【最新作云々⑧】国は忘れても文化は忘れず 家族はいつも思い出の世界に... 韓国系2世の監督が母の過酷なルーツに向き合う覚悟のドキュメンタリー『スープとイデオロギー』のススメ
結論から言おう!!・・・・・・・こんにちは。(●´д`●)
一昨日、自転車のカギをうっかり無くしてしまって、自転車屋まで鍵交換に引き摺って行こうにもこの酷暑でまいっちんぐ、なO次郎です。
今日も今日とて最新公開映画の話、今回は先週末に観た『スープとイデオロギー』です。
先週、TBSラジオ『たまむすび』の火曜日コーナー「アメリカ流れ者」で映画評論家の町山智浩さんが本作を紹介、絶賛されており、それではと勇んで観てきた次第です。
済州島四・三事件と北朝鮮への帰還事業を背景とする一人の韓国人高齢女性の受難の人生を、その娘である梁英姫監督が記録し、紐解いていくドキュメンタリー作品ですが、両国への批判や糾弾がその目的ではなく、あくまでその祖国の行いを直接的・間接的に受け止めてきた一人の女性がそれをどう考えどう生きてきたか、を淡々と映し出しています。
作中のとある出来事をきっかけにその母が認知症となりますが、その彼女を介護する監督の姿は、イデオロギーはさて置き、国内の何処でも存在する市井の人々のそれと同じ哀歓を感じました。
体験としてはあまりにも過酷で過剰で、でもその生活の様子はあまりにも普通な形で映し出しているこの作品の魅力と力を、感じた自分なりに書いてみようと思います。作中の物事の推移を知っていてもなお、人ごとに感じ入るものが有るはずですので、もしご興味が出たらぜひスクリーンでご覧になってみていただければと思います。
それでは・・・・・・・・・・・・ひまわり!!
Ⅰ. 監督について
朝鮮総連の幹部である自身の両親との確執と和解の経緯をありのまま写した監督デビュー作『ディア・ピョンヤン』や、帰還事業で北へ渡った兄の子どもたちを想う『愛しきソナ』、自身の体験を元に脚本・監督した初の劇映画である『かぞくのくに』で知られる監督。
在日朝鮮人の方々をよくテーマにして作品を撮られる方というと、『パッチギ!』の井筒和幸監督や、『月はどっちに出ている』の崔洋一監督が浮かびますが、彼らの作品には国や人から押し付けられる理不尽へのやり場のない怒りがフィルムいっぱいに横溢しており、観客はそのエネルギーで以てして物語に釘付けになります。
対して梁監督の作品は一貫して”家族愛”に始まり”家族愛”で幕を閉じており、その愛を遮る有象無象への眼差しは怒りではなく哀しみであり、その物語推移は極めて日常延長的でオフトーンです。しかしそれがゆえに観ている側は対岸の火事ではなく、地続きの隣家の物語として惹き込まれざるを得ず、真逆の形でやはり釘づけにされます。
一方で、"熱心な活動家を親に持ち、幼少期から朝鮮学校で民族教育を受けた"という成育環境は出自の近い人でないとなかなか想像が難しいですが、例えば親が熱心な宗教信者だった家庭に置き換えて考えればどうでしょう。
問答無用で提供される方向性を持った教育を幼少期より一身に浴びざるを得ず、人間関係の構築にもそれが影響し、その思想のバリアゆえに実の親とも心からは理解し合えず……。
そのうえで客観的に見ると眉を顰られるような面も含めて自分と家族の生活を被写体に採用した監督の覚悟はどれほどのものかと驚かされます。
特に『ディア・ピョンヤン』『かぞくのくに』は多くの映画賞を受賞して高い評価を得ている一方、相当の批判も受けているだろうことは想像に難くありませんが、フィルムの中の監督の表情と佇まいは慈しみに満ちており、敬服の念を禁じ得ません。
牙を剥き出しにして猛るのではなく、ただ自分の気持ちを確かに持ちつつ粛々と現実に向き合い続ける。監督は、そういう強さもあるのだと我々に教えてくれているようです。
Ⅱ. 作中で感じたあれこれ
冒頭、今は亡き父との思い出の映像を交えつつ、監督の結婚相手の男性を母の家へ迎えるところからスタートします。
旦那さんは長野県出身の記者の方で、監督の生前のお父様は冗談交じりに「日本人との結婚はダメだ」と仰っていましたが、お母様は娘が愛する人ならと優しく受け入れます。
そして挨拶もそこそこにスーツを脱いで、お母さんの作る民族料理を囲む。作中、何度もお母様が鶏肉丸ごと一羽使ってのサムゲタンを作られていますが、後々に監督の旦那様が作り方を教わってお義母様に振舞うシーンもありました。
そして結婚に際して夫婦が民族衣装に身を包み、お母様も一緒に民族衣装で家族写真を撮る。
そこにはお母様と監督が体験してきたガチガチのイデオロギーではなく、ただ幼少より慣れ親しんできた”文化”があるのみで、それを他文化にルーツを持つ方が大切に受け取っています。
旦那様は結婚に際して決してイデオロギーに準じたわけではなく、相手の文化を受け容れる、その姿が静かで淡々としていながらなんとも力強いです。
