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暗闇のエーテル(第11章 環境保護団体)

 午前八時。大勢のサラリーマンがパン工場の製造機からベルトコンベアで運ばれるように規則正しく改札口を通過する。ぴっぴはシャティエン駅の待合室で寝ていたが拡声器の音で目が覚めた。

「街と街とを繋ぎましょう。殺伐としたこのコンクリートの街を、たんぽぽの花で繋ぎましょう!」

 プラスティックの固い椅子ではよく眠れなかった。顔も洗わずに眠った為瞼は腫れ上がり、寝ぼけながら声の方に顔を向ける。

快晴。

 冬の始めの澄みきった空気の日、ロータリーの地面は銀杏の葉が一面黄色い絨毯を敷き詰めたように発光している。ぴっぴはくしゃくしゃと葉を踏みながら、拡声器から聞こえる音の方へ歩いて行く。

 絨毯の中央には血色のよい五十代の男が立ち、白い手袋で拡声器を掴み力強く演説をしている。両脇には女性が二人、行き交う人にビラを配っている。女性は双子のように容姿も背格好も似ていて、長い黒髪をバレッタで留めている。寒さのせいであろうか、青白い顔をしている。

「街にたんぽぽを植えましょぅ」

 気の抜けるような声の女性の一人からビラをもらおうと手を差し出すと、掴んだ途端突風が吹き抜ける。周囲の銀杏の葉が一斉に舞い上がると、ぴっぴはビラが飛ばされないようにしっかりと両手の親指で挟んだ。風が止むと右手で長く伸びた髪の毛をかき分け、ビラの文字を読む。

シャティエンから…まで、たんぽぽでまちをつなぎましょう。

 銀杏の葉が一枚、ビラの上に乗り文字を隠している。ぴっぴがそっと銀杏の葉を掴むと、下の文字が見えた。

ファロス

 その文字をみると銀杏の葉っぱを掴んだまま腫れた目を大きく見開いた。

「ファロス…」

 固まっているぴっぴの背後からスピーチをしていた男が声をかけてきた。胡散臭い政治家のように板付きの笑顔、今時バーコードヘアーである。

「あなたの募金がたんぽぽになります。どうですか、街がたんぽぽでいっぱいになるのは素晴らしいと思いませんか!」

 明け透けの台詞に少し戸惑った。

「あ、あの…」

 男はぐいっと顔を覗き込むと、チシャ猫のような企み顔で話す。

「一〇〇円でもいいんですよ。」

 金はない。ところがぴっぴは迷っている。なんと伝えたらよいのか言葉を探し倦ねていると、目の端で何かが動いた。顔をそちらに向けるとロータリーの端から銀杏が波形に盛り上がっている。

「あれは...」

 突風が来ると思うより先に風はぴっぴを通り抜け、辺りの銀杏が重なりながら舞い上がる。ところが先程とは違い中々止まない。舞い続ける銀杏の葉がキラキラとお日様の光で輝くと溶けて砂となり、吹雪のように空気中に散らばる。

 遂には全ての銀杏が砂となった。ぴっぴはチラシを持った左手で庇を作ると右の掌を見つめる。叩きつける砂の輝きで懐かしさが込み上げてくる。そのままぎゅっと握りしめた。

 男はぴっぴが黙っているので苛立ち、目を細める。これは金にならないと踏むと、別のサラリーマンの方へ歩き出した。銀杏の葉を踏みしめる乾いた音に気づいたぴっぴは、慌てて男に声を掛ける。

「あ、あの!ぴっぴをファロスとうにつれてってください!」

 突然ぴっぴが大声をあげたので、男はサラリーマンからぴっぴへと顔を戻す。握りしめた砂はいつの間にか銀杏の葉へと戻り、ぴっぴは葉を握りしめたまま男の返事を待っている。緊張して身体が震える。

 男は返答に困り、身なりをまじまじと観る。ぴっぴは見窄らしくお世辞にも連れて歩きたいとは思えない。

「おじょうさん、それはできません。」

 男は出来るだけ丁寧に答えた。そしてこの怪しい身なりの女性から離れようとゆっくり後ずさる。ぴっぴはいよいよ泣き出しそうになる。

チャリン

 隣で募金箱を構えていた一方の双子風女性の箱に、改札を出たサラリーマンが小銭を入れた。魔除けの鈴のような金属の響きを聞いたぴっぴは目を見開く。懇願していたそれまでの流れは断ち切られ、顔からは全ての表情が消えた。

「ぴっぴはひとりでもいきます。」

 その言葉を聞いた男はさがりかけた足を止める。ぴっぴは右手に持っていた銀杏の葉をだらりと下げた手の指先で捻り、くるくると回している。

「それならあなたにお願いしましょう。」

 男は含み笑いを浮かべると鷹が獲物を仕留めるような鋭い目でぴっぴが左手に持っていたビラを素早く取り上げた。

「あなたにこれは必要ありませんね。」

 それから男は青白双子のうちの一人に声をかけた。

「きみ、この人をオフィスにお連れしなさい。」

 そしてぴっぴに聞かれないよう小声で

「これは好都合だ。自分たちで種を蒔かなくても、たんぽぽの種を蒔いてくれるおめでたいやつが現れた。活動が実際に行われている事が証明できればNPO法人として認められる。そうすれば事業が軌道に乗るぞ。あの女には決して我々の活動や団体名を教えるな。後から給料や保証を求められると厄介だからな。」

