落とし物には福がある
そこに落とし物がある限り
知人で、道ばたに落ちているものに目ざとい人がいて…。
いつの頃からか、私も落とし物に目が行くようになりました。
その例で言うならば「片手袋研究」は今や世の中のスタンダードになりつつあります?!
ワタシも片手袋🧤が気になっていて、自作壁新聞『ガシガシ』にも載せてました。
片手袋が、町会掲示板にピン止めされてるのとかたまらない…(ツボ)↓
レシートを読む
落ちているレシートは、どこかの知らない誰かの生活史考察となりえます。
☟”ガセリン菌ヨーグルトドリンク”と”あたりめ22g”を朝の8:14に買い合わせるレシートとか、考察しがいがあるってもんです。
これと同じ系譜に”買い物メモ”の落とし物もありますね。
カレンダーの裏紙に手書きされた”・もも肉200 ・アタック(洗剤)”とか…
誰かの生活の切れはし。
なぁーんて思っていたら、やっぱりレシートは格好の観察対象なのか…
『レシート探訪』なる本がありました。
また、落とし物って視点からは、雑誌『XD MAGAZINE』に
「拾ってみる」という”一冊の本を売る書店”森岡書店の森岡督行さんが気になる人と”拾ったもの”を話す対談連載があります。
落とし物コレクション
落ちているもの。
以上、片手袋・レシート・買い物メモ…の他にも
名刺もよく見かけます(せつない)。
そんな話をしていたら”封筒”もよく見る…
という証言も。
落とし物界の有力勢、それは紙!
紙と言えば、ティッシュペーパー(鼻セレブとか無料配布じゃない方)
もよく見る落とし物のひとつ。
”落とし物 or NOT?”の境界線
結局"それは落とし物かゴミか?"の境界線はどのあたりにあるのでしょう?
紙は雨に濡れたら、アウト!(ゴミ)
が原則な気がします。
じゃあ、紙以外の場合は?
東京中のアスファルトのゼムクリップを集めたら?
わたしが、かねがね「落とし物界」のブルーオーシャンだと思っているのは
ゼムクリップです!
たとえばこんなところにゼムクリップ
・路上タイルの目地に。
・オフィスのフロアに。
・コンビニのマルチコピー機の上に。
そして、この地味な銀色を誰も拾いません(私調べ)。
ってことは、落ちているゼムクリップは即刻ゴミ判定なのか?!
そのアルミが…
・1円なら価値ありで、
・クリップなら価値なしなのか?
考察しがいあるなァ…🤔
ってことで東京中の落ちてるゼムクリップを繋げたら「富士山〇個分!」とか無駄に調査発表をしてみたい気になります。
これは、個人調査の域を超えている気がしますが
かといって、どの方面に応援を乞うていいのかは分かりません。
人知を超えている
…というように落とし物ワンダー!
拾っても拾っても拾いきれない、広大な興味の泉⛲
そして何と言っても落とし物の魅力は、人知の及ばないところですよね?
私意の及ばない偶然でありながら
自分が出かけた先でしか見つけえないという必然。
このアンビバレントな産物「落とし物」から目が離せません。
”エコーチェンバー”とか”フィルターバブル”とかどこ吹く風です。
私意の及ばない落とし物の恣意的解釈
しかし私意が及ばない領域でありながら
それを恣意的に解釈するのが面白いんでありまして…
そこで扉の写真の話。
路上で見つけた”太田胃散”です。
①撮影日は1月2日。
②奇しくもお正月の宴会シーズン。
③採取場所は
・十字路横断歩道前
・セブンイレブン前
であり、落とし主の状況、おしてしるべし。
考現学の新潮流として、
今後も落とし物に注目しつづけようと思います。
そこに落とし物がある限り。
表:書いたもので「恥ずかしさの先頭に立つ!」 裏:読んだあとに「なんとはなしにおしゃべりしたりお散歩したくなるような…」そんな”かの地”まで帆走おねがいします。