活動で忙しく、早くに他界してしまったお父様に代わり、商売を切り盛りされていたお母様ですが、引退して年金生活に移っても従来通りに北の息子たちとその家族のために同じように金銭援助しようとする彼女を諫める監督の姿が本当に観ていて胸が詰まりました。
「お兄さんたちよりも今までの借金を返済しないと。」
「お兄さんとその家族の生活はお兄さんたちが成り立たせないといけない。」
監督の言葉はもっともで、お母様も口ごもるばかりです。
本作では直接的な言葉には載せていませんが、「なぜお兄さんたちを北に送り出してしまったのか?」という監督からお母様への責めも、間違いなく含まれています。
そして本作のユニークな点として、お母様の若い頃の韓国での悲痛な経験、すなわち済州島四・三事件に巻き込まれ、幼い兄弟の手を引きながら生まれ故郷の大阪へ密航船で命からがら舞い戻る経緯が朴訥としたアニメーションで描かれています。
日本によって祖国が併合されたことで大阪に生を受け、第二次大戦後はソ連とアメリカに祖国が分断統治され、初めて足を踏み入れた自身のルーツの島で国家による弾圧を目の当たりにし、舞い戻った日本で今度は日本と北の政府による”南は軍事独裁、北は最後の楽園”というプロパガンダに醸された世評の中で息子三人を地理的ルーツの無い祖国へ捧げてしまう…。
お母様の人生はまさに一貫して”政治の暴力”の渦中に在り、それでもなお日々の生活を穏やかに生きたその覚悟は想像するに余りあります。
そして、韓国からの済州島四・三事件の研究チームが来日し、過去の生々しい実体験を淡々と語られていたお母様が、それを契機に急激に認知症が進んでいきます。塞いでいた記憶が溢れ出し、夜な夜な夢枕に遠い昔の地獄絵図が浮かび上がってしまったのかもしれません。
娘である監督は症状に鑑みて介護施設の手続きを進め、医師のアドバイスを受けてお母様の認知症にとことん付き合います。
お母様はそのご生涯で一番幸せな時間、すなわち監督のお父様と兄三人も含めた六人家族の頃の記憶の世界に向かいます。「アボジはどこ?」というお母様に対し、小声で「え~っと、どこに居ることにするかな…」と呟きながらお母様のストーリーに時にうっすら涙を流しながら付き合う姿、そして実際には姿の見えない夫と息子たちの存否に混乱して頭を抱えるお母様の姿は、その複雑な過去があるとはいえ、認知症を取り巻く親子の普遍的な姿です。それゆえに、亡き祖母の認知症に付き合いつつ涙していた自分の母の姿を思い出し、観ていて私も胸が詰まってしまいました。
事件の研究チームを大阪に招いていた際は時にユーモアすら交えつつ淡々としかし克明に事件の記憶を語っていたお母様が、後年済州島を実際に訪れた際には記憶の風景を見ても、研究チームに質問されても、ただはにかむように、寂しそうに笑うだけで口を開きません。
ふつう、歳を重ねると直近の物事を忘れる一方で若い頃の記憶が鮮明になっていき、その傾向は認知症になっても同様と聞きます。
実際、上述の私の母方の祖母も、既に成人して親元を離れていた兄と姉の訪問時には彼らと理解していたのに対し、当時未だ高校生で母に連れられて度々見舞いに行っていた私のことは誰か判別がつかなくなっていました。
それを思うと、監督のお母様がその若い頃の記憶への道を閉ざしてしまったのは、どれだけそれが辛いものであったのかと感得せざるを得ません。
最後になりましたが、作中の監督自身によるナレーションが、ものすごく胸にストレートに訴えてきます。
ナレーションの指導を受けたわけではないでしょうし、読み上げも淡々としているのですが、実体験であることと、自分の思いを自分の声にしているがゆえの訴求力はプロの介入の余地を認めません。
「母は今、癌で入院している。今私は、母の遺骨を、父の遺骨のある北に送る方法を模索している。」という内容のラストのナレーションは監督の静かな覚悟を感じ、その静かな迫力の前に観ていた劇場内で観客のすすり泣きがいくつもいくつも聞こえました。
Ⅲ. おわりに
というわけで今回はドキュメンタリー映画『スープとイデオロギー』について書きました。
本作そのものの衝撃も大きいですが、今後、帰還事業を題材に扱った作品を観るにつけ、その見方がガラッと変わりそうです。
また、今年はじめにCSで観た大島渚特集でのドキュメンタリー作品『忘れられた皇軍』も思い出します。
前述のように、本作は扱っているテーマが過酷ながら監督の家族愛に満ちており、作品トーンは終始穏やかなため、刺激の強い作品が苦手な方にも是非とも観ていただきたいです。
長くなりましたが、締めくくりはこの歌で。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・・・・どうぞよしなに。