カエルの女神と夜の王 第一話
急いでお針子に仕上げさせたラナデアの花嫁衣装は伯爵家の令嬢としては質素なものでしたが、それでも精緻な花模様のレースがふんだんにあしらわれていて最高級の真っ白なシルクで出来ていました。きらきらと繊細な輝きを持つラナデアの長い金髪には(これもレースで縁取られた)ベールがかぶせられており、その上には白いオレンジの花と赤い薔薇で出来た花輪が載せられていて、少女のように見えるラナデアの美しさをいっそう際立たせていました。
伯爵家の紋章がつけられた目の覚めるようなブルーの四輪箱馬車に乗せられたラナデアは、たったひとりで――もちろん御者席には御者がいましたが――鬱蒼と木々の茂る闇の森へ向かいました。どんな時も一緒にいたシルキーのミセス・ラピスは取り憑いている屋敷から出られないので、ラナデアの乗った馬車が敷地から出て行くのをいつもよりずっと悲しげな顔をして窓から見送っていました。しかしそんなことはもちろん、ラナデアは知りませんでした。
五月も半ばになり春らしくぽかぽかと暖かい日でした。闇の森の手前を流れるエイバン川に一本だけかけられた橋へ向かう途中村の中を通りましたが、村人たちは少しだけ開けた扉から通る馬車を眺めてヒソヒソと話しているだけでした。皆ラナデアが伯爵から疎まれていることと、嫁ぎ先である闇の館のことをよく知っていたので決して幼い花嫁の門出を祝うことはありませんでした。
それでも馬車の中でラナデアはわくわくとしていました。きょうだいたちとは違い基本的な作法と読み書きを教わった後はカヴァネスをつけてもらえなかったので、ラナデアは世間のことをよく知りませんでした。それにもともと先のことをくよくよ悩むほうではないから、あれこれと新しい生活のことを想像して楽しみにしていたのです。
「お嬢様、着きましたよ」
ガタンと揺れた馬車が止まり、ラナデアの座る箱型の座席を窓から覗き込んだ御者が言いました。御者は痩せた年かさの無愛想な男でしたが、ずっと屋敷の中で暮らしていたラナデアは姿を見たことがありませんでした。
「御者さん、ここはまだ森の入り口ではないかしら」
「そうですが、お嬢様にはこちらで降りていただくよう言われてまして。どうも、闇の館のほうから迎えが来るみたいですよ」
そうラナデアに告げた御者が指差した先には、古ぼけた小屋がありました。そこは闇の森を守る番人の家でしたが、人の住んでいる気配はなく荒れ果てていました。そんな寂しい場所にひとり降ろされてしまったラナデアは、汚れないようにドレスの裾を摘んだまましばらく立ち尽くしていましたが、意を決すると小屋に向かって歩き出しました。あの様子では中に入れないかもしれないけれど、道の真ん中でぼんやりしているよりはましだと思いました。
「もしかして領主さまは、お忘れになっているのかしら……」
やはり朽ちた木材や古い食器の類が散乱していて中へは入れなかったので、ラナデアは小屋のほとんど取れかけている扉の前にしゃがんで頬杖を付いていました。せっかくのドレスにはすでに土が付いてしまっていたけれど、待てども待てども迎えが来ないのに飽き飽きしたラナデアは途中から気にするのをやめてしまったのでした。
「おや、こんなところに人間の花嫁がいるよ」
「旦那はどこだ? もしいないのなら、俺たちの花嫁にしてしまおうよ」
どこからかそんな声が聞こえてきて、手遊びに足下の土をいじっていたラナデアは顔を上げました。すると目の前に男が二人立っていたので驚いて尻餅をついてしまいました。しかし、よく見ると彼らは人間ではありませんでした。
「お嬢さん、こんなところで何をしているんだい? もしかして、誰かを待っているのかな」
「さっきからずっと待っているんだろう? そんな不実なやつなんて放っておいて、俺たちと踊ろうよ」
まるで歌のように節をつけて話しかけてきた二人は、上半身はふつうの男に見えましたが腰から下は山羊でした。それにそれぞれフルートのような楽器を手にしていました。
「もうし、あなたがたは森の領主さまのことをご存知ですか? ここへ迎えに来てくださるはずなのです」
「領主? はて、そんなやつ居たかな。この森は俺たちのもので領主なんか居ないよ」
「そうだそうだ。でももしかすると、この娘はあいつのことを言っているんじゃないかな、きょうだい」
「ああ、領主とはあいつのことか。さすがだなきょうだい。やはりお前は頭がいい」
ラナデアの問いかけに相変わらず歌うような口調で答えた半人半馬の二人組の一人が相方のことを褒め、揃って嬉しそうな様子になると腕を組みその場でぐるぐると回り始めました。山羊の蹄の音が高らかに響きます。
「あの、もし領主さまをご存知なら、わたくしが待っていることを伝えていただけないかしら」
金の眉を曇らせたラナデアは二人に頼みましたが、回るのをやめないどころか持っているフルートを吹き鳴らし始めました。どうやら彼らは一度楽しい気持ちになってしまうと、周りのことが目に入らなくなるたちのようでした。