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一桁国道キャノボ完全制覇回顧録
2024年10月14日7時37分。私は東京日本橋の道路元標前にひとり佇んでいた。
前日夜仙台を出発して国道6号線を353km駆け抜けた、そのゴールだ。そしてこれは自身にとって初めて、そして史上でも初めての一桁国道キャノンボール全達成の瞬間だった。
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振り返れば、私のキャノボ挑戦の歴史は2016年のクリスマスイブまで遡る。この日に私はキャノボ達成のチャンスがあるかの脚試しに初級キャノボを敢行した。このときはパンク等トラブルに阻まれながらも17時間39分でゴールし、手ごたえを感じたことを覚えている。
翌年、4月に初めてのブルベでランドヌ東京の清水サッタ400kmに出たり日本橋フレッシュをこなしてロング経験を補強し、満を持してGWにOTキャノボに挑戦した。
スタート地点でものすごい緊張したのを覚えている。これから自分の脚で東京まで行くのか、とか。本当に24時間で走り切れるのだろうか、とか。今となっては微塵も緊張しなくなってしまった。慣れって怖いw
で、そのキャノボはガーミンマウントが壊れたりまたしてもパンクに見舞われたり、挙句の果てにはガーミンがシャットダウンして動かなくなって戦意喪失しDNFとなってしまった。
あまりにも悔しくて1ヶ月も間が空かないうちにリベンジし、5月28日にOTキャノボを22時間57分で達成した。
当時のR1キャノボは国道25号旧道の大和街道が全面舗装されたことで台頭した「伊賀越え」コースがようやく定着してきた頃で、「御殿場越えR246」コースや「R23」コース、「姫街道」コース等は未発見またはほとんど採用されることがなかった時代であり、23時間切りは「かなり良い」と言える記録として受け止められた。
このときの挑戦レポートは同人誌にして冬コミで頒布した。一度の参加で頒布した冊数はこれが自身最高だったと思う。
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さて、キャノボを達成した人はほとんどがそれに満足して別の目標へと向かっていくことが多いのだが、私はそうはならなかった。
第一に、このときのOTキャノボは改善点が多く残った。特に私にとってお家芸とも言えるDHバーが使えなかったのが大きい。DHバーを使えなかった理由は、このとき使っていたハンドル「BP4」のクランプ部がクリップオンのDHバーが使えないものだったのだ。これを克服するため、ハンドルではなくコラムから生やせばいいということでAMANDAに依頼してユニコーンハンドルを特注で作ってもらった。
キャノボのコース研究も進み、R23が圧倒的に早いということが判明し、ますます22時間57分という記録が満足できなくなっていく。
2018年、GWに本州一周TTという企画があった。私はこれに便乗する形でR4キャノボを行った。東京から青森までを駆けるR4キャノボは一桁国道キャノボの中で最長の720km。南北へ貫くので偏西風の助けは期待できない。R1以上にロング耐性が試されるタフなコースである。
私はこれにOTキャノボで培った経験を反映した独自理論をもって挑み、28時間07分という望外の大戦果を挙げた。
独自理論というのはいろいろあるが、特筆するのは食糧搭載量を多く携行する点であろう。当時のキャノボ装備はとにかく荷物を減らし軽量化することが是とされていた。というか今もそうかもしれない。私はこれに異を唱え続け、そして結果を出し続けている。
720km28時間という成果は強烈なインパクトを残した。これまでのコースレコードを2時間更新する大記録だ。とりわけ、東京~青森の道を知っている本州一周TTメンバーからのリスペクトは恐縮しきりなほどの大きなものだった。
今思えば、この成功体験が一桁国道キャノボ全制覇への道を決定づけたのかもしれない。
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2018年10月、転勤により住まいを横浜から神戸へと移す。
生活拠点が西日本になったことで、次なるターゲットは自然とR2キャノボへと向かった。
