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【探訪】旧前田侯爵邸


目黒区にある旧前田侯爵邸に行ってきました🥺
渋谷から井の頭線で4分。最寄りは「駒場東大前」駅です。

東大駒場キャンパスを横に見ながら、高級住宅街をトコトコ抜けていくと10分くらいで到着します。

途中で看板が出ていますし、一本道ですので迷うことはありません。

旧前田侯爵邸とは?

旧前田侯爵邸は、旧加賀藩前田家の第16代当主前田利為(としなり)侯の本邸として昭和4年(1929年)に建築され、5年の歳月をかけて完成しました。

東京帝大教授であった塚本靖と宮内省の技師の高橋貞太郎が設計を担当し、イギリスのテューダー様式を取り入れ、当時は「東洋一の大邸宅」と称されていました。

地上3階、地下1階の洋館と、それを渡り廊下で繋いだ2階建の和館、いずれも無料で拝観できます。

およそ1万坪とされる前田家所有の広大な敷地は、現在目白区立駒場公園となっています。

前田利為侯とは?

前田利為侯爵は上野国にあった旧七日市藩(現在の群馬県富岡市)前田家の五男として生まれ、茂と名付けられました。

七日市藩前田家は、加賀藩高祖前田利家の五男、前田利孝の流れを組む分家でして、大坂の陣で活躍した利孝の論功行賞により立藩しました。

1万石の小藩だったものの、加賀前田本家からの支援を受けつつ明治まで存続し、華族令においては子爵家となりました。

利為侯は嗣子(お世継ぎの男児)のなかった前田本家15代当主利嗣の養嗣子(婿養子)となり、結核により42才の若さで亡くなった利嗣の後を受け、16代当主となります。

前田本家は華族令において公爵に次ぐ第2位の爵位である侯爵家ですので、大変高い家格でした。

若き日の利為侯は学習院で学ばれ、最初は政治家を目指していたそうですが、武で功を成した前田家のルーツに倣い軍人となります。陸軍大学校を卒業された後はドイツ、イギリスに留学され、国際感覚も豊かな方でした。(養父利嗣も岩倉遣欧使節の一員でした。)

その後陸軍の要職を歴任され、陸軍中将まで昇級されます。昭和14年に予備役となりました。

太平洋戦争開始後、昭和17年にボルネオ守備司令官に親補されましたが、同年搭乗中の飛行機事故により亡くなられました。享年57才でした。没後正二位に叙され、陸軍大将となりました。

旧前田侯爵邸は私邸でしたが、華族であり軍人であった利為侯が、天皇陛下、政府・国内外の要人をもてなす迎賓施設でもありました。

当主利為侯没後に終戦を迎え、邸宅はGHQに接収されました。解除後は紆余曲折を経て、現在では重要文化財として大切に保護されております。

当時の上流階級の華麗な生活様式を垣間見ることのできる貴重な歴史的建造物です。

ご興味のある方はお天気の良い日にぜひいってみて下さい🥺公園や日本近代文学館もあって、お散歩に良いですよ😃

最後まで読んで頂きありがとうございました!

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