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講談師の起源
講談師という職業が誕生したのは、江戸時代に入ってからだろう。
しかし、江戸時代には講談師という言葉は存在していなかったと思われる。また、起源となると、もっと古くに遡る。
講談は僧侶の説教が話芸となり、
その後大衆芸能になったと言われているが、
仏教の説話を分かりやすく、物語にして、布教の手段として、
琵琶を弾きながら、全国各地で仏教の教えを説いたのが琵琶法師である。
であれば、琵琶法師こそが講談師の起源であり、源流ではないか?
平安時代末期から鎌倉時代にかけて
源平盛衰記(平家物語)は、仏教の教えを背景に、
平家一門の栄枯盛衰を描いた物語で、
琵琶法師によって広く語り継がれ、講談の演目でも題材となっている。
次に、室町幕府が衰退し、戦国時代に現れるのが御伽衆。
元々は、将軍や大名の話し相手であり、軍記物をわかりやすく語り、情報や知識を得る相手として重宝されたと言われている。
主君の教養を身につける手伝いをするという役割もあったそうです。
ちなみに、豊臣秀吉は800人も御伽衆を抱えていたと言われています。
そして、豊臣秀吉の御伽衆であった、安楽庵策伝(あんらくあん さくでん)という僧侶が説教に笑いを取り入れ、『醒睡笑』という笑話集にまとめたのが落語の起源と言われている。
江戸時代初期には、軍記物をもとに面白おかしく講じて釈する人たちが現れ、講釈師という言葉が生まれたのではと考えられる。
寺社や道端などで、一般の人々に向けて、歴史物語や人情話を語る場合は、
辻講釈と言われるが、仏教的な要素は薄れていたと思われる。
また、天下泰平の世になり、武士の多くは浪人(牢人)となり、
浪人が生活のために、道端で講釈するようにもなった。
その後、人々の娯楽として定着し、寄席などで盛んに演じられるようになり、大衆芸能となった。
「講釈師、見てきたような嘘をつき」
これは講釈しがまるで自分で見てきたような口ぶりで、政談、軍記、かたき討ちなどを語るさまをいう。
1813年(江戸時代後期)、一盃綺言という滑稽本に、この言葉が掲載されていたので、この頃は講釈師と言われていたことになる。
では、講釈師がいつ講談師と呼ばれるようになったのか?
それは、明治時代以降と言われている。
江戸時代には、「講釈」という言葉が一般的だったが、明治時代になると、
伝統芸能として確立されるようになり、寄席の演目の一つとして「講談」が定着したと思われる。