スケッチ教室あれこれ
1
カルチャー教室で水彩教室をしている。
気がつけば、11年目か。時が経つのは早い。公立高校で美術教師をしていたのだがいつの間にかそれよりも長くなってしまった。
私は絵を描いているけれどいわゆる「絵描き」ではないと思っている。水彩画家と言われるといまいちフィットしないが、教師ではあると思う。
教師の仕事は多分、向いている。
学校ではいろんな場面で「説明」をしなければいけない。私はそういうのがほとんど苦にならない。
高校では「美術Ⅰ Ⅱ」「工芸Ⅰ Ⅱ」「映像メディア表現」「陶芸」「商業デザイン」などを受けもった。絵画の授業もしたが木工や陶芸ピンホールカメラを作り白黒写真を撮影したりもした。
自分は工芸・デザイン専攻だからか工程がはっきりとある制作を好む。
工芸の授業は手順をクリアに示す必要があり、(才能やセンスにはむやみに言及せず)技法技術に支えながらコツコツやる感じが好きなんだと思う。
2
教室を続け、10年になってみてわかったことがある。
「絵が続かない人」「絵が続く人」にははっきりとした傾向があるのだ。
今では初回で「続くか、続かないか」がわかるようになった。
(個人的に私は、「続かないことはやらなくていい」と思っている。そもそもしんどくなることを無理してまでもやる必要はない。手が止まったなら無理しない方がいいし、やりたくなったらまた始めればいい。だから良し悪しを言うのではない。)
「絵が続かない人」たちの多くは、「下手だから」というセリフをよく言う。
「下手でもいいではないですか」と言ってもあまり聞いてくれない。
ご本人は「才能のなさ」や「センスの無さ」を引き合いにして、自分自身で勝手に落ち込み、筆を止めてしまう。
一方「絵が続く人」は
「描いてみたい」と言う。「できるようになりたい」といい、実際練習してたくさん描く。「できてもできなくてもとりあえずやってみる」という感じ。
絵を描くと言う行いを「天から授かった才能だ」と思うか、「手につけられる技能だ」と思うかはその人による。
「続けたい人」のために自分の教室で心掛けていることは
「エンジンをかけること」「ガソリンを補充すること」「ともに走ること」
あるいは
「種を植えること」「水と肥料をやること」「収穫の時期を知らせること」
の3つだ。
(比喩はなんでもいい)
それさえやれば、教えることなんてほとんどない。
本人が勝手に学んでいくからだ。
80歳を過ぎてからうちのクラスにいらしたご婦人は、「中学校以来描いたことない」という。でも毎回夢中になって描いていて、「難しかったけれどチャレンジしてみました」と家で描いたものを見せてくださる。
これは本当に面白い。
どんどん上手くなっていく。
今後はAIが主流になっているから、これから「自分の手で絵を描く人」は減ってしまうだろうと思う。
自分もいつまでこの仕事が続くかはわからない。
でもまあ、しばらくは伴走を続けたい。