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109の性癖10-満栗返

私は松岡舐一、変態である。官能小説もいいが、性癖もいい笑

さてさて本日も、性癖シリーズ。

私には109の性癖がある。今日は少し変化球を投げてみようか。

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さて、 10番目の性癖は満栗返である。

満栗返。一見、ただの返礼文化のように思えるが、その奥には深い官能と神秘が潜んでいる。

栗とは、秋の豊かな実りの象徴であり、自然が与える恵みそのものだ。その硬い殻を剥く行為には、人間の探求心や秘められたものを求める欲望が込められている。古来より「満杯の栗をお返しする」という行為は、感謝や敬意を伝える手段とされてきた。しかし、栗が持つもう一つの顔について、あなたは知っているだろうか?

栗が持つ柔らかく甘い実は、硬い殻の中に隠されている。それを丁寧に剥き、秘められたその実に触れることで、本当の素晴らしさがを味わうことができるのである。満栗返とは、ただ感謝を示すだけの行為ではない。送り手と受け取り手の間にある境界を越え、互いの核心に触れる瞬間でもある。

栗の小ぶりな形状は、見過ごされがちだが、その存在感は絶大だ。一度その実に触れれば、甘美な香りが漂い、優しく味わうことで得られるその滋味、触感は他には代えがたい世界を見せてくれる。それを触れて確かめる行為そのものが、満栗返の美学を完成させる鍵と言えよう。

満栗返の真骨頂は、その栗が天に向かって掲げられる瞬間だ。その姿勢を通じて天に感謝を捧げ、自然の恵みに敬意を表すように、自らの心を開き、木の洞から蜜を滴らせる。その美しさは、まるで生娘を捧げる古代の儀式を彷彿とさせる。恥じらいと崇高さが交差するその一瞬に、現代を生きる我々は何を想うのだろうか?

満栗返の蜜は、甘く滴る。それは自然界の神々たちを呼び寄せる魔力を秘めている。降臨した蛞蝓たちが、天に向けて掲げられた栗に群がる姿は、まるで大地と天がひとつになる瞬間の象徴。蜜は蛞蝓を踊らせ、渓谷を滑り、洞の奥の隠れた中枢へと導かれてゆく。蜜と蛞蝓、そして栗が一体となるその様子は、まさに満栗返の真髄そのものである。

蜜に誘われる蛞蝓は、決して止まることはない。その動きは優しく緩やかでありながら、執拗で、栗の奥底に隠された洞に潜り込み、さらなる蜜を求める。その姿が描く軌跡は、栗に刻まれた甘美な紋様を浮かび上がらせる。それは満栗返がもつ、静寂と熱狂が共存する世界だ。

大地の恵みたる栗が蜜を滴らせ、天から降りてきた蛞蝓がそれに群がる。この一連の動きは、まるで大地と天が交わる瞬間のようだ。蜜が蛞蝓に与えられ、蛞蝓が栗を満たす。そしてまた新たな蜜が湧き出る。満栗返とは、自然と人、天地が織り成す喜びの循環そのものである。栗、蜜、蛞蝓、その全てが調和し、一つの壮大な物語を紡ぎ上げるのだ。

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