5年前の日記を見つけた。(4/26.途中)
2019年の私は可愛かったな。
素直で、努力家で、なりたい理想像がしっかりあって、いつも内省しては「〇〇はやめる」「常識的におかしい。こうすればよかった」と書き込んでる。沢山調べた中から吟味して取り寄せた、A5版程の少々縦長で小さなダイヤリーにびっしりと。
そうだよね。大学受験していた頃の私なんだから。今の自分よりよっぽど頭がいい。間違いない。
友達になれそうな子との会話、気に入ったカフェ、美味しかったもの、親友と遊んだ日のレシート、好きな人と話せたこと。お気に入りだったマイルドライナー(淡い色合いの蛍光ペン)で色の組み合わせを楽しみながら、それはそれは嬉しそうにメモしてあった。どのページも付箋やマステ、絵本のような仕掛けなどを駆使して、好み(可愛い)に全力を注いでる。
その頃どんぶり勘定という言葉にハマっていて、下から高価な順に青→緑→黒→赤と色を決めたどんぶりを積み上げたイラストでその日の支出をメモしていたり。いやその色合いはだるま落としなんよ😹
興味のある場所に行ったら、人生でもうこれ以上ないくらいいちばん好きになった人と、その次点で大好きになった人と出会えたから、自分が行動し続ければ出会うべき人と出会えるということは固く信じている。何歳になっても。だから望みを失う必要はないし、彼氏が居ない時期にカップルを見ても羨ましいと思ったことはない。ロールモデルとして眩しい目で見ていたことはあるけれど。
運命の人っていると思う?よく聞く問いだが、私の考えはこう。
運命の人はいる。ただそれは1人だけじゃない。自分の人生に影響を与えた人達が自分にとっての運命の人々。
4/24
6/24
読み進めていくと、
7月には
10月には後に続く言葉を失っている。雲行きが怪しい。
思い出した。何度反省しても、思い描く自己像になれると信じても、なれなかった。だから全部やめたんだ。出来ない自分を責めることも、律することも、正しくあろうとすることも。
入学初年度の4月からゼミに通い続け、専門学科の講義を受けながら空き時間や昼休みに集まって中国語、フランス語、スペイン語講座に参加し、6月からは21時から23時の終電まで、教授の権限で大学で唯一明かりの灯る研究室に籠るようになる。7月頃からは朝7時から夜23時まで大学にいた。夏季休暇中、自宅のあるアメリカへ帰国する教授に鍵を渡され、研究室で1人黙々と勉強をする毎日。警備員さんとも顔馴染みになり、監視カメラの位置や夜出来れば通ってほしくない場所などを教えてもらいながらやっていた。研究室の鍵は持ち前の不注意で一度完全に失くしたことがある。人生で初めて、人の大切な物を失くした。人に迷惑のかかることは何よりもしてはいけないことだと戒めて生きてきた自分にとって、相当の大打撃を受ける出来事だった。預かって3ヶ月間失くさなかったのに。そこから人の鍵を失くしたことは誓って一度もない。今後も絶対に失くさない覚悟でいる。………自分の家の鍵はよく置き忘れるけど………(頑張れ)。でもその一回が、私の重大な、
その後の自分自身の立ち回りや、怒ることなく状況を整理し思い出させるために的確な質問を繰り返す教授の対応など、学んだことは多くある。
不注意で有無を言わさず怒号を浴びて叱られてきた私にとって、呆れられているのではない、見放されようとしているのではない対応をされたのは大きな学びだった。叱って蚊帳の外にするのではなく、自分で説明責任を果たさせ、対応させるのが正しい人の尊重の仕方なんだと、、、これで表現合ってるかなぁ要検討。
10月からは海外研修に向け、或るスラヴ語を学び始める。11月に初めての基礎看護学実習Ⅰ。一週間行って、人生で初めて心療内科にかかった。ここかな?地獄の始まりは。詳しくはまた今度。
その辺りから私の心は明確に壊れていった。おそらく。
12月〜1月は研修準備が佳境を迎え、ほぼほぼ毎日始発で帰り2限に出るために9時頃家を出る生活をしていた。そんな生活をしていて体が保つ訳もなく、2020年1月に人生で初めて、授業中に居眠りをすることになる。正直人生の汚点とも言えるかも知れない。高校まで一度も授業で眠くなったことがないのは自分の中での誇りの一つだった。赤ちゃんの頃から眠りは浅いし人前では眠らないのと、本を読みながら先生の声に耳を傾けたり、課題をしながらノートを取ったりと内職の達人だったと思う。うつを経過した今、そんなことをすると、前頭葉がぷすぷす焦げ始めちゃいそうなくらいにオーバーヒートを起こし、頭痛や頭重感でチェーンの外れた自転車みたいに頭が使い物にならなくなっちゃうけど。高3理系クラスで知り合った明るさとコミュニケーション能力に憧れていた医学部志望の友達に、「〇〇ちゃんって絶対に寝ないよね」とよく言われていたのも大きく関係しているかも知れない。
話を戻そう。つまり約2ヶ月の間、日中は学年末試験の試験勉強とその日の某英国放送の1分ニュースを何度も聞く、夕方教授が起きる頃に例のスラヴ語の講義が始まり、教授からの差し入れであるコンビニ弁当をいただき、20時から英語(英国の某ニュース番組の1コーナーのディクテーション。スクリプトが無い為、聞き取りとネットで該当記事閲覧により教授とゼミ生で語句や文章構造の推測、大方出来上がればキャスターと同程度のスピードで読めるようになるまでマイクを持ち1人ずつ計測)、23時頃から研究発表、質疑応答、もちろん終電などとうにない時刻にゼミが終わる。そのくらいになると正直フラフラで頭も働かないし、東大卒の教授の脳から出力される膨大な情報量には到底ついていけなかった。その頃交際していたゼミの4年生の先輩は、これまたおかしなほど頭の良い人で、その2人だけが永遠としている面白い議論に集中しては思考停止、集中し直しては思考停止という時間を過ごし、専門用語だらけの英文が映し出されたPC画面に途方に暮れながら、「よし、送っていくよ」の言葉を待っていた。
10時の講義を受けて朝の5時に帰るんだよ。当時、いやついぞ1年程前まで?その環境が有り難いと思っていた。今思えば、「おかしいよ」という周りの言葉の意味が分かる。
身を置く場所を間違えちゃったな。
今の私。
他人の目が気になって
というより
正しいものが、いくべき道が
他人に批判されるものであるという恐怖に思考が歪んで
自分の思う可愛いも行動も思考も夢も判らなくなって
こんな人生、全然楽しくない
変えなきゃ。思い出さなきゃいけない。
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