通説・アルゴニア史
TESシリーズの爬虫類型獣人・アルゴニアンと彼らのホームランド・ブラックマーシュの歴史が分かるオールインワンなページを作ってみたいと考え執筆しました。2/3ほどがUESPのLore:Argonianの翻訳、1/3ほどが私がゲーム内書籍等で確認した情報や独自研究・憶測となっております。
深淵の暁紀
深淵の暁時代以前、アルゴニアンたちはジグラットと呼ばれる巨石に洞窟を掘って住んでいたとされている。当時のアルゴニアンは技術と魔法に長けていて、第二紀においても健在の井戸や水源を開拓したことでも知られている。
この時代のアルゴニアンの文化はザンミーア文化と呼ばれ、ジグラットをシシス崇拝の神殿に変える試みや人身供養が行われていた。第二紀(2E582年)のアルゴニアンはザンミーア遺跡の出現を誤ったシシス崇拝の解釈によるものと見做していて、シシスを破壊の神としてのみでなく創造神の一面を持つ存在と理解するようになっている。
ザンミーア文化がいつ衰退したのか定かではないが、アルトマーがタムリエルに到着する以前にすでにアルゴニアンらは巨石を後にし、無文字文化の部族としてタムリエル中に居住していたことが知られている。このアルゴニアンたちはやがてより技術的・魔術的に発展したアルトマーたちに淘汰され、再びブラックマーシュへと追いやられていった。この時代のブラックマーシュにはアルゴニアン以外にもネディック人の末裔であるコスリンギ、エイドラ崇拝のアイレイドであるヴェロシ、狐族のリルモジットが共生していた。アルゴニアンは彼らを沼地の一員として助け合うこともあれば、逆に敵意を持って追い払うこともありとで様々であった。
ザンミーア文化時代の遺跡
第一紀
第一紀初期の頃になるとアルゴニアンがブラックマーシュの外へと遠征することはほとんどなくなったが、それでも少数は依然タムリエル中に点在していた。2E582年のストーンファールズにて遭遇したサクスリールの亡霊によると、アズラによってダンマーに変えられる以前からチャイマー達はアルゴニアンの奴隷化を試みていたらしい。いつどのようにしてモロウィンドの奴隷制が始まったのかは、未だ正確な記録が発見されていない。
アレシア帝国の出現以降、帝国の法律を免れるためブラックマーシュを回避地として利用する海賊や犯罪組織が増えたことからアルゴニアンの他種族に対する警戒心は高まっていった。やがてアルゴニアン自身も海賊を組織するようになり、トパール湾の東一帯を手中にしたレッド・ブラマンという著名なアルゴニアンの海賊が出現した。1E1033年、女帝へストラはブラマンを処刑するよう帝国海軍に司令を出し、ブラックローズ近郊での戦いを経て彼は断頭刑となった。ブラマンが処刑された後もアルゴニアンとアレシア帝国の関係は改善されず、帝国はブラックマーシュ一帯への影響力を弱めることとなる。
これらの事件の後も、アルゴニアンは帝国との緩い同盟関係を1E2200年のスラシアン疫病の発生まで続けていた。アルゴニアンの海賊達はスラシアン疫病を生み出したスロードを殲滅するべくコロヴィア帝国、レッドガード、ブレトン、アルドメリの海軍が集結した世界海軍(All Flags Navy)に協力し、スロードの殲滅に成功した。真珠海の真中に位置するスロードの首都・スラスは文字通り海の藻屑となったが、スロードが海中に召喚したオブリビオンゲート(ゲートの先はコールドハーバーへと繋がっていた)により世界海軍は壊滅的な被害を受けた。世界海軍の結成はタムリエル史上類を見ない、歴史上最も大きな軍事同盟であったとされている。
シロディール帝国がレマン朝へ遷移すると、レマン一世は領土的な野心をブラックマーシュに抱き度々戦争を仕掛けた。1E2811年頃にアルゴニアンは組織的な抵抗を断念し帝国軍に投降するが、ブラックマーシュ全域でのゲリラ的な戦闘はその後も続いた。
レマン二世はモロウィンド・ブラックマーシュ全域を獲得するべく1E2830年に再び戦争を再開するが、沼地そのものとアルゴニアンのゲリラ戦略により帝国軍は甚大な被害を被った。1E2837年にようやく帝国軍はブラックマーシュの北・東の一部を占領することに成功した。アルトマー達がブラックマーシュのトカゲ型獣人たちを伝統的にアルゴニアンと呼んでいたことから、ブラックマーシュの帝国属州はアルゴニアと名付けられた。
アルゴニアは主に流刑地として用いられ、ブラックローズ監獄のような重罪人・政治犯を収監するための刑務所が各地に施設された。レマン三世、及び王位継承者のジュイレク王子が暗殺されレマン帝国が崩壊した直後にアルゴニアは帝国の支配下から脱却し、ブラックマーシュは再びアルゴニアンの自治下に戻った。レマン三世暗殺後、帝国では皇帝の側近であったアカヴィリ敗残兵の末裔でツァエシのヴェルシデュ=シャイエが即位し、第二紀の開始を宣言した。