翌年2019年のGW、R2キャノボ……ではなく、本州一周TTに挑戦した。しかしこの年のGWは例年より冷え込み本州一周TTチャレンジャー一同を苦しめた。私は中国地方を反時計回りに一周し、養父まで来たところでリタイアした。このとき夜の福知山は0℃まで下がったらしい。無理ゲーだった。
この挑戦が無意味だったかと言うとそんなことはなく、R2キャノボとR9キャノボの試走という意味で大きな経験値となる。
本州一周TTから1ヶ月後の6月に大阪発でR2キャノボを敢行。このときすでにスタート前の緊張感も無くなっていた。結果は、難なく20時間42分のコースレコードで達成を遂げる。
このとき、見送り・道中・出迎え全てゼロ人という記録も打ち立てる。
もし一桁国道キャノボ全制覇を志す人がいるならば一つ言っておきたいのが、R1以外のキャノボは注目度が低いということ。いや、R1の注目度が異常に高いだけで、本来はプライベートのチャレンジライドなんてこんなもんかもしれない。だが、目立ちたいからとかそういうのをモチベーションに走ってる人は一桁国道キャノボ全制覇は挫折すると思う。謎の執念で走り続けられる人だけが頑張るといい。
なお、門司から小倉駅へ向かう道中にあらんさんがハイエースで迎撃してくれたということは書き添えておく。
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2020年。次なる目標はR9キャノボだった。
が、世界はCOVID-19が猛威をふるい、GWはほとんど外出もままらならずに終わる。2020年は空白の年になってしまった。
この頃、新しい自転車を買った。今やお馴染み(?)のリカンベントのリカちゃんだ。
徐々に外出規制が緩和されていき、2021年8月。リカちゃんを頑張って飛行機輪行し、函館から札幌までのR5キャノボに挑戦した。8月はキャノボシーズン外というイメージだが、北海道でオーバーナイトならば適温に近い。
北斗の辺りで雨に見舞われたり、セットアップ不足でボトルを落とすなど細かなトラブルはありつつも順調に走り9時間56分でゴール。このタイムも当時コースレコードだったが、後に高橋さんという方に更新されてしまう。
しかし、リカンベントでのキャノボに強い手ごたえは得られた。
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R5キャノボの勢いをそのままに、同年9月にTOキャノボを計画した。シルバーウィークにEMTGという痛車イベントがあるため上京の予定があったからだ。
この頃にはR1キャノボのコース研究が現在とほぼ同水準にまで進んでおり、コースもマシンもフィジカルもOTキャノボを達成したあの頃とは比べ物にならない手札を揃えた。そして19時間53分という大記録でゴールすることになる。この記録はR1としてはトップではないもののTOとしてはコースレコード。3年越しのリベンジはここで成った。ついでにリカンベントはキャノボ不向き説も払拭した。
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2022年。この年のGWは今度こそR9キャノボ……のつもりだったが、準備不足ということでR3キャノボに切り替えた。
今回もマシンはリカちゃん。400kmに満たないコースということで、R5と同じく夜をメインに走りトラフィックの影響を排除する作戦。
運よくものすごい追い風に恵まれ、休憩も道の駅でトイレに2回と自販機で水購入が1回だけという少ストップで済ませ、グロス29を超えるペースとなる13時間05分でゴールする。もちろんコースレコードだ。
結果的にこれが自身の一桁国道キャノボで最も完璧なライドと言える結果になった。もし将来自分の記録が全て塗り替えられていくとしたら、最後に残るのはR3のこの記録であろうと思っている。それぐらい完璧な一走だった。
このときのレポートはnote別記事に残してあるのでぜひ一読を。
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2023年。ついにR9キャノボに挑戦する。2020年にやるぞやるぞと言い続けて3年も経ってしまった。
R9キャノボは一桁国道キャノボで2番目に長い636km。アップダウンも強烈で、難易度はR4を超えると個人的に思っている。
アップダウン対策にリカちゃんではなくロードのOGREを投入。GW、下関を出発し、京都を目指した。
