カエルの女神と夜の王 第七話
朝早くには立ちこめていた霧もすっかり晴れていて、薄い雲ごしに陽の光が届いていました。昨日は薄暗くなってから着いたからよく見えなかったけれど、闇の館の庭には様々な植物が生い茂っていました。まず目についたのは血のように赤い薔薇の花で、その鋭い棘で侵入者を阻むためか屋敷の周りをぐるりと囲うように植えられていました。ラナデアはそんな薔薇の壁にひとつだけ造られたアーチをくぐりましたが、そこの棘はちゃんと手入れされていたので新しい服を破かないですみました。
「なんてきれいなんでしょう」
なぜだか赤いものしか植えられていなかったけれど、一面に咲いている薔薇たちを眺めたラナデアはうっとりしました。えも言われぬ良い香りがして、目を閉じればまるで天界の花園にいるかのような気持ちになりました。けれどもそんな景色には似合わない無愛嬌な音がして、顔をしかめたラナデアはぺちゃんこの腹を押さえました。
「とにかく、木苺を探さなくっちゃ」
ミセス・ラズリが渡してくれたかごを握りしめたラナデアは自分に言い聞かせるように呟くと、しっかりした足取りで進みはじめました。アーチから続く薔薇のトンネルは五フィート(※約一・五メートル)ほどで終わって、今度はチェリーセージやジキタリスの花畑が広がり、ラケルタの背に乗って抜けた闇の森と違い屋敷の周りは広く切り開かれているとわかりました。
「木苺、木苺」
花畑の向こうには灌木が生い茂っていて、そのあたりに木苺があるかもしれないと思いました。もはや空腹を覚えないほどに胃の中が空っぽでしたから茂みを見据え一直線に歩いていったけれど、ときおり靴下が引っかかるような感じがして気になりました。四度目か五度目にはくるぶしまでずり落ちてきたので足もとを見ると、そこには緑の洋服と揃いのナイトキャップを被った数匹のピクシーが居て、小さな手でラナデアの靴下を引っ張り下ろそうとしていました。
「こらお前たち、やめてちょうだい」
足を持ち上げて妖精たちに注意しましたが、キーキーと喚くのをやめません。仕方がないので屈んで耳をそばだてると、しきりに「いけにえ」と口にしていました。
「生贄? 生贄がどうしたっていうの」
尋ねても埒が明かなかったので、大きなため息をついたラナデアは靴下を直して立ち上がりました。それから歩き出そうとしましたが、またしてもピクシーたちは手を伸ばして靴下を引っ張りました。
「もう、いったい何なのよ」
さすがのラナデアも苛々して顔をしかめた時、ジキタリスの葉の陰からピクシーたちの中では特に大柄なひとりが進み出てきました。
『もうし、そこの大きなお方』
他の者たちよりも幾分か知的な顔つきをしたそのピクシーは、ラナデアを見上げると(彼らにしては)大きな声で呼びかけました。
「あらあなた、話がわかるのね。お仲間たちに靴下から手を離すように言ってちょうだいよ」
『靴下のことはあいすみませんな。ですが、私たちはあなたの大きな靴で庭を踏み荒らされたくないだけなのです』
「そうだったのね。ごめんなさい、わたくし花を踏んづけてしまったかしら」
ラナデアが素直に謝ると、大柄なピクシーは満足げに頷きました。どうやら謝罪の言葉が欲しかっただけのようです。
「このお庭、とっても素敵ね。あなたたちが手入れしているの?」
『そうですよ。私たちは、ずうっとずうっと昔からノックス様にお仕えしているのです』
「あら、ラケルタさんは他に使用人がいないと言っていたのに」
『失礼な。私たちは使用”人”なんかじゃありませんよ』
大柄なピクシーが不愉快そうに言うのに、ラナデアはなるほどと頷きました。広大な敷地をラケルタひとりでどのように手入れしているのか不思議に思っていたけれど、ノックスは妖精たちを働かせることができるようです。
「ねえ、さっきからお仲間たちは『いけにえ』と言っているようなのだけれど、どういう意味かしら」
『それは……』
尋ねると、顎ひげに手をやったピクシーは言い澱みました。それからキョロキョロしたと思ったら、未だ喚いている仲間たちに妖精の言葉で声をかけジキタリスのトンネルへ逃げ込んでしまいました。
「ちょっと、まだ質問に答えていないわよ!」
ピクシーたちが一斉に居なくなってしまい、ラナデアは追いすがろうとしました。けれども時すでに遅く彼らの気配はすっかり消えて、少し湿った風に吹かれた色とりどりの花々がそよいでいるだけでした。