英語⇔日本語を行き来すると、文章の粒度が適切になる
ただいまお客さんの案件でリサーチにまつわるプロジェクトをすすめています。10人くらいインタビューして、それをまとめて機会領域を出していくプロジェクトです。
いまちょうどインタビューを終えての統合セッションで、インタビューから得られた発言をもとにインサイトを出していくところ。このインサイトの書きぶりがいつも難しい。インサイトにおける新しい発見をちゃんと伝わるように、でもそれでいてその意味がちゃんと伝わらないようにしないといけない。長けた人は一発で書くことができるのだけれど、僕はまだまだ一発で書ききることができない。
昨日、いい分析のタイトルが書けずに悶々としていたときに、ふと自分の書いたnoteを思い起こしていた。
分析のタイトルの英語版を書いてみた。母国語ではなんとなくまるっと書いてしまうところを、違う国の言語で書いてみようとすると客観的になれるのか、自分が本当に伝えたいことが明確になる。
例えば、Aのような人たちはBという行為をするようになる。という文章を書くきに、「あれ、なんでAさんはBするんだっけ」「AがBする目的はなんだっけ」「どういう欲求なんだっけ」「その後どうするんだっけ」という思考が働く。
そしてBという動詞についても、例えば「見る」という行為も、lookなのかwatchなのか、seeなのか、graspなのか、foresightなのか、もういろいろある。そんなことを考えているうちに、「Aさんは見ているだけじゃなくて、その裏側にあることに思いを馳せているんだ」という気付きにつながるかもしれない。そうした細かい言葉の使い方が重要だったりする。
そう思うと、あながち受験勉強の英語も無駄じゃなかったなと思える。スピーキングとヒアリングのほうはからっきしだめだけど。仕事が落ち着きだしたら英会話学校にも通おう。
頂いたお金は書籍購入に充てて、発見をnoteに記録します。