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「教員」を舐めてはいないか。
ふと、移動中の電車の中で思った。
みんな、「教員」を舐めてないか?
もっと、言うと、
「教員」という仕事を、簡単だと思ってないか?
もっと、もっと言うと、
学校という場所に、少なくとも9年間(義務教育)通う中で、「教員」という存在が身近で、当たり前になっているが故に、「誰にでもできるんじゃね?」とか思っていないか?
もっと、もっともっと言わせてもらうと
「教育を受ける立場」のまま、消費者気分で、教員にあれこれ求めていないか?
教員に対するリスペクトを欠いていないか?
教員は当たり前のように仕事をこなしてると思っていないか?
当たり前は、時に人の感覚を麻痺させる。
教育は誰もが通る道で、それ故に誰もが容易に語ることができる。
それで、知った気になってないか?
自分の子どもがいるわけでもないのに、自分が親になったわけでもないのに、子育て論とか偉そうに語っていたら、どう思う?
もちろん、知らないからこその視点が、新鮮で重要なこともある一方で、
ある一定のその立場を知っているからこその説得力があることもある。
「何も知らんくせにお前が言うな!」という想いは、やっぱりその立場を経験していない限り拭えない気がする。
ただ、「知らないやつが意見するな!」というのも違う気がしていて。
誰だって、何にだって、語っていい自由はあるはずだから。
教育は、
みんなが語れるという良さがあれば、
誰にでも語れてしまうという危険性がある。
ここの塩梅がむずかしい。
子どもの頃は、親の存在が当たり前で、なんでもやってくれていたように感じるけれど、実は裏で相当頭を悩ませたり、苦労してるわけだよね。
自分が親の立場になって、初めて親の偉大さがわかるんだよね。
(まだ親になっていないので、まだ実感としては持てていないけれど、親の偉大さは想像することができます)
親の存在と教員の存在、これ同じ現象だと思っていてさ。
親ってすげぇなー!!ってなるのに、
教員ってすげぇなー!!って、どれだけの人が思うんだろうか。
教員を目指し、教職課程で勉強するようになって、教育実習で「教員の立場」を経験して初めて、実感として、「教員ってすげぇ!!」って思ったわけよ。
俺にできんのかなぁ、って。
めちゃくちゃ不安だなぁ、って。
大学生で、教員になろうかどうか迷っている1番の理由はきっとそこにあるんだと思う。
お金でもなければ、働く環境でもない。
本当に教師になれるのかどうかに対する不安と覚悟。
それを乗り越えて、「教員」になるんだよ!
現場の先生は一生懸命やってんだよ!
「教員」って、誰でもできる仕事じゃないんだよ。
子どもの頃は、先生が毎日4時間も5時間も当たり前のように授業してくれたけど、1時間の授業を作るために、どれだけの時間をかけてるか知ってるか。
当たり前は慣れを生み、慣れは感謝をなくす。
教育を受けられることは当たり前じゃない。
教員にいろいろ言いたいことも、いろんなこと求めたくなるのもわかるけど、
もっと、感謝の気持ちを持とうよ。
もっと、優しくなろうよ。
教員をもっと大事にする社会にしようよ。
って、教員にフォーカスした話をしちゃったけど、もっと話を大きくすると、みんな頑張ってんだよね。
休みの日に、居酒屋で飲み会ができるのも、お店の人が働いているからなんだよね。
自由に遠出ができるのも、いろんな人が朝早くから夜遅くまで働いているからなんだよね。
バイト終わって終電で帰ると、最寄駅に着くのが00:30とかなんだけど、そんな遅い時間まで働いてさ、普通に次の日の始発の時間に合わせて働いてるわけよ。
もちろんシフト制かもしれないけどさ、みんな大変な思いして働いて、でもそれが誰かの幸せや自由を支えてる。
サービスを受けられるということは、誰かがサービスを届けているということ。
もっと、この社会を生きてる人に感謝しよう。
優しくなろうよ。
そういう社会をみんなでつくろうよ。
もう、何が言いたいかわかんなくなった。