13年めの夜に思う
震災から13年だって。
ああ、もうそんなに経ったのか。
確かに随分時が経ってしまった。
星が綺麗な夜だった。
あの日の恐怖と絶望は今も鮮明な気がしているのだけれど、「気がしている」だけなのかもしれない。今この瞬間には恐怖はなく、絶望だったものは少しずつ別な色味を帯びた。
当時自分が関西に引っ越すことになろうなんて考えたこともなかった。
私は数ヶ月後上洛し、京の街に暮らすのだ。
先週京都に下見に行った。
観光の目線ではなく生活者として街中を歩き、住まいを探した。
そして今日、住む場所が決まった。
3月11日は私にとって運命の日でもある。なにか深い意味を読み取ってしまう。
今回の京都の下見は本当に微に入り細に入り“運命的”なことが多かった。なにしろタイミングが絶妙だった。もともと魔女っ子気味なのだけど、今回は我ながらすごい。
何か見えない力に引っ張られているような感覚がある。
初日、予定を繰り上げて新幹線に乗った。
しかしなぜか銀行カードもクレジットカードも保険証も忘れ、現金一万円とペイペイだけで到着してしまった。しかし奇跡的にゆうちょの通帳を持参していた。
ハラハラドキドキの旅のスタートだった。
2日目、予定していた新幹線は山形新幹線のトラブルによって大幅に遅れてしまった。前日入りした奇跡を噛み締めつつ、ゆうちょの通帳で現金を下ろして街歩きをした。
もしもこの日に出発していたら午後の3時ごろに到着していたことだろう。その間、手芸専門店を回ったり、細見美術館で屏風を見たりして過ごした。酔拳のようにトラブルを交わした感じ。
3日目、夫と合流した。所用を済ませ、同志社大学や京都大学や下鴨神社など、スケッチに良さそうなあたりを回って、不動産屋へいった。
何軒かあった不動産屋だが時間も遅くなったし帰ろうと夫が言ったが私はなぜかピンときて「ここで話を聞こう」と入ったところ、驚くべきドンピシャ物件に出会えた。
一般的に関西の物件は敷金礼金が高額なのだが、賃料の予算も場所も交通も通勤距離も完璧だった。築年数は多少古いけれど、そこは問題にはならない。
入居は4月からのものだったが日にちを遅らせて欲しいと交渉し、夜は夫と作戦会議を進めた。
4日目、不動産屋で紹介された物件の周辺を回ってみた。場所については詳しくは書けないけれど、いくつかの面白い偶然が重なった物件で、つい笑いが出てしまうほどだった。
この日、私は最終で盛岡に帰る予定だったのだが、山陽新幹線で人身事故があり結局盛岡に戻れないことになった。幸いにもギリギリのところで気づき延泊を決めた。切符は交換できたが金曜日だったためホテルはどこも埋まっていた。なんとか夫の泊まったホテルにお願いして同泊することになった。
今回も滑り込みセーフだった。
5日目、午前中は東本願寺を参り、染料の店を回って、盛岡に戻る。
粘り強く交渉したところ、入居の時期を少し待ってもらえることになり、審査の運びとなった。
本当にスリル満点の滞在となった。
そして、今日、申請が通って、晴れて住む場所が決まった。
幸運に幸運が重なった感じ。不思議な流れで進んでいる。とんとん拍子だ。正直言ってもう一度くらい物件を決めにこなければならないところだった。
https://x.com/nyororo/status/1766052396122435835?s=46&t=Bu6TDktNAKbe4qZR_8mwYA
13年が経ってわかったことがある。人間の心は絶望だけで満たされたままてまはない。
永遠に悲しいことは続かない。
人生には絶望も興奮も(その他さまざまな局面が)形を変えてやってくる。そのタイミングが違うだけだ。
だから生きている限りどちらも味わうのだと思う。
これから悲惨な経験もするだろうけれど、それは「今」考えても仕方がないことなのだ。
今回思ったことは2つ。
ピンチはチャンスであること、
Twitterなどを含む「辻占」的な声に耳を傾けること、
この2つは意外と馬鹿にならない。何かに導かれながら、進む。
そうして不思議な出会いが広がっていく。
だから13年目の今日は悲しみよりも希望がある。
どうなるかはわからないのもいいものだ。冒険してる感じがする。