初めは順調だったが、思った以上に但馬エリアで冷え込み、疲労も蓄積されて無念のコンビニイートイン仮眠。大きくタイムロスしたものの25時間55分でゴール。とりあえずコースレコードである。
仮眠をとるまでに追い込まれてしまったので、自己採点は60点だ。伸びしろはまだある。
ちなみにR9も迎撃ゼロ人だった。
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未挑戦の一桁国道キャノボはR6、7、8。全制覇が射程圏内に入っていた。
これらはどれも神戸からアクセスしづらいことろにある。一番近いのはR8の京都だが、そのゴールは新潟で、新潟からは新幹線で5時間近くの移動を強いられる。COVID禍前ならFDAが神戸~新潟航路を用意していたのだが、すでに終了してしまっていた。
しかしここまできたらスパートをかけたい。同年11月、R8キャノボに挑戦した。
かなり良いペースだったが、金沢でリアタイヤがパンクし、新潟では道路工事だか何だかで通行止めがあり迂回で数キロ余計に走らされた。それでも結果はコースレコードの21時間07分と上々だった。
ちなみにタイヤはチューブラーだ。というか私の所有自転車は通勤用も含めて全てチューブラーだ。あ、さすがにカーゴバイクは違うけど。
チューブラーはパンクしたら試合終了などという風潮があるが、今回のようにパンクしても10分程度で簡単にタイヤ交換を済ませて復帰が可能で継戦能力は充分にある。パンクしたら試合終了だなんてとんでもない偏見だと声高に言いたい。
なお、北陸は翌年の年始に大地震に見舞われる。これより前に走破済みにできたことに安堵することとなった。
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2024年。残り2本、この年で終わらせるつもりで始動した。
GWに計画したのは神戸から最も遠いR7キャノボ。帰省ついでにそのまま新潟へ行き、ゴール後の青森からは予約済みの空路で帰る計画だった。
しかし予定日はあいにくの悪天候。予約した航空券がもったいないので青森観光しただけで帰神した。
R7キャノボは富士ヒルや梅雨など諸々が終わる7月にリスケしてリベンジ。
新幹線移動から即スタートとか風向きが悪いとかでベストコンディションからは遠かったものの、ひとまず及第点の16時間34分でゴールした。これもコースレコードだ。ベストコンディションで行けばもっと縮められると思う。
これで遂に一桁国道キャノボ全制覇に王手がかかった。残るはR6。
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ようやく真夏日から解放された10月。いよいよ最終決戦のR6キャノボ挑戦の日がやってきた。
マシンは実戦配備されたばかりのmacchi。キャノボへは初投入となる。
R6キャノボは一桁国道キャノボの中で2番目に短い353kmのショートコース。アップダウンもほとんど無いし、自転車通行禁止も無い非常にイージーなコースだ。
仙台空港からうみの杜水族館へ向かって観光し、サンピアの湯で仮眠をとった後、19時に仙台をスタート。
スタートから2時間足らずで福島県へ入る。ここからは以前は自転車通行規制がかけられていたエリアだ。所々に震災時に津波で被災したことを示す看板などがあり、今なお残る爪痕を感じた。
星空の下、常磐道を駆ける。
これまでひたすらキャノボを続けてきた。通算すれば既に4000kmを超えている。
残りの距離がどんどんカウントダンしていく。
長い長い旅路だった。
千葉県まで到達した。もうゴールまで40kmもない。1時間ちょっとで終わってしまう。
江戸川を渡り東京都へ入った。もう完全に見慣れた道だ。
眼前に東京スカイツリーがそびえ立っている。学生時代はお前が育つ過程をずっと見ていたっけ。
三越前の大通りに出た。その奥には日本橋が小さく見える。
私にはそれらがシャンゼリゼ通りと凱旋門に見えた。
2024年10月14日7時37分。私は東京日本橋の道路元標前にひとり佇んでいた。
国道6号線を353km駆け抜けた、そのゴールだ。同時に一桁国道キャノボ全制覇という果てしない挑戦のゴールだった。
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1~9号まで合わせた総距離4400km、トータルタイム167時間56分。
この数字を残せたこと、そしてこの挑戦をやり遂げたこと、私は誇りに思います。
お疲れ様、俺。 ありがとう、応援してくれたみんな。