9/22 「生きてるだけで偉い、生きてなくても偉いけど。」
わたしには、一卵性双生児みたいな友達がいる。わたしが「おれら、一卵性シャウエッセンだよ‼️」と言うと、彼女はケラケラと笑う。
わたしが元・恋人に振られた時、彼女がひとり暮らしの家に呼んでくれて、あったかいご飯(長芋のはさみ焼きとか)と、あったかいお風呂、あったかい布団を用意してくれた。そんで、辛かった事とか、なーんにも聞かずにYouTubeを見て昼過ぎまで一緒に寝てくれた。
わたしは、あれ以上の優しさに触れることはもうないと思っているし、あの日の恩を、一生忘れないと思う。
生涯かけても返し切れない優しさを、あの日貰ったんだ。
彼女がしんどい時、わたしはなにも出来ない。彼女みたいな美味しい料理も作れない、けど、彼女の話は、本当に真剣に聞こうとしている。一緒に悲しんで一緒に泣いて、一緒にケラケラ笑う、いや、悲しんでしまうし泣いてしまうしケラケラ笑ってしまう。
大好きで愛してしまっているから、何があってもどうなっても、愛しているし大好きだよ。
「生きてるだけで偉い」の消費・ミーム化の記事を読んでいて彼女のことを思った。
わたしたちは「生きてるだけで偉い!」と声を揃えて互いを褒め合って生きている。
それは互いの全肯定で、明日を生きる活力だし、本当にお互い、真剣に相手のことを「今日も生きてて偉かった!」って思ってる。
もし、これが傍から見た時に、ただの記号的な言葉の羅列であったとしても、わたしたちはお互いが真剣に、意味を含んで発していることが分かっている。
べつに、生きてない人が偉くないわけではない。
お互いに今日という日を、この社会を22年間毎日乗り越えていることを、お互いの世界だけで肯定している。昼過ぎに起きても「生きてて偉い」し、お酒飲みすぎて吐いても「生きてて偉い」、単位落としても「生きてて偉い」よ。
「生きてるだけで偉い、生きてなくても偉いけど。」まで続けることもしばしばある。
でも、彼女が居なくなってしまったら、とっても悲しいから、なるべく「生きてるだけで偉い」の方向で考えていて欲しい。
わたしの愛は全肯定で、もしくは理解することだ。
彼女が何をしてても、どう生きていくとしても、わたしは彼女のことがずっと大好きで愛しているし、ずっと「生きてて偉いよ、けいちゃん」って言うだろう。
すぐに人をバカにするとこも、斜に構えてるとこも、生活リズムが終わってるとこも、お酒好きなとこも、顔も声も体型も考え方もこれから生きていく上での変化も、これまでの人生も、全部愛してる。
だから、「生きてるだけで偉いよ、生きてなくても偉い。」
なぁけいちゃん、今日も生きてて偉いね!愛してるよ!
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