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フランス時代のルイス・ブニュエル:『欲望のあいまいな対象』

 もし僕が四条河原町を歩いている時、夕方のニュース番組のカメラに捕まって、「映画史における奇才を3人あげよ」と言われたら、僕はデヴィッド・リンチとアラン・ロブ・グリエとルイス・ブニュエルの名前を挙げることだろう。
 リンチと言えばカルト映画で、カルト映画といえばリンチである。『イレイザー・ヘッド』で鮮烈なデビューを果たし、現在はYouTubeで天気予報だとか数字占いだとかよくわからないことをやっているが、それはまぁいいだろう。アラン・ロブ・グリエは概念がねじ曲がったような映画を撮っており、シネフィルすらも寄せ付けない空気を纏っている。
   いや、今日はブニュエルの話をしたいのだ。リンチとロブ・グリエの話はまた今度することとして、今日はブニュエルの話を。

 『アンダルシアの犬』などの作品でシュルレアリスムその人であるサルバドール・ダリと組んでシュルレアリスム的な映画を作ったことで有名だが、実は僕もそういう手の芸術映画の映画監督だと思っていたが、真面目な映画らしい映画も数多く撮っているらしい。

 現在、『小間使いの日記』『昼顔』『悲しみのトリスターナ』『ブルジョワジーの密かな愉しみ』『自由の幻想』『欲望のあいまいな対象』の6本を提げたルイス・ブニュエル特集『男と女』が全国を巡回している。
 全ての映画を観に行くと、1本1000円だとしても6000円もかかってしまうので、レンタルビデオや配信で観られるものはそちらで観て、『欲望のあいまいな対象』を観に行った。唯一劇場で見たものであるからか、もしくは遺作としていちばん仕上がっているからなのか、この作品が僕の中でのブニュエル・ベストに近いと感じた。

 この映画は冒頭では、荒れた部屋が映され、電車に乗る老人紳士と追いかける若い女性、顔にアザを作った女性にバケツの水をかける老人、そんなショッキングな結果が提示され、電車のある老人が回想を語ることでその過程が少しずつ露わになり、徐々に結果へと近づいていく。このすっきりとした物語は、脚本の名手、ジャン・クロード・カリエールの素晴らしい仕事である。
 年寄りの男が若い女性に振り回され、翻弄される物語は他のブニュエル映画にも共通するところがある。ファムファタールものは、美しい女性に夢中になり、身を捧げすぎて自らを破滅させたりすることもあったりするが、この作品の老人はあまりに女性が身勝手なので、痺れを切らして、そこまでやるかというほどのビンタを喰らわす。それが冒頭に示された結果の1つに繋がるのである。
 唐突に車が爆発したり、物語の本筋とは関係のないところで、事故と銃撃の活劇が始まったり、いかにもブルジョワで上品な映像の中にあってネズミの死骸を強調して映してみたり、伏線の種らしきものは撒くけれど、一向にそれを回収しなかったり、なんともブニュエルらしいと言えばブニュエルらしいところもある。

 そして最後は老人と女性が仲良くウインドーショッピングをして物語を終えるのだが、さらっと終わらせたくないのか、謎の爆発が怒り、黒い煙がもうもうと上がる中でエンドロールが始まる。この爆発にブニュエルのどんな意図があるのだろうか。遺作としてそれまでの何もかもを消し去りたかったのか、破滅と修復を繰り返す2人の関係は結局破滅することを意味しているのか、ただ単に爆発が好きなのか、車を爆発させた時に使った爆薬が余っていたのか、それはブニュエル本人に聞いてみないとわからないことだが、やはり彼は奇才である。

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