泣いて馬謖のひとりごと for Biz
三国志のお話で失礼します🥺三国志は現代にも通ずる、示唆に富んだ面白いお話がたくさんあります。このnoteはBizのためのひとりごとです。
「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」
この故事成語は三国志からきております。馬謖とは三国時代の蜀の将。斬ったのは蜀の宰相、ご存知、天才諸葛孔明。
文字通り馬謖をkillです。
馬謖幼常は「馬氏五常」と呼ばれた馬家の俊英の5兄弟の末弟で、諸葛孔明にたいそう可愛がられていました。
ちなみにすぐ上の兄、白眉こと四男の馬良季常についてはこちらを。
なぜ馬謖は斬られた?
可愛がられていた馬謖がなぜ斬られた(処刑された)のかと申しますと、軍律違反です。しかもめっちゃ大事な時に。
蜀の創業理念は曹氏の「魏」を打倒するということです。魏は当時中国の3分の2を統治していたいわゆる時の中央政府です。黄河流域の肥沃な大地と洛陽、長安などの先進都市を持つ巨大国家でした。
蜀魏の国力差は圧倒的ながら、諸葛孔明はこの頃既に亡くなっていた先代君主劉備の悲願を果たすべく、国内を安定させ、軍備を増強、そして満を持して魏に挑みました。この戦役がいわゆる「北伐」です。(魏にとっては南防ですが。)
この戦役での武功を虎視眈々と狙っていたのが愛弟子の馬謖です。
とても大事な戦い:結果はご存じ
蜀軍は諸葛孔明の神算鬼謀により破竹の勢いで快進撃を続け、長安に迫ります。馬謖は街亭という長安をうかがう進軍の要所において、蜀軍の先鋒という大役を師、諸葛孔明から任されます。
重要な戦いでしたので、陣内にはベテラン勢を推す声もありましたが、諸葛孔明は新進気鋭の愛弟子を抜擢しました。
◇
結果はご存じの通り惨敗でした😑💢
諸葛孔明の布陣の指示は隘路の街道筋でした。
しかし馬謖は諸葛孔明の指示の場所に陣を構えず、「山の上の方に陣取った方が下る勢いで攻撃できるからいいんじゃね?」と、目付の副官はじめ周囲の諫言も聴かず、おまけにdisりまくって山頂に布陣します。
迎撃のため街亭に着いた魏の将軍は山頂に布陣している蜀軍をみて驚きました。将軍の名は張郃。失地奪回の切り札として投入された魏三代に仕える歴戦の猛者です。この時期は、もう魏も本気モードになっていました。
「(?)蜀軍は兵法知らんやつがおるな~!?」
魏軍は直ぐ様、圧倒的兵力で山を取り囲みます。水路を絶たれ、喉カラカラ、モチベーションだだ下がりの蜀軍が耐え切れずに出てきたところに圧倒的兵力と戦術で大打撃を加えます。
「この若僧が~。10年はやいわ~。」と言われたかは分かりませんが、
蜀軍は老獪な将軍の手により、あっさり殲滅させられました。もちろん諸葛孔明の指示通り布陣していれば結果は変わっていたと思われます。
馬謖は命からがら逃げ延びましたが、敗戦の責めを負い斬首となりました。馬謖は若いころから秀才と讃えられ、諸葛孔明の薫陶を受けてきたという自負もあったため、驕りがあったかと思いますが…。若さゆえの過ちですね。(優秀だったかには異説もありますので、またnoteに書きます)
蜀軍はこの敗戦のため全軍撤退を余儀なくされ、蜀軍の占領地は魏軍により奪回されてしまいます。
馬謖に処刑について、同僚からも助命嘆願や同情が寄せられました。しかし軍律に照らせば、軽率な行動によって国家存亡の危機に陥れた馬謖は大罪です。
諸葛孔明も寵愛する弟子だからこそ懊悩もしたでしょう。
だからこその「泣いて馬謖を斬る」…と普通に考えますが…。
ひとりごと
「泣いて馬謖を斬る」とは、現在では私情を挟まず、規律を遵守すること。「信賞必罰」の意味が大きいです。経営の神様松下幸之助先生も「信賞必罰」の例えとして、この史実を自著に引用しています。
しかし、三国志演義で諸葛孔明が、「馬謖を登用した自分の不明さに悔し泣きした」描写があります。逆に史実ではそのまま、「愛弟子の才を惜しんで泣いた。」となっています。
諸葛孔明は馬謖を処刑した北伐失敗後、自らも降格を申し出ます。指導者もまた結果責任を取らなければならないことを身をもって示します。三階級降格と言われていますから、現代でいうと代表取締役副社長から平取に降格といったところでしょうか。
蜀には諸葛孔明を凌ぐ人材はいませんので、ほどなく復権を果たしますが、このことは国内に規律遵守を広く知らしめることになりました。
ですから私は、この故事成語のもうひとつの意味は、
「人事やプロジェクトの失敗の責任は上司も負わなければならない。」
ではないかと勝手に思っています。
◇
諸葛孔明の想いとは裏腹に、この規律遵守の空気は国内をさらにギスギスさせ、繰り返される北伐によって疲弊した蜀は厭戦ムードになっていき、諸葛孔明の死後ほどなくして蜀は滅亡してしまうんですが…😭。
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あくまでひとりごとです!。松下先生を批判しているわけではありませんから、くれぐれもご注意ください😅。
ちなみに馬謖は処刑されずに獄死したという説もあります。斬られてもいないとなると、ことわざすらなくなるじゃない!と思う今日この頃。
長文をさいごまで読んでいただきありがとうございました!