看板と人相〜文字と人の相関関係
日記の文字
コロナ禍の頃は、日記を書く量が増えて3P位書いていた。
それで、時間も結構たっぷりあったから、丁寧に文字を書いたりもしていた。
あれから4年。毎日朝書く日記の量はぐんと減ったけれど
書く文字量に比例して自分の文字が変わって少しは上達したように思う。
タイプして書くと、手書き量は減る
字体が変わった理由は他にもいくつかある。
こうしてPCでキーボードをタイプして、書く量が増えたことも影響しているとおもう。
増えた…というのは20歳ハタチを境に格段に増えたということで、……ここ三十年位の長いスパンの話だけれど。
思えば、初めてタイプしてまとまった文章を書いたのは1996年~1997年頃。卒業論文を書いた時と思う。
SHARPのワープロ「書院」。明朝体の縦書き。
それに比例して「手書き量」が減っていった
(いま、この原稿もスマホでタップして書いている)。
選ぶフォントと書き文字の親和性
私はnoteに文章を書いたり、ZINEを作ったり、手紙も趣味にしている。
しかし今では、仕事中に書く文章(分量)が一番多い。
その中でも、圧倒的に多いのはメールを書く機会だろう。
outlookのフォントは「Meiryo UI」。
最近なんとなく自分の書き文字もこちら(Meiryo UI)にだんだんと寄ってきているような気がする。ちょっと丸みを帯びた字。
パソコン初期(90年代後半)はおそらくMSゴシックなどを使っており、そのときは自分の手書き文字と使用フォントの相関性を感じたことはなかった。
けれど使えるフォント(搭載されるフォント)の種類が増えたことで自分の元の字に似たものをチョイスしているのか、使用フォントに自分の文字を寄せているのか…だんだん分からなくなってきた。
二つの文字はなんとなく雰囲気が似てきている。
ナゾである。
そんな折に偶然『きれいな字”の絶対ルール』という本を知って一読してみた。
字を「図形」としてとらえているのが新鮮で、なるほど!となった。
絵がうまい人は字もうまいという説もあるけれども、それは文字を図像(イラスト)として把握しているに違いない。
ちなみに私の好きな字は近藤聡乃さんの字。
漫画も字が読みたくて読んでいる気がする(それは極端?)。
さらなる発見
そして最近更にもう一つ「ハッ!」となる出来事があった。
私が今通っている「文章教室」での話だ。
課題で書いた文章(ゴシック体)を校正用として明朝体に出力し直したものを改めて眺めた……。
むむむむーーーーっ!
おそらくこのnoteの文章もそうなのだが、私は普段“ゴシック体”で書くことが多く、
そうなるとその字体に寄ってしまうのか…?!文体がカジュアル…口語的でだいぶラフな感じの語り口になりがちだ。
また、普段もメール・LINEが多いため、
改行して段落を変えた後、最初の一字をサゲるというルールを忘れていた。一字サゲせずに、一行スペースを空けて、どんどん文章を続けてしまうクセも抜けない(まさに今書いているこの文章!)。
そんなクセにも気づいた。
格調高き明朝体で出力された自分の原稿を見た時に、自分の文章がフォントに飲まれちゃって、なんだかチグハグな印象を受けた。
恐るべし!フォントの力!!(今更ですけど‥…)
ペットと飼い主は似る。
それなら、フォントと文体は似る?!
名は体をあらわし、字体はその人柄に似る?!
看板と人相
さて、むかし自分で作った企画で『看板と人相』というのがあった。鉄道会社が主催した住民参加型の町紹介にあたって、自分が考えた切り口だった。
昔ながらの商店街には、画一したフォントじゃなくて「味な看板」(手書き文字風の)も多く、この看板と店主の写真を横並びにして連載したら面白い記事になるんじゃないかと思った。もちろん「看板と人相は似る」という仮説の元である。
なお、この企画は結局そのときは、実現しなかったのだがこのタイトルだけは、すこぶる評判が良かった(みんなそのことに興味があるらしい。タイトルもキャッチーだしね!)。
この企画をあたためて、いつか機が熟したら陽の目を見させてあげたい!
‥‥‥それかこの企画案どなたかに売りますよ?!
どうでしょう?
町ガイドは数あれど、この切り口で紹介した人はいないはず。
結構なスマッシュヒットになる自信アリマス。
‥‥‥ってわけで、無断使用はお控え願います
(看板と人相©️)。
……アレ?何の話だっけ?
そうそうフォント・文体・人物は似るのでは?という話。
真相いかに?!あなたはどう思う?!
では、また来週~See you~👋