私の脳は酸素不足
スマホの画面をスワイプし、SNSのフィードを追い続け、気がつけばテレビに夢中になっている。まるで、目の前の情報に自分を没頭させ、脳が酸欠になっていることに気づくことは少ない。
画面を見続けることで確かに私たちの脳を刺激させ、同時に疲れさせる。隣の芝が青く見え不必要なストレスを抱えることもある。呼吸する余裕すらなくなってしまう。脳が情報を処理するためにエネルギーを使い果たし、酸欠状態に陥っていることに気づかないのだ。
「休んだ方がいいんじゃないか?」と自分に問いかけることすら忘れてしまう。それは、あまりにも簡単に情報にアクセスできる現代の生活の罠でもある。
自分の呼吸に意識を向けることは、私にとって必要なことだ。スマホを手放し、テレビの音を消し、静かな場所で深呼吸をする。そうすることで、脳はようやく酸素を取り戻し、再び正常に働き始めるのだ。
例えばシャワーを浴びる。ちょっと疲れたないやまだ行ける。と歯磨きを続け、ドライヤーもと。この一連の日常動作が、身体に大きな負担をかけるなんて、健康な時には思いもよらないことだ。でも今の私はもう少し身体の声を聴くべきなのだ。
「疲れたかもしれない」という声を無視してしまうのは、この社会で生き抜くための生存戦略が身に染み付いているからかもしれない。「疲れた?いや、そんなことない。」と、すぐに自分を納得させようとしてしまう。
だからこそ、「疲労感で動けない」という事実を受け入れることが難しいのだろう。それを「怠け」と捉えるのは、世の人々の生存戦略から外れた自然な反応なのかもしれない。
完璧な健康を求めるあまり、過度な不安や焦りを感じ、情報の海に溺れて心と体の声を無視していた自分がいる。仕事に早く復帰しなければと焦りながら、休んでいるのに心が削られていく。
完璧な健康であることに執着するのではなく、今の状態を一旦受け入れ、自然な治癒のプロセスを尊重することが大切なのではないか。心の平静を保つことで、不調の波がきたときに冷静に身体の声を聴くことができる。
私たちは往々にして、心と体の声を聴くことを忘れてしまいがちだ。時には、情報の海から離れて、心の声や体の声を聴くための静寂を、自分に与えてあげることが、健やかな日常を送るための鍵になるのかもしれない。