過去という程遠くもない過去の記憶#2 五歳頃,y君
彼は蟻を踏みつぶしていない
今回もまた4,5歳の保育園の記憶だ.なるべく古い記憶から取り出してみようと思っている.
保育園の同級生であるy君は,周りからうっすら嫌われていた.なぜだかは憶えていないが,僕も彼のことを好いてはいなかった.周りが彼に暴力をふるったり,仲間外れにしたりはしていなかったと思う.ただ,一度彼にみんなでのしかかり肋骨を折ってしまったらしく,母親にその話をされたが全く憶えていなかった.じゃれあいの中でそうなったのだろうが,みんな多少の悪意はあったのだろうと思う.申し訳ない.
そんなy君はある先生からも若干嫌われていた.その先生は少しギャルっぽい感じで,僕のことはすごくかわいがってくれていたが,僕はあまり好きではなかった.
ある日,その先生がみんなの前で絵本を読んでくれた.その内容はあまり憶えていないが,街中にいる蟻とかミミズとかに関する絵本だった.
その絵本の中で,僕らと同い年くらいの少年がわざと蟻を踏みつぶす描写があった.するとその先生が
「これy君の足だ!」
と突然言ったのである.
「違うよ,僕じゃないよ」
とy君は言った.僕も明らかに違うだろ,と冷静に思っていたのを覚えている.
その先生はなんの脈絡もなく,わざと蟻を踏みつぶす意地悪い少年をy君に重ね非難したのだ.うっすら嫌われているy君を見せしめにして,みんなから笑いや,もっと言えば好感を得ようとしているような浅ましい魂胆が見え,その理不尽さに震える思いだった.
今思えば,このとき初めて理不尽という言葉を知らずして理不尽さを実感した瞬間だった.僕はこの初めての感情をどう処理すべきかわからず,ただ黙っていた.
それから僕は蟻を故意に踏みつぶすのはやめようと思った.
ここからは余談だが,僕はy君のある習慣を今でも”まね”している.それはひらがなの「そ」の書き方である.
「そ」の書き方は上画像の2種類あるが,僕初め左のように一画で書いていた.
ある日y君が何か文字を書いていて,覗き込むと右のように二画で「そ」を書いていたのだ.僕にはそれが無性にかっこよく思われた.両方の存在を知っていたが,なんのこだわりもなく一画の「そ」を使っていた.
僕はy君の二画の「そ」を見たとき,まずその見た目のかっこよさに惹かれた.次に,一画で書けるものをわざわざ二画で書く,あえて遠回りな方法を選ぶという渋さにしびれた.そして,最も強く思ったのは「先を行かれた!」ということである.僕は初めから当たり前のように二画の「そ」を使える人間でありたかった.
それから今までずっと二画の「そ」をあえて使っている.そして,まだ僕はそれをy君の”まね”と思いながら使っている.