。」
若宮:「でも、詐欺する人のことを知りたいと思わない? 面白そうじゃない?」
友人:「何、悠長なことを言ってるの。いくらマーチャンでも、こればっかりは、とにかくやってみるって、言わないでよ」
若宮:「もう、メール開けちゃった。電話番号が書かれてるから、早速掛けてみるわ」
友人:「もう、好きにしたら」
友人に呆れられてしまったが、電話をすると、
若宮:「『お待ち申し上げておりました』って、あら、びっくり、詐欺じゃなかったわ」
アップル社が開催する世界開発者会議「WWDC2017」に招待され、
CEOのティム・クック氏と面会。
その翌年、2018年2月の国連総会では、高齢者におけるICT情報通信技術の重要性を英語でスピーチ、更に2019年6月にはG20財務大臣・中央銀行総裁会議のシンポジウムに登壇と活躍の場はとどまる所を知らない。
昨今、これからはAIの時代と言われておりますが、彼女はこう語ります。
「AIは決して若い世代だけのものではないわ。高齢者こそ、AIやICTの恩恵を受けるべきと思うのよ。」
「スマホやAIは、高齢者の生活を豊かにして、孤独を減らすための力強いツールでしょ。」
「AIやICTを学ぶのに年齢は関係ないのよ。失敗を恐れず、一歩踏み出せば新しい世界が開けるわ。」
今、彼女が思い描いている世界とは、高齢者こそAIと友達になって、
ICTを活用し、ネットの世界で高齢者同士がつながり、助け合い、学び合い、教え合う。そして、いくつになっても、人は成長できるということを証明したい。
「メロウ倶楽部」は、そんな世界観を実現してくれる高齢者たちが集まるコミュニティ。インタネットでつながる心の居場所。
参加者の約45%が75歳以上の後期高齢者。活発な活動をしているメンバーの多くは、なんと驚くことなかれ80代。
ここには、わからないことがあれば、教えてくれる人がいる。
愚痴に付き合ってくれる人がいる。
つらい時、応援してくれる人がいる。
直接会ったことがなくても、親友と呼べる人がいる。
近くの公民館では出会わなかった人との出会いがある。
体が不自由になってくるシニアにこそ、必要な心の居場所。
「とにかくバッターボックスに立って、バットを振ってみようと思ったんです。そしたら、当たっちゃったんですよ。」
お荷物社員が、いつしかあまたの肩書を持つシニア世代の羅針盤となり、今なお成長して止まず、80歳から人生が激変したマーチャンこと若宮正子物語の一席、これにて読み終わりと致します。