逃げ恥と100分de名著から考えた「孤独」について
最近、孤独について少し考えることがあった。
逃げ恥の新春スペシャルで、うろ覚えだけど、主人公の森山みくりが孤独を感じているシーンがあったり、人は誰しも孤独を抱えている的なフレーズが登場した。
正直、独身で一人暮らしをしている私からすると、平匡さんみたいな穏やかで優しい配偶者がいて、出産という女性のライフステージの大きな変化を迎えた森山みくりは、幸せの絶頂期にいるように見えた。でも、そんな森山みくりが孤独を感じているのか…と不思議な気持ちになった。
話は変わるけど、また別の角度から孤独について考えることがあった。NHKのテレビ番組「100分de名著」の12月テキストを読んだ。ブルデューのディスタンクシオンを岸政彦氏が解説したものである。
著者は「他者の合理性」という言葉を使った。これは、ブルデューに大きく影響を受けた考えだと言う。
すべての人の行為や判断には、たとえ私たちにとって簡単に理解できないもの、あるいはまったく受け入れられないようなものでさえ、そこにはその人なりの理由や動機や根拠がある。つまりそれは、その人なりの合理性がある、ということなのです(2020.岸)。
「行為や判断」だけでなく、そもそも、さまざまな「感情を持つ」ということにも、その人なりの根拠があるということだよなと思った。
森山みくりは、私からすると、めちゃくちゃ幸せそうなのに、孤独という感情を持っていた。そこにもきっと、その人なりの根拠がある。他者には他者の合理性か…。と頭の中でぐるぐる。
そして、自分の中でこんな考えに行きついた。
「私のこの感覚は誰にも理解してもらえない」という感覚を孤独と呼ぶとするならば、人生には一生孤独がついてくる気がする。でも、自分には自分の、他者には他者の根拠があって、簡単に理解しあえないことは当然のことだから、その孤独は悲しいことではないのだと思った。
孤独は一生ついてくる。だけど、他者と簡単に分かり合えるという幻想とか、ある種の暴力的な考えに溺れずにいたい(他者の合理性を理解することを諦めるという意味ではない)。生きてきた道のりが同じ人なんていない。人は当然に、孤独。悲しくはない。自分には自分の、他者には他者の孤独があるのだと思った。
最近考えた孤独についての話。