真面目を美徳と捉えている人が多いことが恐ろしい 【マジメ批判①】
ネットを見ていると、世の中には「真面目」を美徳と捉えている人が非常に多いことが分かる。
おそらくこのNoteの読者にも同様の価値観を持つ人は多いだろう。
だからこんなことを書くとまた読者を不愉快にさせてしまいそうなのだが、僕は「真面目」を美徳ではなく諸悪の根源だと思っている。
真面目な人たちにとって許せない存在
小学生の頃、僕を傷つけるのはたいてい生真面目な人間だった。
体育の球技では、勝ち負けに対して生真面目なスポーツマンが、運動音痴の僕に毎回ブチギレてきた。
音楽の合唱では、優等生で生真面目な少女が、口パクの僕に「ちゃんと歌えよ!」と怒鳴りつけてきた。
給食の時間には、ふつうの味覚を持っている生真面目な少年が、味覚のおかしい僕に「食えよ!」と何度も強要してきた。
図工の自由課題では、子供らしい絵を好む生真面目な教師が、拳銃を持って笑っているヤクザの絵を描いた9歳の僕をなぜか叱りつけてきた。
思い返してみると、僕をいじめていた人間や僕に敵意をもっていた人間のほとんどが生真面目な性格だった。
彼らからすれば、「こうあるべき」という基準から大きく外れている僕がとにかく癪に障るのだろう。
そういえばクラスで僕一人だけ「置き勉」をしていて叱られたこともある。
なぜ置き勉がダメなのかは今でもよく分からない。
どうせまた持って行くんだからそのまま置いておけばいいのに。
中学時代
中学時代もそうだ。
合唱コンクールに向けて朝練を提案したのは生真面目ガールである。
やりたいなら一人で勝手に練習すればいいのに
「みんなで朝練しようよ!」
なんて鬱陶しいことを言い出したのだ。
そしてこういう取り決めは声がでかい人間の主張が採用される。
彼女たちは声の小さい反対派の存在を無視して勝手にルールを作り、それに従わない人間を全力で批難する。
「みんな真面目に頑張ってるのに!」
「みんなで決めたんだからルールは守ろうよ!」
みんなって誰だよ。
一部の生真面目な人間が勝手に決めたんじゃないか。
君たちは「クラスが一丸になる」ことが気持ちいいのかもしれないが、僕は「クラスが一丸になる」ことが気持ち悪いんだよ。
ただでさえ学校が大嫌いなのに、どうして生真面目ガールたちの欲求を満たすために早く家を出なければならないんだ。
そもそも僕は口パクなんだから練習に参加しようがしまいが関係ないじゃないか。
……経験上、生真面目な人よりも適度に不真面目な人のほうが他人に寛容なことが多かった。
ネットを見ていてもそう思う。
(以下の記事に続く)