大学生が西村博之氏を研究してみたら
コンバンワ。学生です。
学生ってモラトリアムなので、いろんなものに触れてそれぞれの価値観が再構築されることがよくありますよね。
ということで、絶賛モラトラム中の私はふとしたことがきっかけで俗に言うひろゆきに興味を持ちました。
インターネットについて理解がある人ならば、彼の名前を知らない人などほとんどいないでしょう。私ももともと名前と何をした人なのかはなんとなく知っていました。ひろゆきの来歴についてはここでは省略します。
彼は最近youtubeで長時間ひたすらコメントに答えまくるって動画をあげてます。私はこの動画をなんとなく開いてしまいました。そして動画内で喋っている内容を聞いていたら「おっ」と思いました。「面白い」。
ひろゆきが何を狙って動画を上げているのか。理由について本人が色々言ったり、言われたりしていますが、真意は当事者にしかわかりません。というか、今回はその真意の是非については論じるべきポイントではありません
私がひろゆきの喋りを面白いと思った理由は一つです。あの人はとてつもないクリティカルシンキンガーだと思ったからです。めちゃくちゃクリティカルシンキングできています。それにビビッときました。
批判的思考能力...それは感情や主観に流されず、情報や論理を用いて公平的に、偏りがないように物事を判断しようとする力のことです。
喋りを聞けば、それが恐ろしく上手いことがわかります。時に、ひろゆきはロボットのようで感情を持たないと言われることがありますが、それはひろゆきのクリティカルシンキングっぷりをみてそう感じたのではないかなぁと思います。クリティカルシンキングというのは時に冷酷で、感情を持たないように思われることがあります。なぜなら、そもそも感情による判断の偏りを排除しようとする手法だからです。
さらに、これはあくまでも手法の一つなので、つまるところテクニックなのです。なので、訓練すれば誰でもできるようになります。なろう思えば誰でもロボットのような人になることはできる、ということです。
そうは言っても、ひろゆきのクリティカルシンキングっぷりは異常です。あそこまでの思考能力にたどり着くには相当の努力が必要でしょう。
動画を見て、ひろゆきに対して抱いた仮説はこうです。きっと、様々な物事を周囲の意見に流されずに、自分が真実だと思える何かに昇華できるまで考え続けてきたのでしょう。それも、圧倒的な量を。それに加えて、興味の幅も広いのでしょう。知的好奇心に忠実であるということです。知識を手に入れるために様々なことを執行してきたのではないでしょうか。身を置く環境もひろゆきなりに精査して、周りの人間からも知識への手がかりを手に入れてきたのではないか、、、なんて思いました。
...でも、これって単なる偏見にすぎないですよね。認知バイアスにとらわれている自覚があります。それに、動画を見ただけでひろゆきはクリティカルシンキングマスターだと判断するのは早計かもしれません。動画から見てとれるひろゆきの要素を見ただけでは信ぴょう性は低いでしょう。
兎にも角にも、動画を見たことでひろゆきに対して興味をもち、過去動画を漁ったり、ひろゆきが読んだとされる本などを読んだりしてみました。もしかしたら、ひろゆきは私の何かを変えてくれる重要なパーツを持っているのかもしれない、そう思ったからです。なので、私は自分なりに、ひろゆきの考え・考え方の正体を紐解くために、ネットに眠るひろゆきにまつわる情報を集めて分析し始めました。ひろゆき研究スタートです。
そんなこんなで、私がひろゆきを研究し始めてから数日が経ちました。
そんな私に何が起きたか、結論から言うと病みました。
動画や本だけではひろゆきの考えの真意には近づけませんでした。そして、あらゆるコンテンツでひろゆきは常人には理解できないような、難解な発言や突飛な考えを披露したりします。それがあまりに理解不能で、当初の目的であるひろゆきの考え方の正体にはほとんど近づけず、結果として私の脳がひろゆきを受け入れられず、根負けしてしまうという結果になってしまいました。
ネットには様々な情報が点在してしいて、やる気と意志さえあればあらゆる情報にアクセスすることができます。私もネットを駆使することで、ひろゆきにまつわる情報や、ひろゆき自身が発信している情報を入手することができました。