第二紀
アルゴニアがシロディール帝国の支配から脱却すると、今度はモロウィンド帝国が領土の獲得とアルゴニアンの奴隷化を目的としてアルゴニアに戦争を仕掛けた。2E572年のパクト結成までの間にダンマーはアルゴニアに侵略を繰り返し、多くの部族が奴隷としてストーンファールズ、ヴァーデンフェル、ディーシャーンへと連行されていったことが伝えられている。ドレス家の始祖・サルティル=ドレスは大規模な奴隷交易をソルンにて開始した人物で、モロウィンド本土への最大の奴隷供給者として六大名家の地位を強固なものにした。アルゴニアンの奴隷化によってモロウィンドのダンマー達の生活及び軍事の水準は格段に向上したが、当然アルゴニアンたちは奴隷制を憎みダンマーへの抵抗を続けた。
アルゴニアンは2E560年に発生しタムリエル中に拡散したナハテン風邪の元凶であるとされているが、証拠は一切ない。これはアルゴニアンには生まれつき疾病耐性があるため殆ど死者が発生しなかったこと、またヒストとアルゴニアンのシャーマンが結託してよそ者を殺すべく感染症を作り出したという噂話が他種族の間で(特にダンマーの間で)広まってしまったために生まれたデマである。ナハテン風邪の余波として、アルゴニアンの奴隷貿易が一時的に激減するなどの現象が起こった。
テルヴァン二家領地のプランテーション
アルゴニアン達にとって最も大きな転機となる歴史的出来事は、第二次アカヴィリ侵略の真只中の2E572年に行われたスカイリム・モロウィンド、そしてアルゴニアによる同盟:エボンハート・パクトの結成である。同年、カマル将軍率いるアカヴィリの侵略軍がスカイリムのウィンドヘルムに到達し、上級女王マブジャールン・フレイムヘア及び王妃ヌルンヒルデを殺害した。侵略軍はリフテンを目指して再びモロウィンドをバイパスし、アルマレクシア女王率いるモロウィンド軍はストーンファールズまで撤退した。
時期を同じくしてアルゴニアンの農奴・ヘイタ=ミーンがソルンのプランテーションから脱走し、その際ヒストからノルドとダンマーの連合軍に協力するよう預言を受ける。ヘイタ=ミーンは民兵を従えてストームホールドへと向かい、その際はじめてノルド・ダンマー・アルゴニアンの3種族合同の反アカヴィリ連合軍が結成された。ヘイタ=ミーンの活躍とヨルン上級王・黒きヒレのケシュの進言を受けたアルマレクシア女王はパクトの結成と奴隷制廃止を宣言した。
奴隷制廃止によってモロウィンド含むパクト加盟国では奴隷所有が法律で禁止されるようになった。しかしテルヴァンニ家やドレス家はパクト加盟に反対して独自法の施行を主張し、奴隷制廃止に反対し続けた。ブラックマーシュのアルゴニアン達もまたダンマーとの連合に合意しない者が多く、当初パクト加盟を正式に宣言したのはシャドウフェン、ソーンマーシュ、マークマイアの3地域に限られていた。スカイリム・モロウィンド・アルゴニアが足並みを揃えるにはヨルン上級王が主催した大ムートを待たなければならなかった。
パクトの指導者たち。左から順に"鋼の目"将軍、ヨルン上級王、イエヴェス=ノマミル将軍
2E582年からタイバー・セプティム(タロス)即位の2E854年の約270年の間にエボンハート・パクトは瓦解し、モロウィンドでは奴隷制が再開した。ブラックマーシュでは従来の部族単位の統治体制から王政への移行が図られ、シャドウスケールは王直属の暗殺部隊となった。
(※王政移行、シャドウスケールに関しては筆者の推測。2E582年の地点ではブラックマーシュに王政は存在しないが、闇の一党、シャドウスケール、そしてシシス崇拝の文化が健在である。鋼の目のような人物が後に王に即位し、シャドウスケールを専属化したと考えられる。)
タイバー・セプティムはタムリエルの統一を目指し、ブラックマーシュにも2度侵攻を行なった。最終的に帝国はアルゴニアを属州とする条約を2E864年のストロス・ムカイの第一次条約の後に結んだとされている。タイバー・セプティムがタムリエル全土を掌握した翌年の2E897年、第三紀の開始が宣言され第二紀は終わりを迎える。
第三紀
再びシロディール帝国の属州となったアルゴニアは再三流刑地として利用されることとなる。アルゴニア内陸部の開発はその過酷な環境のため全く進められず、帝国は主に海岸沿いを交易ルートとして利用していた。アルゴニアに関する情報を得るため、帝国は代々シロディールやモロウィンドに協力し続けてきたアルゴニアンの部族・アーチェイン族を利用した。
