善人という無自覚の加害者
「誹謗中傷を書き込むのはどんな人物だと思いますか?」
そう聞かれたら、あなたはどう答えるだろう。
おそらく以下のような人物を想像する人が多いのではないだろうか。
現実世界で誰からも相手にされない
常識がない
社会的地位が低い
友人がいない
僕はこういった解答をする人ほど誹謗中傷を書き込んでいるんじゃないかと思っている。
あるいは書き込みはしないにしても、書き込んでいる人物に近い価値観を持っているんじゃないかと思っている。
誹謗中傷をする人物の特徴
誹謗中傷をしている人物の書き込みをたどってみると、以下のような特徴を持っていることが多い。
社会的地位は平均かそれ以上
結婚して子供もいる
真面目で共感能力が高い
つまり、どこにでもいる平凡な市民だ。
誹謗中傷に関する論文を見てもだいたい似たような統計データが出てくる。
また誹謗中傷の典型例として有名な"スマイリーキクチ事件"の被疑者19人も、被害者であるキクチ氏によれば
「怪しい目つきの2人を除き、どこにでもいる普通の人」
だったという。
自覚のない加害者たち
誹謗中傷者を観察していてよく分かるのは、彼らに加害者意識がまったくないことだ。
これはYahooニュースやTwitterで、いじめや誹謗中傷の話題にコメントしている人の過去の書き込みを見ればすぐに分かる。
加害者に対して憤激している人物が、別の話題では平気で誹謗中傷コメントを書き込んでいるのだ。
どうして彼らには自覚がないのか。
理由のひとつは、冒頭で述べたような
「誹謗中傷をするのは自分とはかけ離れた属性を持つ人間だ」
という偏見があるからではないだろうか。
これはとくにヤフコメ民によく見られる特徴なのだが、彼らはとても生真面目で、常識に従順である。
親や教師から「善いこと」として教えられた教訓を、あるいは世間的に「善い」とされている価値観を、まったく疑うことなく信じきっている。
それゆえ彼らの怒りのほとんどは常識や標準から外れたものに向けられる。
彼らからすれば「善いこと」しかしていない自分は、誹謗中傷という「悪いこと」をする劣悪な人間とはかけ離れた存在なのである。
自らの善良さに、そしてその正しさに確信を持っているのだ。
その善良さこそが誰かを傷つけ不快にさせているとは夢にも思わない。
ちょうど他人のマナーに過敏な人間が、その神経質な振る舞いが周りを不快にさせていることに気づかないように。
善良な凶器
善人が他人を裁くときに使用する凶器は「常識」である。
不倫をした芸能人に対しても、非常識な言動をした芸能人に対しても、身の回りにいる標準から外れた人に対しても、これを使って攻撃する。
非常識、マナー違反、みんな、ふつうは、まともな親は、まともな社会人なら……
いずれも彼らの常套句だ。
そしてこれらの常套句こそが誹謗中傷にもっとも使用される凶器なのである。
これが無自覚の加害者が跋扈する理由の2つ目だ。
彼らは善良であるがゆえに、この凶器が持つ殺傷力に気づけない。
陳腐な悪
高い共感力と優しさは善人に共通する特徴だ。
ただしその共感力と優しさは適用範囲が決まっている。
自分と同じ考えを持つ人間に対してのみ発揮される、いわば条件付きの共感と優しさなのだ。
世界観を共有できない人物に対しては、一転して冷酷無残な態度を見せる。
コロナ騒動では、思いやりを声高に主張する善人が、異なる考えを持つ人間に対して容赦ない罵倒を浴びせた。
少し前には、ドラマ原作者の自死を惜しむ善人が、こんなやつは死んでも構わないといわんばかりに脚本家を責め立てた。
現在でも、イジメの被害者を哀れむ善人が、「フワちゃん」や「広末涼子」や「小室圭」などへの集団リンチに平然と参加している。
彼らはどうして同じ過ちを繰り返すのか。
悪の居場所を見誤っているからである。
悪は道徳の外側に存在するのではなく、道徳の内側に存在するのだ。