 ほくそ笑む。女はバケツいっぱいの牛乳を飲まされたような苦しそうな顔で、目をシロクロさせながらその言葉を飲み込んだ。そしてグッと頷くと男に肩甲骨の辺りを叩かれ気合いを入れられた。振り返ると女性は覇気のないなりにぴっぴに笑顔を浮かべ

「こちらへどうぞ」

 と言った。それを聞いたぴっぴは女性の後ろについて歩き始めた。

 道の途中、女性は少し後ろをついてくるぴっぴを時折ちらちらと見る。ぴっぴは何を考えているのか、道の先の方に目を向け、まっすぐ歩いている。

「ここを左に曲がります」

 華やかな表通りから人通りの少ない住宅街に入った。自動販売機の前を通り過ぎた所で、女性は足を止める。

「ここがオフィスになります」

 古びたプレハブの小屋だ。硝子の引き戸は古い駄菓子屋のような造りで、内側には日に焼けて黄ばんだカーテンが付いていた。女性は自転車につけるほどの小さな鍵をポケットから取り出すと鍵穴に差し込んだ。

 立て付けの悪い戸を開き、内側にあるカーテンを除けて中に入る。部屋はコーヒーのシミがついたボロボロの応接セット、椅子の上には中身の入った水色のゴミ袋が三つ、机の上にはビラ配りのために準備をしていた印刷物が散乱している。女性はぴっぴが部屋に入ったのを確認すると背後に回り込み、閉めきっていたカーテンを開けながら

「代表は元小学校の用務員だったんです。少子化で勤めていた学校が廃校になり、今の事業を始めました」

 淡々と説明をする。応接セットの後ろには木製の階段が三段だけあり、上がると二畳だけ畳になっている。畳の上には小学校にあるモップや箕、個人箒、チリトリ、熊手など掃除道具が散乱している。

 女性は階段を上り、畳の上にあった掃除道具をガラガラと動かし始めた。ぴっぴは様子を見ながら突っ立っている。やがて大きな砂袋を除けると、赤煉瓦色の鉄の持ち手が見えた。右手でぐいっと掴むと無理矢理引っ張りだす。周りの掃除道具がガラガラとベニヤの床に落ちて行く。

「これが種まき器になります。名前はたんぽぽゼロ号です」

 運動場に白線を引くラインマーカーだ。あまりに粗末な造りだったのでぴっぴは

「…これ、たねまけるんですか。」

 と素直に尋ねた。女性は返答に困った顔をしたがすぐさま

「…ええ、セグウェイを参考に少し改造をしてエンジンをつけたんです。車輪も大きくしたので後ろに乗れますよ」

 確かに、石灰を容れる箱から空に向かって排気口がついている。持ち手の部分は姿勢を真っ直ぐにしても乗れるよう延長され、角度も調節出来るようになっている。持ち手には申し訳程度にマジックテープでLEDライトもついている。ステップは、乗車しない時には格納出来るようになっていた。

「…なるほど…。ではのってみようとおもいます。」

 ぴっぴはラインマーカーを傾け、持ち手の角度を調節するとステップを降ろした。

「ここにエンジンがついています」

 女性は石灰容器についている小さな吊り輪型のつまみを掃除機のコードのように勢いよく引っ張る。ワイヤーが伸びエンジンがかかった。

プポンプポンプポンプポンプポンプポンプポンプポン…

 50CCバイクエンジンのような軽く乾いた音がする。

「乗ってみてください」

 ぴっぴは足踏みミシンのステップ程度の鉄板に両足を乗せる。ビワワーンと振動が全身に伝わる。

「ではロックを外しますよ」

 車椅子についているようなレバーを外す。乗っているステップの重心を前に倒すとたんぽぽゼロ号は早歩き程度の速さで動き出す。石灰口からは、絶えず綿毛がホワホワ出続けている。綿毛はあちらこちらに散らばって部屋の中をぶわぶわ自由に飛び回る。一通り運転に慣れるためぴっぴは辺りをくるくる小回りする。運転方法を理解するとロックをかけてエンジンを切った。

「代表は低速で走る為に色々と改良をしていたようです」

 ぴっぴはおんぼろのたんぽぽゼロ号が気に入り、僅かな愛情から持ち手をすりすりさする。

「それではこれでたねをまきますのでください」

 女性は椅子の上に置いてあったゴミ袋からありったけの綿毛を麻袋に詰め直すとぴっぴに渡した。ぴっぴは麻袋に付いている長い持ち手を両肩に掛け、リュックサックのように背負う。いよいよ出発しようとした時に、何かを思い立ち女性の顔を見る。

「これはなにでうごいていますか。」

 女性は戦慄する。そして平静を装いながら

「そ、そうでした、お待ちください」

 掃除道具の中を覗いた。これと言って燃料になりそうなものはない。弱りながら振り返り、応接セットの机の下に目をやると、ウォッカのボトルが目に入る。すると急いでそれを手に取り