そして、その情報をどうするのかも本人のやる気と意志次第で変わってきます。興味のない情報は手に入れてもすぐに捨てる、といった具合です。私の目的は「ひろゆきの考え方の正体を紐解く」であったので、目的に沿って手に入れた一次情報、二次情報、三次情報、何次情報だかわからない地獄のような情報たちを分析していきました。
...ここでつまずきました。ひろゆきという特性上、ひろゆきに関する情報は通常の人よりもあふれています。良質ではない情報というのは、処理するだけで脳に負担がかかります。私はそのダメージをもろに喰らいました。
そして、本来良質であるとされる一次情報においても、ひろゆきという特性上、「話していることがよくわからない」「攻撃的なコミュニケーションを孕んでいて聞いているだけで負荷がかかる」という具合で収集している段階でダメージを受けました。
そんなこんなで、私の精神はボロボロになり、一日中寝込んでしまうという中々な痛手を追ってしまうにまで至りました。
というか、そもそもですよ。そもそも、ネット上で誰かの考えの正体を紐解くなんてことはできないのではないかと思いました。
リアルにおいても、誰かとてつもなく優秀そうな人がいて、その人の考えを少しでも吸収したいと思ったとします。その目的を達成するにはその人の近くで生活したり、頻繁に話をしたり、自分というものをある程度犠牲にしなければその人の考え方を吸収できなかったりします。つまり、リアルであってもとても大変だということです。
そんな大変な行為をネット上でしようものなら、著しく大変ですよね。私もリアルのネットの区別がつかないほどアホではないので、ネット上ではある程度の障害はあるという前提を理解した上で、情報収拾すれば何かしら得られるものがあるのではないかと思っていました。ですが、どうやら考えが甘かったようです。
それ以降、私はひろゆきの話は参考程度に止めようと考えるようになりました。この研究を経て、どうやらひろゆきは私にとって何か重要なパーツを持っているわけではなさそうだということが発覚したからです。というか確かめようがなかったので、そのような結論にならざる他ありません。
この研究をしてよかったこともあります。精神に傷を負ったり、一日中寝込んだりするなどの弊害はありましたが、自分の直感に磨きがかかるという良い恩恵を受けることができました。
このひろゆき研究は誰かに強制されてやったものではありません。単純に私が興味を持って情報を集めて分析してみたという自発的なものです。
けれど、このプロセスは私にとって良い影響を与えるものではありませんでした。ということは、私が最初に抱いたそもそもの疑問の方向性が間違っていたということです。今回で言えば「ひろゆきはどんな風にものを考えて、どういった傾向の考え方を持っていて、どんな風に生きてきたら今のようなひろゆきが完成したのだろう?」という問いです。アバウトすぎましたね。それに先行研究がないという点も痛いです。何より、何かに従属的な問いというのは良質な問いとは言えないのかもしれませんね。おそらく、もっと自立的で何者にも支配されない問いが良いとされるのでしょう。今回は問いが立っている足場もガタガタだし見据えている方向もめちゃくちゃだったというオチですね。
そして、ネットで調べまくって誰かの思想を浴びるということをしてしまった私は、もっとリアルを大切にしようという教訓も得ることができました。ここで言うネットで調べまくるというのは悪質な情報を浴びまくるということです。これに関してはなんのメリットもありません。生きている意味を見失う危険性まであります。
そんなことをする暇があるのだったら、バイトに行ってお金を稼ぐ方がいいし、大学へ行って勉強する方がいいし、親孝行でもした方がよっぽど人間として豊かであると言えるでしょう。
そもそも、ひろゆき研究なんていう誰の目に見ても危険なことをやり始めた私自身の精神状態が一番おかしかったのかもしれません。ひろゆきの話を聞いて「おっ面白い」なんて思うのは、今思えば末期状態であったと思います。
けれど、クリティカルシンキング自体は一般的に有用な手段であると言われているのは確かなので、その理論とひろゆきを結びつけたというポイントのみは自分で自分を評価できます。
、、、より良い人間、人の役に立てる人間になるためには修練がまだまだ必要なようですね。
今後も自分の可能性を真摯に見つめて、研究なりビジネスなり読書なり人間関係なり、色々悩みつつ頑張っていこうと思います。
今度は失敗しないようにしていきましょうね!トライアンドエラーです!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。