京都旅行記 その6
いたるところに豊かな表情を浮かべたお地蔵さんがお出迎え。
そのたびにスマホで写メる。
途中、ソフトクリームのお店を発見し、すかさず購入して食べた。ソフトクリームを食べたのはいつ以来か覚えていないが、とにかく美味しい。
あっという間になくなった。
三千院を通り過ぎ、どうやら音無しの滝を目指すらしい。登りに登って、さらに登る。途中、途中に滝らしきものがあり、「これがそうなの?違うよね?」とRさんとYさん。さらに登る。
紛らわしい小さな滝を見ながら、「仁和寺にある法師」の話しを思い出した。
まわりは木々の緑だらけ。倒木があったり、ごつごつした岩があったり、険しい登り道を突き進むと、音無しの滝が見えてきた。
京都に来て、滝まで見れるとは!
しばらく滝を眺めていたら、「水に流す」っていう言葉が思い浮かんできた。
「もうそろそろ、過去を水に流してもいいんじゃない?」
目の前に見える音無しの滝は、そんなことを私に言ってくれてるように感じた。
音無しの滝をあとにし、下っていく。同じ道をきたのに下りの風景はなんとなく違って見えた。山登りの達人でもあるYさんに聞いてみたら、山登りあるあるらしい。緑のモミジ?楓?どっちか分からないが太陽の木漏れ日の中で揺れている。秋になったらどんなに色づくのかと想像すると、また、京都へ来てみたいなと思った。
三千院へ到着。階段の上に緑の中にポツンと赤い和傘が見えた。ワンポイントで美しさを表現する京都の人って、やっぱり人味もふた味も違う、粋だなぁ、さすがだなぁ。
三千院の境内の天井はかなり低く、昔の人は身長がそんなに高くなかったのだろう。周囲が開放されていて、美しい庭と植物の緑が目に飛び込んできた。
床に座って、ひと休みしていると、心地よい風が右から左へと流れていった。風の流れを作るかのような境内の造り。昔の人は風を感じ、茶を味わいがら庭を鑑賞していたのかもしれない。なんて、お洒落なんだろう?
境内を出て三千院の中を歩いて回ると、往生極楽院で読経が始まった。
しばらく読経に聴き入ってみる。
読経のリズムとお坊さんの声、鐘の音、お線香の香りに心の落ち着きを感じた。Rさんがすっかり読経のゾーンに入ってしまい、微動だに動かなくなってしまったため、Yさんを残し、一足先に往生極楽院を出た。
お地蔵さんが次々と現れ、ほっこり。
昔の人のユーモアさと想像力って凄いなぁと思いつつ、落ち込んで笑顔を忘れた時には、ここに来れば笑顔を取り戻せそうと思った。
ようやくRさんとYさんが合流。三千院をあとにした。
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