「全部自作」の未来はやって来るのか?
生成AIの発展により、ソフトウェアの生成コスト(手間・費用ともに)が限りなくゼロに近くなってくる日もそう遠くないと思います。
AIによってパーソナライズ化されたものが作り出せる世界になった時、果たして自分が作ったモノのみを使うようになるのか、それともこれまでのように誰かが作ったモノも引き続き利用するのか。
個人的には残ると思っていて、以下のエンタメコンテンツの考察記事にもあるように共有によって評価がされ、それがモチベーションになったりすると思うので、アプリにおいてもそれが当てはまると考えています。
ここの解像度を上げるべく、o1 proに問いを投げてみました。
生成AIによるパーソナライズが極度に進んだ世界で、「すべてが自分の手によるもの」だけで満ちるのか、それとも他者の創造物が共存するのか? さらに、その両者はどんな関係性を結ぶのか?
この問いを掘り下げるには、人間がなぜ“創造”に惹かれ、なぜ“他者”を必要とするのかという根源的なテーマに向き合う必要があります。以下では、個人と共同性、そしてAI技術がもたらす新たな可能性を横断しながら論じてみます。
1. “自分だけの世界”を欲する欲求と、その限界
1-1. 個人の欲望を最大化する自由
生成AIが高度化すると、一人ひとりの心の奥底にある欲望や嗜好を精密に反映したコンテンツを瞬時に生み出せるようになります。これは言い換えれば、「自分のイメージがそのまま世界に投影される」という、かつてない自由の獲得を意味します。誰にも干渉されず、外部の評価を気にしなくても済む。それは大きな解放感をもたらすでしょう。
1-2. “自我”の曖昧さ
しかし同時に、人間の自我はしばしば曖昧で、矛盾や迷いをはらんだ存在でもあります。何が本当に好きなのか、どんな未来を望んでいるのか、自分ではよく分からないまま日々を過ごす人は珍しくありません。もしAIが提示する無数の可能性の中から「あなたの理想を選んでください」と言われても、そもそも“理想”がぼんやりしている人にとってはハードルが高いのです。
2. 他者の存在によって“自分”は形成される
2-1. 他者を介して見つかる自分の輪郭
人は常に他者との関係の中で自分を認識します。尊敬するクリエイターの作品に影響を受けたり、友人の何気ない褒め言葉から新たな好みに気づいたり……。自己は他者によって照らされ、初めて輪郭を得る面があります。
たとえば、大規模な映画やゲームを観て共感を覚えることで、「こういう世界観が自分は好きなんだ」と初めて自覚する。
誰かが生み出したアプリやツールを使ってみて、“実は自分にはこの機能が必要だった”と発見する。
このように、自分の本当の欲求や価値観を言語化するには、他者や既存の作品が何らかの刺激や手がかりを与えてくれるのです。
2-2. 他者のストーリーへの共感
また、他者が注ぎ込んだ情熱や物語性に触れると、そこに共感や感動が生じます。人間の創造過程には無数の試行錯誤や苦労があり、そこから生まれる“想い”が込められたコンテンツは、AIがいくら大量生産しても埋めがたい価値を放ち続けます。ここに「誰かが作ったもの」の意味があり、単に個人の欲望を満たすだけでは得られない刺激となるわけです。
3. パーソナル生成と他者の創造の共存
3-1. 使い分けられる創作スタイル
生成AIが普及した世界では、一から自分の欲求を突き詰めて“完全オーダーメイド”の体験を作り出すことが可能になります。一方、他者の作品をそのまま利用する道も依然として残り、むしろ強化されるでしょう。なぜなら、
自分には思いつかないアイデアを他者が生み出しているからこそ、自分のビジョンが広がる。
理想を描けない人や、描きたくてもスキルや言語化能力が足りない人にとって、すでに“完成度の高い”他者の作品は安心して受け取れる財産となる。
ここで重要なのは、“自分で作る”と“他者から借りる”が対立するのではなく、状況に応じて自在に行き来できる点です。
3-2. 微調整と再編集という楽しみ
AI世代の創造プロセスでは、他者の成果物を“素材”として取り込み、自分の好みに合わせて微調整する手法が一般化するかもしれません。元のエッセンスは保ちつつ、自分の好みに最適化したバージョンを楽しめるというわけです。
完全な“自分発”ではないが、自分だけにフィットした仕上がりを得られる。
オリジナルの良さと、パーソナルなカスタマイズの両方を味わえる。
これは「誰が作ったか」という線引きを超えて、クリエイションのコラボレーション的なあり方を広げるでしょう。
4. コミュニティの意味合い──“私”と“あなた”の交差点
4-1. 承認や一体感を求める人間性
個人で完結するパーソナル世界を追求するだけでは、どこか物足りなく感じる人も多いはずです。人間には、
自分が好きなものを共有し、他者と盛り上がりたい欲求
“自作”を評価してほしい、あるいは他人の力作を称賛したいという承認欲求
が存在します。この心理的動機が、コミュニティの形成を後押しします。
4-2. 多様性の交わる場としてのシェア
さらに、コミュニティとは単なる承認の場を越えて、多様性が交わり、新しい価値や視点が生まれる出会いの場でもあります。自分と全く異なる嗜好を持つ相手から学ぶことで、想定外のアイデアやインスピレーションを得られることもあります。結果として、“完全個人化”が進むほど、逆に“他者の独自世界”に興味を持つ動機も強まっていく可能性があるのです。
5. 結論──「自分だけ」と「他者の創造」はどちらも不可欠
“自分の欲望を映し出す鏡”としてのAI生成は、創造活動を身近にし、自分をより深く知るツールとなる。
“他者が生み出す価値”は、想像を超えた発見や共感の種を提供し、人間性を豊かにする。
両者を結びつけるコミュニティでは、完全個人化された体験が交流によって新たな意味を帯び、他者からの学びを再び自分の創作に還元するサイクルが生まれる。
このように、生成AIがもたらす「すべて自分で作れる」未来は、“自分”の範囲を拡大する一方で、改めて“他者の存在”を際立たせるとも言えます。人は他者の視点を通じて自らの輪郭を知り、コミュニティの中で創造の歓びを一層深めていく──そこにこそ、パーソナライズとシェアが併存する時代の本質があるのではないでしょうか。
まとめ
結局のところ、「すべてが自分の創作物だけで成り立つ世界」にはならず、他者が作り上げるストーリーやブランド、コミュニティとのつながりが、個人のパーソナライズ体験をさらに豊かに彩ると考えられます。理想を描けるかどうかの個人差はあれど、AIは提案や編集のパートナーとして進化し続け、私たちの創造と共有の欲求を同時に満たしていくでしょう。こうして“自分だけ”と“他者の創造”は対立ではなく、互いを補完し合いながら新しい文化を生み出し続けるはずです。
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