第三紀のアルゴニアに関しては情報が少なく、詳しいことがわかっていない。アトリウス建設委員会のデクマス=スコッティーによると3E396年のアルゴニアの治安は非常に悪く、学校建設を度重なる窃盗のため断念せざるを得なかったことやアルゴニアンの地主が奴隷所有をしており、モロウィンドの奴隷商に農奴の子供を売り渡していることが報告されている。後にスコッティーとアルゴニアンの亡命者のツルキーシス特使、マーラ教会の司祭の助力によってアルゴニアの治安改善の試みが行われる。
同じく3E396年、モロウィンド相手に数年続いたアルネシアン戦争にアルゴニアは敗北し北地方の一部をモロウィンドに割譲する。当時モロウィンドは帝国の属州で本来奴隷所有が禁止されていたが、六大名家は休戦条約に明記された「内務法の尊重」を理由に奴隷所有を続けていた。
3E427年、ケージに収容される農奴たち
3E427年、ネレヴァリンの活躍によりトリビュナルが全員消失する事件が発生。帝国はヴィヴェク達に代わりフラール家のヘルセスをモロウィンドの王として擁立する。ヘルセス王はその後奴隷制廃止を宣言するが、例によって六大名家の一部は奴隷所有をし続けた。
3E433年にオブリビオンの動乱が起こる直前、ヒストの木々は動乱を予言し国外のアルゴニアンにブラックマーシュに集結するよう命令した。ブラックマーシュがオブリビオン動乱にいち早く対処できたのはヒストによる予言・樹液を介したアルゴニアンの強化が行われたためとされている。
シロディール、クヴァチの町に出現したオブリビオンゲート
第四紀
オブリビオン動乱によってシロディール帝国、エルスウェーア、サマーセットが被害を受ける中アルゴニアは動乱にいち早く対処し、最も栄えた時代を迎える。4E5年、レッドマウンテンの噴火によってヴァーデンフェルが壊滅的な被害を受けたことを機にアルゴニアはモロウィンドに対しアセッション戦争を開始する。長年にわたって続いた奴隷制に対する報復が戦争の面目だが、サマーセットから亡命したレサニルによるとサルモールがアン・ジリェールの設立に関わり、開戦を煽ったことが指摘されている。
モロウィンドは突然の開戦に対処できず、一時は廃墟と化したヴィヴェクシティーにまでアン・ジリェールの軍勢が到達した。レドラン家が組織した部隊によりモロウィンドはモーンホールドの奪還に成功するが、スカイリム・帝国へと繋がる西地域一帯は4E201年時点でアルゴニアン達による占領が続いている。(デルヴィン=マロリーが「モロウィンドから仕入れたブツだ。あのアルゴニアン達の警備を掻い潜るのは容易じゃなかった」と発言する)
アン・ジリェール( An-Xileel )の兵士たち
第四紀が始まって以降、アルゴニアでは王政に代わりアン・ジリェールという保守的なアルゴニアンの政党が主導権を握っていた時期がある。王政がアン・ジリェールを積極的に支援していたのか、それとも対立関係にあったのかは定かではない。
4E48年、アン・ジリェールは邪悪な意志を持つヒストの命を受け国内の敵勢力を一掃する作戦を実施する。クラウヴィカス・ヴァイルと契約したアン・ジリェールは浮遊都市・アンブリエルを召喚し、リルモスの住民全員を浮遊都市の原動力とするべく魂石に閉じ込め殺害する。アン・ジリェールの思惑とは裏腹に浮遊都市は制御不能に陥り、ストームホールドとギデオンが壊滅的な被害を受けた。冒険者アナイグ、シロディールの王子・アトレバス=ミード達の活躍により浮遊都市は破壊され、被害の拡大は防がれる。この事件を受けアン・ジリェールはアルゴニアンの間で支持を失い、衰退していったのではないかと推測されている。
アン・ジリェールが召喚した浮遊都市・アンブリエル
4E150年、アルゴニアンの小部隊がソルスセイムの占領を試みる事件が発生。レイブンロックの評議員率いるレドラン家がこれを迎え撃ち、部隊は全滅する。アルゴニアによる侵略なのか、或いは海賊等によるものなのかは不明。
4E175年、シロディール帝国とアルドメリ自治領の間で白金協定が締結される。協定の内容はタロス崇拝の禁止とブレイズの廃止、そしてハンマーフェル南部の割譲である。白金協定以降に書かれた書籍「スカイリムの統治」によるとアルゴニアが王政であること、アルゴニア王は政敵をシャドウスケールを用いて抹殺していることが明記されているが、その後何らかの理由でアルゴニアはシャドウスケールを廃止する。ヴィーザラ含む元シャドウスケール達は闇の一党へ再加入する等の活動を4E201年の時点で続けている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?