「ああ…ありました!これです、これで動きます」

 高らかに掲げてみせた。

「なるほど、ではそのびんももらってゆきます」

 瓶を受け取ると、綿毛の中に一緒に入れる。ところが袋に入りきらず、瓶の口が麻袋から飛び出している。

「それではいってきます。」

 一礼する。女性は全てうまくいったと思った。後はこの得体の知れない小娘がここから出て行ってくれさえすれば万事成功だ。緊張の糸が解れ俯いていた顔を晴れ晴れとした気持ちで上げた。ぴっぴは袋を担いだままごそごそと位置を調節している。

(大体何者なのだ。年頃の若い娘が突然得体の知れない宗教団体のような自分達の協力をしたいなどと)

 ぴっぴは再度たんぽぽゼロ号の運転方法を確認している。

(給料や社会保障や出先からの連絡先なども全く聞こうとしない。本当に頭が悪いだけなのかしら)

 ぴっぴは女性と目が合うと、照れくさそうにニッと笑ってみせる。不意をつかれ驚いた。

(第一あのたんぽぽゼロ号が途中で故障するかもしれない。病気になったらそこからどうするのかとか…)

 ぴっぴはサッシ戸に手をかけると、出て行こうとする。

「お待ちください。」

 震える声で女性は言葉を発したと同時にそれを悔やんだ。ぴっぴは驚き振り返る。

 「まだなにか…。」


 代表の指示通りにやって来た事がこの一言で全て台無しになってしまった。女性は頭の中が瞬間的に真っ白になる。

 ぴっぴは女性が話すのを待っている。女性は我に返るとはっきりと自分の意志を固め、下唇を噛むとまっすぐぴっぴの目を見て話始めた。

「本当は、全部嘘なんです。」

 ぴっぴは女性の言った意味が解らなかった。

「え…」

 女性は喉につかえていた気持ちを全て吐き出すように話し始める。

「たんぽぽで環境を守ろうとか、開発した器械とか。あなたが今から乗ろうとしているものは一度も実際に使った事などないのです。私達は環境保護団体のフリをして他の人からお金を騙してもらっているのです。あなたの事も…騙したんです。」

 覇気のなかった女性があまりに勢いよく話すので、ぴっぴは怒りや苛立ちよりも、心の中にぽっかり小さな空き地ができた。女性はいっぺんに全てを吐き出したので息をするタイミングを失い、言い終わった後息を吸ったり吐いたりして呼吸を整えている。

 そしてぎゅっと目を瞑り、もうどうにでもなればいいと思っていた。しかしぴっぴはおんぼろのたんぽぽゼロ号を見るといひひと歯を見せて笑った。それから小さな声で答えた。

「どっちでもいいんです。」

 女性は目を開け、ぴっぴの顔をみつめる。

「ぴっぴはめがみえません。ぴっぴにはほんとのものはみえません。ほんとのものがどこにあるのかもしりません。」

 突然の告白に女性はその事実を信じられない。

「目が…みえないのですか。」

 ぴっぴはコクリと頷く。そしてたんぽぽゼロ号をギコギコとその場で前後に動かしながら続ける。

「だいひょうのおじさんは、いつかはほんとうにたんぽぽをうえようと思ってたのかもしれません。」

 女性は耳を疑った。そんな事あるわけないだろうという言葉が喉まで出かかった。

「でなきゃこのぜろごうをつくったりしないです。それに…」

 秋の短い昼間は二人の肩を通り抜け、あとほんの数時間で闇に沈もうとしている。

「それにぴっぴがこれでたんぽぽをうえれば、みなさんはうそじゃないです。ほんとうにたんぽぽをうえるためにやったことになります。」

 はっとした。しかし、またすぐに目を伏せる。

「たんぽぽを植えても、環境はよくなりませんよ」

 ぴっぴは目を瞑る。春の始めの少しだけ暖かい風が吹いている。頭の中では国道沿いに数えきれない無数のたんぽぽが咲いている。ぴっぴはその中に立っている。

「たんぽぽがさいていると、きいろとみどりいろがまちにふえます。それで、うれしいきもちになります。それは、かんきょうがよくなったことにはなりませんか。」

 女性は話を聞きながらゆっくりと顔を上げた。ぴっぴを見ると入り口から差し込む夕日で輪郭が輝いている。

「…あなたは、本当に目が見えないのですか」

ぴっぴは目を開ける。

「はい。」

 それから振り返ると右手で入り口のサッシを開けた。女性はとっさに地面に置いてあった募金箱と地図に目が行く。鷲掴みにするとぴっぴの前に回り込んだ。

「あの、これ使ってください。私達が嘘でなくなるのであれば、これはあなたが生活するのに必要です。旅先で食料を調達する足しにしてください。」
 

シャリン…

 傾いた募金箱の内側で鈍い金属音が鳴る。

「ありがとうございます。」

 それを受け取るとぴっぴは入り口を出る。心配そうに見つめる女性を背に、エンジンをかけると国道を目指し出発した。


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