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背後の恐怖に気がつかないまま。

今年の2月、ミッドタウンにある病院の待合室で診察待ちをしていた。受付の女性が患者の名前を繰り返し呼ぶ声がテレビの音でかき消されている。音量を少し下げた方が良いのではないかと思いながら苛ついている彼女の様子を眺めていた。あぁIt’s not my businessだったと視線を落とす。ニューヨークでは効率的なあれこれを考えると穏やかに過ごせなくなるのである。

ニュースキャスターは大げさな口調で、今日のニュースを読み上げ緊迫感を映し出す。一方の待合室では、それぞれが無表情にテレビを眺めたり携帯をいじりながら待ち時間を持て余していた。

"A 35 years old Asian women was stabbed in her own apt and killed by homeless man"

携帯を見ていた私は、アジア人女性がホームレスに刺され死亡した。というニュースを耳にし顔を上げた。私の位置から画面が見えずらかったのでテレビの前に行きニュースを観た。彼女は深夜チャイナタウンにあるアパートに帰宅した際、背後から男に付けられ部屋の中にまで入られたのだ。彼女は自分の部屋でレイプされ、刃物で何度も刺され、血だらけの状態で浴槽で発見された。警察が到着し、ベットの下に隠れる血だらけの犯人を現行犯逮捕した。薄暗く狭い廊下で彼女の背後を静かに付いていく犯人の姿が防犯カメラに写っていた。

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私は思わず声を上げた。ニュースは天気予報へと切り代わり、ヘアメイクをバッチリ決めたニュースキャスターが今日も寒くなるわ、と笑顔で語りかけていた。私はショックを受けたまま元の椅子に戻った。皆、無表情でテレビを眺めたり、携帯をいじりながら待ち時間を持て余していた。

コロナの影響でアジアンヘイトが加速し、毎日の様にアジア人が狙われた。ソーシャルメディアではBlack Lives MatterからStop Asian Hateに話題が映っていた。が、短期間で注目は薄れインフルエンサーの旅行写真へと移り変っていた。彼女の事件をソーシャルメディアで目にすることはなかった。

Brooklyn Bridge

アメリカに引っ越してから時々見る夢がある。夢の中の私は帰る家が思い出せない。辺りは暗くなり人々は帰路へと急ぐ。私はどこへ帰ったらいいのか分からないまま途方にくれる。恐怖心で目が覚め、部屋を見渡しホッとする。ずっと見ていたあの悪夢を現在のアパートに引っ越してから見なくなった。2020年3月からロックダウンが始まり、マンハッタンは崩れ落ちる様に治安が悪くなった。6月に安全を優先してドアマン付きの今のアパートに引っ越してきた。それから私は夢の中でもアパートに帰ってこれるようになった。時々どこへ帰ったらいいか分からない時はホテルに泊まる。決まって高級ホテルの高層階だ。

写真はイメージです。


ニューヨークに移住して3年目の夏。24歳だった私は日本人女性とルームシェアしていたクイーンズの家を出る事にした。日本人との生活は快適だったが、リアルなニューヨーク生活を体験してみたかったからだ。Craigslistっという掲示板でルームメイト募集を見つけた。Nolitaというチェイナタウンの近にあるアパートの3bedroomでアメリカ人女性2人とのルームシェアだ。

クイーンズの日本人女性の家はルールがたくさんあった。Nolitaのアパートは、自分の部屋の壁を好きにペイントしていいという条件に惹かれ入居を決めた。壁中をピンクと赤のペンキで抽象的に塗った。異様な雰囲気になった部屋を気に入っていた。

ある日の夕方、仕事を終え帰宅した。ストリートに面したドアを開け建物の中に入ると、鉄の階段が一直線にあるアパートの構造だ。3階まで上がりアパートの鍵を開けた。中に入るとリビングでお茶をしていたルームメイトがHiっと挨拶をしてくれた。彼女の目線が私の斜め上を見ている事に違和感を感じて振り返った。背後には189cmぐらいで頭にフードを被った男が立っていた。その男は突然、階段を駆け下り走り去っていった。ルームメイトと顔を合わせながら、状況を把握し合いながら鍵を閉めた。
背後の恐怖に気がつかなかった。


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