page.20 論益の基礎とすゝめ

本書では,論争の完成によってそのコミュニティに得られる利益の一般を【論益】と称ぶ。

(論争に参与するアバター間において,そのトピックの命題に与えられる真理値一致の確認を以て,その論争は完成するものとする)

論争の一般に,そのトピックに静謐する益を認めることが出来るように思われるが,──いわゆる喧嘩界隈など──論争すること自体を利得に設定すべきコミュニティを俎上に乗せたときは混乱が生じ易いように思われる。

アバターの内部には,その主張を通すことの利益が必然に予定されている。(プレイヤーが不本意な主張をしていようが,アバターとして捉えるときはオミットされるのであった)

つまり,アバターはその論争の完成を利得とするのである。然るに,そのコミュニティにとって論争自体が利得だと設定されることがあり得る。

このとき,【論益】をどのように解するべきであろう。まったく同じひとつの喧嘩を指示し乍ら,一方ではその完成(解消,なくなること)を利益として,他方ではその完成(解消,なくなること)を損失と解することにならないか。

このように,論争自体への利得設定と,アバター概念との間にパラドキシカルを感じる人がいるかも知れない。

本問題に対して本書は,プレイヤーとそのアバターとの間に階層を考えることで解決を試みた。つまり,その論争自体への利得設定は,アバターとして捉えたときオミットされるものであって,そのプレイヤーに特有的な利得であると考えるわけである。

このようにして,利得は階層を持つことになった。

【専ら論理体系によって記述される水準】と【敢えてその喧嘩をする水準】とを混淆するのは致命的である。

というのは,あえて喧嘩をするため不本意なアバターを作出したまさにその瞬間に,その本意な(真の)論理体系と不本意な(擬制した)論理体系との間に階層が生まれるのである。恒に既に,前者は後者のメタで在らざるを得ない。

それは,前者は後者の不本意を知らざるを得ないからであり,後者は自身のそれを判定し得ない(或はだからこそ,論壇では真と措定せざるを得ない)からである。

後者の水準で論益を論考するときに,そこに判定できないはずの要素(その喧嘩をあえてやることの利益)を陥入することは,だから危険なのである。

また,論益は【機構的論益】と【偶然的論益】とに大別できるように思われる。

前者はそのコミュニティにおいて内在的な論益を指して,後者は外在的な論益を指す。

たとえば,死刑制度の存廃トピックに対して,『冤罪者が国家に殺害される危険がなくなった』(廃止のとき)『抑止力が削弱されずに済んだ』(存置のとき)などが構造的論益として列挙され得るのに対して,偶然的論益には『存置派に迎合することで多額の献金が入った』などがあり得る。

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