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落とし物には福がある

そこに落とし物がある限り

知人で、道ばたに落ちているものに目ざとい人がいて…。
いつの頃からか、私も落とし物に目が行くようになりました。
その例で言うならば「片手袋研究」は今や世の中のスタンダードになりつつあります?!

ワタシも片手袋🧤が気になっていて、自作壁新聞『ガシガシ』にも載せてました。
片手袋が、町会掲示板にピン止めされてるのとかたまらない…(ツボ)↓

ペアの片方?は、フェンスに掛けられていた?
ガシガシ2017年12月号

レシートを読む

 落ちているレシートは、どこかの知らない誰かの生活史考察となりえます。
☟”ガセリン菌ヨーグルトドリンク”と”あたりめ22g”を朝の8:14に買い合わせるレシートとか、考察しがいがあるってもんです。
 これと同じ系譜に”買い物メモ”の落とし物もありますね。
カレンダーの裏紙に手書きされた”・もも肉200 ・アタック(洗剤)”とか…
誰かの生活の切れはし。

ガシガシ2017年2月号

なぁーんて思っていたら、やっぱりレシートは格好の観察対象なのか…
『レシート探訪』なる本がありました。

また、落とし物って視点からは、雑誌『XD MAGAZINE』に
「拾ってみる」という”一冊の本を売る書店”森岡書店の森岡督行さんが気になる人と”拾ったもの”を話す対談連載があります。

最近なにか、拾っていますか?
歩くこと、拾うこと、つむぐこと。

落とし物コレクション

落ちているもの。
以上、片手袋・レシート・買い物メモ…の他にも
名刺もよく見かけます(せつない)。
そんな話をしていたら”封筒”もよく見る…
という証言も。
落とし物界の有力勢、それは紙!

紙と言えば、ティッシュペーパー(鼻セレブとか無料配布じゃない方)
もよく見る落とし物のひとつ。

”落とし物 or NOT?”の境界線

結局"それは落とし物かゴミか?"の境界線はどのあたりにあるのでしょう?
紙は雨に濡れたら、アウト!(ゴミ)
が原則な気がします。
じゃあ、紙以外の場合は?

東京中のアスファルトのゼムクリップを集めたら?

わたしが、かねがね「落とし物界」のブルーオーシャンだと思っているのは
ゼムクリップです!

コレコレ!

たとえばこんなところにゼムクリップ
・路上タイルの目地に。
・オフィスのフロアに。
・コンビニのマルチコピー機の上に。

そして、この地味な銀色を誰も拾いません(私調べ)。
ってことは、落ちているゼムクリップは即刻ゴミ判定なのか?!
そのアルミが…
・1円なら価値ありで、
・クリップなら価値なしなのか?
考察しがいあるなァ…🤔

ってことで東京中の落ちてるゼムクリップを繋げたら「富士山〇個分!」とか無駄に調査発表をしてみたい気になります。
これは、個人調査の域を超えている気がしますが
かといって、どの方面に応援を乞うていいのかは分かりません。

人知を超えている

…というように落とし物ワンダー!
拾っても拾っても拾いきれない、広大な興味の泉⛲

そして何と言っても落とし物の魅力は、人知の及ばないところですよね?
私意の及ばない偶然でありながら
自分が出かけた先でしか見つけえないという必然
このアンビバレントな産物「落とし物」から目が離せません。
”エコーチェンバー”とか”フィルターバブル”とかどこ吹く風です。

私意の及ばない落とし物の恣意的解釈

しかし私意が及ばない領域でありながら
それを恣意的に解釈するのが面白いんでありまして…

そこで扉の写真の話。
路上で見つけた”太田胃散”です。
①撮影日は1月2日。
②奇しくもお正月の宴会シーズン。
③採取場所は
・十字路横断歩道前
・セブンイレブン前
であり、落とし主の状況、おしてしるべし。

宴会おつかれさまです
ありがとういい薬です

考現学の新潮流として、
今後も落とし物に注目しつづけようと思います。
そこに落とし物がある限り。

表:書いたもので「恥ずかしさの先頭に立つ!」 裏:読んだあとに「なんとはなしにおしゃべりしたりお散歩したくなるような…」そんな”かの地”まで帆走おねがいします。