まちを歩く

信号待ち、つま先でリズムを取る。
ヘッドホンから漏れたバスドラムが空を波打たせている。
帰りを急ぐサラリーマンだけがそれに気づいているが、何を思うわけでもない。
ピンクのコートに身を包んだ背の高い女性は、小さなバッグを丁寧に提げている。
金持ちのおじさんを乗せたタクシーが前を横切って左折する。

信号は青に変わり、早歩きで渡る。
渡り切ったところでサラリーマンに抜かされ、何も急ぐことはないのだと歩調を緩める。

何の気なしに細い路地に入る。
トマトを煮込んだいい匂いがすることに気づき、ヘッドホンを片耳だけ外す。五感の一つ、それもその半分だけを開放し嗅覚を活動させる。
表札を見る。珍しい苗字。普通の民家に、珍しい苗字。トマトのうまそうな香り。口角は自然に上がり、ヘッドホンを完全に外す。
音楽は止めない。自分にだけ聞こえる音量で音楽が流れている。

大小さまざまな観葉植物が明らかに敷地をはみ出している。
一つ一つを眺めるが、歩みは止めない。
通り過ぎる間際に、目の端に青く小さい花を見つける。が、振り返らない。
脳内で必死に描き出し、おそらく過度に可憐さの強調された華奢な花が浮かび上がる。

野良猫が塀の上を駆ける。背の高い植木の裏に飛び降りる。
植木の隙間を覗いてみるが、猫は見つからない。

商店街に出る。
大量に食材を買い込んだお母さんが、自転車を漕ぐ。
ABCマートで靴を眺める男性。
長いマフラーを巻いた眼鏡の女性。
喫茶店は程よい混み具合。

また路地に出る。
巨大な門を構えた豪邸。門の向こうには高級車が3台。
電気の消えた部屋が3つに、明るい部屋が2つ、大きなリビングダイニングには人影。
向こうから歩いてくる人が、隣の民家に帰る。
2階の電気が消える。

俺は駅の喫煙所に寄って帰る。


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