善良な人間ほど鈍感である
善良な人間ほど鈍感であることが多い。
ここでいう善良な人間とは、世間一般の価値観と自らの価値観にほとんどズレがない者を指す。
すなわち、大多数の人間が「善い」と感じることを善いと感じ、大多数の人間が「悪い」と感じることを悪いと感じる者である。
言い換えるなら感受性のマジョリティだ。
なぜそれが鈍感さにつながるのか。
彼らが人生の大半をエコーチェンバーの中で過ごしてきたからである。
エコーチェンバーとは、価値観の似た者同士が集まって特定の意見ばかり見聞きしているうちに、偏った意見を絶対視するようになる現象だ。
SNSや匿名掲示板の閉鎖性に対してよく使われる言葉だが、感受性のマジョリティは現実世界でこれを体験する。
1.偽の合意効果
人には「自分が考えていることは他人も自分と同じように考えるだろう」と見なす心理傾向がある。
こうしたバイアスを偽の合意効果(フォールスコンセンサス)という。
感受性のマイノリティは人生の比較的早い段階で、このバイアスが誤りであることに気づく。
右を見ても左を見ても自分と同じ考えの人間がいないからだ。
ところが感受性のマジョリティはなかなか誤りに気づかない。
右を見ても左を見ても自分と同じ考えの人間ばかりだからだ。
周囲の人間と答え合わせをすればするほど、自らの正しさに対する疑いは消失していく。
こうして自らの感受性を「まとも」だと確信した人間は、懐疑能力を失う代わりに一種の鈍感さを得る。
2.黄金律の欠陥
黄金律とは、
「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」
という『マタイの福音書』に代表される倫理的教訓を指す。
似たような教えはいたるところに広がっており、日本にも
「我が身をつねって人の痛さを知れ」
という、ことわざがある。
だがこのよく知られた道徳は万能ではない。
自分の快苦と他人の快苦は必ずしも一致しないからだ。
つまり自分がしてほしいことを他人がしてほしいとは限らないし、自分が苦痛でないことが他人にとっても苦痛でないとは限らないということである。
至極当たり前の話に思われるかもしれないが、感受性のマジョリティの中にはこれを理解していない人間が驚くほど多い。
彼らは以下のような主張を平然と口にする。
「みんなやっているのにどうしてお前だけやらないんだ」
「みんな苦痛に感じていないのだから、苦痛を訴えるのはわがままだ」
「みんなできているのだから、できない人間は努力が足りない」
生まれ持った能力や感受性が人によってバラバラであることを理解していれば、安易にこうしたセリフを口にできない。
みんな(=自分を含む感受性のマジョリティ)こそが正常な人間である、という確信を持っているこそ平然と口にできるのだ。
ある人にとっては快感である事柄が、別の人にとっては不快であるかもしれない。
ある人にとっては苦痛を感じない、もしくは小さな苦痛でしかない事柄が、別の人にとっては大きな苦痛であるかもしれない。
「善良な人間」であればあるほど、そうした想像力が欠乏していることが多いように思える。
(以下の記事に続く)