祖母の最期
これは私の数少ない実体験の1つです。
私の祖母は、外食先で誤飲をしたことが原因で亡くなっています。
心肺停止で病院に運ばれて、何とか蘇生して頂いたものの5日ほど意識が戻らず。
そのまま目覚めることなく、最期を迎えました。
その時に体験した不思議な出来事です。
当時の家族は祖母、母、妹、私。
祖母と母、そして私と妹はそれぞれ違う土地に住んでいました。
祖母は母と二人でドライブに出かけた海に近い地域で食事をのどに詰まらせました。
遠方に住んでいた私は仕事中に電話を受け、「もう着く頃には死んじゃってると思う。」と、言われた状態で病院に向かいました。
しかし、意識が戻ることは無いままでも祖母は生きて私を待っていてくれました。
そして、奇跡的に約5日間、生きてくれました。
その貴重な5日間は、離れ離れに暮らしていた母、私、妹・・・そして祖母の4人で一緒の時間を過ごした、およそ20年ぶりくらいのとても貴重な時間でした。
私たちは交代で入れ替わりホテルと病院を行ったり来たりしながら、その合間に一緒にファミレスでご飯を食べたり、コンビニで食べたいものを食べたり・・・とにかく4人で過ごしていました。
その日は祖母が息を引き取る前日・・・と、言うか、当日の明け方3時くらいでした。
母はホテルで休んでおり、妹は祖母の病室で見守り番、私は休憩室のソファで待機していました。
20時~3時くらいまで祖母の近くにいた私は、妹にバトンタッチして安心したのか、ウトウトとしてしまいました。
なぜなら見守っている間、祖母の人工呼吸器が何度も何度もピーピー鳴っており、祖母が死んでしまうのではないか・・・と、気が気でなかったからです。
ウトウトしながら限りなく浅い眠りの中で私は多分、夢を見ていたのだと思います。
休憩室の入り口を向いて寝ていた私の目に、ニコニコしながらカーテンも何もないその開けっ放しの入り口から、もう二度と意識は戻ることがないと言われていた祖母がのぞいている姿が飛び込んで来ました。
「あれ?ばーちゃん、目が覚めたの?!いつまで入院するのかとか、もう覚めないとか言われて、凄く心配してたんだよ!もう大丈夫なの?」
「ありがとうね、来てくれて。でもね、もう大丈夫だよ。明日になったら全部大丈夫だから、心配しなくて良いからね。」
会話はそれだけでした。
このまま目が覚めないことは確実であり、家の近くに転院するにしても、搬送中の保証はできない。
そんな話を先生から聞いた夜でした。
でも、祖母は元気に笑いながら「明日になったら全部大丈夫」と言う。
目が覚めて動けるなら、もう大丈夫だな。良かった・・・と、思いながら目が覚めてしまいました。
入り口は全くの暗闇で、祖母どころか誰もいません。
「そりゃ、夢だよね。」
もう起きることは無い、あとはゆっくり心臓が止まるのを待つだけだと言われ、納得しているのに・・・僅かな期待が打ち砕かれました。
どれくらい寝ていたのかと手に持った携帯のケースを開いた時・・・パーマのかかった短い白髪が1本が目に飛び込んで来たのです。
母は腰くらいまで伸ばしたストレートな茶髪。
妹は肩までのストレート黒髪。
私は背中の真ん中くらいまでのストレート黒髪。
パーマのかかった短い白髪は祖母の髪の毛そのものでした。
誰よりもオシャレに気を使っていて、美容室でいつも綺麗にしてもらっていた、綺麗な白髪。
眠る前に時間を確認したときは、挟まっていなかった髪の毛。
寝ていた時間は30分も無かったと思います。そのわずかな時間に突然現れた白髪。
そして、あのリアル過ぎて現実と間違ってしまうくらいの夢。
本当にばーちゃん来てたのかも知れないと思って、病室に駆け込みました。
「ばーちゃん、目が覚めたの?」と何度か呼びかけましたが、人工呼吸器に繋がれた祖母は何も反応してくれませんでした。
妹はベットの横でスヤスヤと寝息を立てていました。
でも、やっぱり私の手の中には祖母のものと思われる白髪がありました。
理解できない現象に対して恐怖もありましたが、ただただ不思議な体験でした。
祖母はその日の17時くらいに私たち家族3人に見守られる中、心肺停止状態から1度も目覚めることなく、旅立ちました。
確かに夢の中の祖母が言った通り、永遠と続く入院費用のことも、仕事に戻って遠く離れた場所でいつ死んでしまうのか悶々と考え続けることもなくなり、何も心配しなくても大丈夫になりました。
因みに祖母は「まだ、しばらくは大丈夫です。」と、先生から言われた約2時間後に亡くなりました。
大丈夫と言われた私と妹は、1度自分たちの住む地域に戻って改めて仕切り直そうと帰ることになりました。
もう次に来てもらう時はお葬式になるか、転院なのか全く分からない。
多分お葬式になると母に言われ、私たちは覚悟を決めて母に駅まで送ってもらいました。
お互い逆方向に向かう新幹線の切符を買って、それぞれ17時少し前の新幹線を待っていました。私は最終だったと思います。
16:30、ホームに入ることに躊躇いつつ改札の外のベンチに妹と二人で座っていると・・・私の携帯が鳴りました。
20分前に私たちを駅まで送り届けてくれた母からの着信です。
「おばあちゃん、もうダメかも。戻って来れる?」
買ったばかりの切符を払い戻して、駅前に止まっていたタクシーに乗り込んで病室に駆け込みました。
病室に到着してから祖母が旅立つまで5分もなかったと思います。
「ありがとう、元気でね。」
何度も何度も伝えて、3人揃って祖母の最期の時を一緒に迎えることができました。
1本早い新幹線に乗っていたら。
タクシーが待っていなかったら。
きっと私と妹は、祖母を看取ることが出来なかったでしょう。
その日帰ると決めたことを、きっと今でも後悔していたと思います。
ギリギリまで踏ん切りが付かずに、改札に入れずにいたことも全て祖母を看取るためだったのかも知れません。
ばーちゃんの言う通り、明日になれば全部大丈夫だった。
やっぱり、あの明け方の一時。
私のところにばーちゃんは来てくれていたのかも知れない。
今でもそう思っています。
中秋の名月と共に旅立ったばーちゃん。
今くらいの季節になると、少しだけ切なく思い出す不思議な実体験です。
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