川島テキスタイルスクール組織実習(3)

 制作したものを動画にしてみた。(Twitterのアカウントがないと見られないかもしれません。ごめんなさい)



この期間、学んだこと、考えたことをメモする。



 震災の前の2007~2010年ごろ、私は高校の美術教員を辞めた後の職業として、織物作家という進路を考えていた。
専門の道具を揃えたり、大学の聴講生として勉強しなおしたり、自宅を作業場として使うようになるなどして自分なりに努力していた。

 そんな頃に起きたのが東日本大震災だった。3月11日の午後、私は糸を紡いでいた。福島第一原発の事故も様子も、泥まみれの捜索の様子も、糸を紡ぎながら見ていた。
 そのうち、糸を触るのが苦しくなった。
 作ることがに対して気が重いと感じていた頃に震災関連のNPOで少し仕事をした。その後に教員だった頃の経験を買われて、カルチャー教室でスケッチの講師をやらないかと誘われ、ほとんど成り行きで「水彩画の先生」になってしまった。

 外で働くようになると織りをする時間がなくなっていく。
息抜きとしての織りならばいいだろうが、仕事にしようと考えていた織りを手放して外に出ている自分に罪悪感を覚えた。使われないままに鎮座する織り機を見ると、いつも「ごめんね」と思ってしまう。

 それがだんだん耐えられなくなって、震災から3年ほどたった頃、道具の9割をお譲りしてしまった。 
身を裂かれるような思いだった。これは失恋に近い思いだった気がする。



 成り行きだったとはいえ「仕事として引き受ける」のであるから「水彩の先生」として頑張らなくてはいけない。教員時代の貯蓄を崩して制作活動をしていたので大変心強かったのだ「こんな私でいいのか」と思いつつも10年以上も過ぎてしまった。その間、個展をしたり、イラスト連載の仕事を受けるようになったので良い経験をさせていただいたと思う。しかし10年経っても、心の奥底に、私は「染織」を学んだ者であって「水彩の絵描き」と名乗るのは気が引けてならなかった。


 そしてコロナ禍。
 感染対策もあって教室を数ヶ月休んだ。完全なる無職で一気に暇になった。そのタイミングでまた編んだり、紡いだりを始めた。縁あって小さな織り機もうちにやってきた。

 必要な時に必要な道具は自分のもとにやってくるのだなと思っている。

 そして今、京都にいる。

 正直、織りで仕事をするつもりはないけれど、もっと若かった頃に「織りを仕事をしようと思って居たのにできなかった」と思っていた自分の後悔を供養する機会だったのかもしれない。実際、まさに供養だった。

 講座を受けて、長いこと煩わせていた私の「水彩」と「染織」問題がすっきりと腑に落ちたような気がする。大切な恋人と別れた絶望を経て、ほんのりとやさしい気持ちで振り返るような感じ。





 たったの5日間なのだが作業に取り組んでみて、仕事としての「織り」は自分に向いていなかったのだな、ということがわかった。

 そもそも織り機の中でじっとしていられないのであった(笑)
もちろん、課題であるから、ちゃんと「じっとして織った」けれど、しょっちゅう動きたい衝動に駆られる。しょっちゅうシャトルを落とす。全くダメじゃん!

 普段、「机で絵を描いている」ことは「じっとしている」ことに近い。
でも「織り機に座って正確に織り続ける」こととはだいぶ違う。

私は「動きたい人間」だったのだ。つまり落ち着きがないのである。

「震災で心が折れてしまって、織りを辞めてしまった」と思っていたのだがそうではない。「単に向いていなかった」のだ。


あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜

すっきりした!

 私は「向いてない」技法のための道具を集め、学び、手放し、また集めたのだ。
「この17年間はなんだったのか」とも言えるけれど、私は染織を愛しているし、「作る」と決めたなら何があろうときちんとしたものを作るだろうと思う。

向いていようとなかろうとやってみたいことはやる。
そのためのコストもかける、それでいいのだ。



参加者の中に東京から来た方がいたのだが、とても印象的なお話を伺った。

「私は綿を紡いでいる。少しずつ糸を作っている。
長く時間がかかってもいいから、自分自身で“最初から最後まで関わった布”で“自分が纏うための服(または着物)”を作りたい。
自分が作ったことは誰にも知られなくてもいい、趣味として極めたいし自分が満足できればいい。自分の命は壮大な暇つぶしに使いたい」


そう、そう、それ!

と思った。何でもかんでも「カネ」や「生産性」に結びつける今の考え方に辟易していたところにピンポイントに響いた言葉だった。

 仕事にしなくても良いのである。彼女の言葉を時々思い出していこう。
生きるための喜びとして染織と過ごす


そして、「織りは仕事にはしない」と改めて決めた。
「じゃあなんのために?」
と問われたら
「愛のために」と答えることにしようかな。

 前向きな気づきがあってよかった。心の深まりを感じた講座だった。
機会を見つけてまた受講してみたい。


(終わり)





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