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国際紛争に関する研究 #02 最新の民族紛争編

今回は基礎知識編を経て、国際紛争の中でも民族紛争が重要なファクターとなっている具体例へと進んでみることにしました。現代でも大規模な紛争が続いている地域として、ウクライナ・中国と新疆ウイグル自治区・イスラエルとパレスチナの3例に関する紛争について研究しました。

最新の民族事情・ウクライナとロシア

ウクライナとロシアは民族・宗教・言語が比較的近しい国であるが、2014年にロシアがクリミア半島を侵攻、2022年2月以降はウクライナ本土への侵攻を始め以降戦争状態となっている。
ロシアがウクライナ侵攻を始めた理由としては、アメリカ・ヨーロッパの軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)との直接衝突を避けるための緩衝地帯を失うことを避けるためと考えられている。また民族的な事情としてルハンシク・ドネツク、クリミア半島やモルドバのドナウ川西岸にはロシア系住民が多く、彼らの多くは武力による黒海北岸一帯とロシアとの併合を目指しているという事情がある。

最新の民族事情・ウイグル族と中国政府


中国には人口の約95%を占める漢族、そして50以上の少数民族が生活している。しかし中国政府はしばしば少数民族に対して弾圧を行っており、中でもウイグル族は激しい弾圧を受けている。ウイグル族は民族的にはトルコ系のイスラム教徒である。新疆ウイグル自治区では100万人以上が収容上に連行され、拷問や強制労働など深刻な人権侵害を受けているとされる。アメリカ・ヨーロッパ諸国は中国政府を非難し、新疆製製品を禁輸する等の制裁を行なった。

ウイグル族は元々唐王朝と交流していたモンゴル北部の遊牧民だったとされている。ウイグル族が中国に併合され始めたのは清王朝後期の18世紀ごろである。ウイグル族は1944年東トルキスタン共和国を建設するが、1949年に国共内戦が終了すると共産党政府への服従を余儀なくされ解体されてしまう。

中国政府が新疆ウイグル自治区を重視する=同化を進める理由としては、純粋に民族的な事情以上に石炭・石油などの資源の獲得・陸路で旧共産圏と中東を結ぶ一帯一路構想の要衝であるためと考えられている。新疆ウイグル自治区の再独立を阻止するため、中国政府は中国式教育による文化の同化・不妊手術や漢族の移住による人種の同化を推進している。欧米諸国や人権団体は中国政府を民族浄化・ジェノサイドを推進しているとして非難している。

最新の民族事情・イスラエルとユダヤ人・パレスチナ人

①古代ユダヤ人の民族事情

ユダヤ人は元々アラブ人と同じセム系住民だったが、宗教がユダヤ教であったため(この頃のユダヤ教は旧約聖書やトーラーのような成文化されたものではない)中東地方で孤立していた。紀元前13世紀ごろユダヤ人はメソポタミアからエジプトに移るが、そこでエジプト王ファラオによる圧政に苦しめられる。ユダヤ人は伝説上の人物・モーセに率いられて脱出し、紀元前10世紀ごとカナン=パレスチナにヘブライ王国を建てる。これは旧約聖書の「出エジプト」として伝説的な記録が残っている。

ソロモン王の死後、ヘブライ王国はイスラエル王国とユダ王国に分裂し、紀元前8-6世紀ごろに新バビロニア王国によって滅ぼされてしまう(バビロン捕囚)。ローマ王国が台頭するとさらにユダヤ人が迫害され、紀元前200年ごろには大半がカナンから脱出することになる。
世界中に散らばったユダヤ人のグループは大きく3つに分けられ、欧米諸国へ向かったアシュケナジム系、イベリア半島=現スペインに向かったセファルディム系、中東諸国に向かったミズラヒム系があるとされる。バビロン捕囚からエルサレム脱出に至るまでの離散(ディアスポラ)の物語は「失われた10氏族」のような都市伝説にもなっている。

②近代ユダヤ人の民族事情・パレスチナ紛争の根本原因

アシュケナジム系ユダヤ人はヨーロッパで資本制社会が台頭すると金融業などで成功し、ヨーロッパ社会での影響力を強めていった。ロスチャイルド銀行など、アメリカのユダヤ系大手証券会社などが著名な例。
一方、経済的な成功への妬みや宗教の違いからユダヤ人は他民族からしばしば激しい弾圧を受けた。特に凄惨なのがナチスによるホロコーストであり、ナチス支配下の領土では約600万人のユダヤ人が殺害されたとされている。

近代になるとヨーロッパで長らく続いた反ユダヤ人運動やホロコーストを受け、ユダヤ人による国民国家を建設する「シオニズム」という民族自決運動がユダヤ人の間で高まっていく。

パレスチナにイスラエルが建国されるに至るには、3つの複雑な外交事情が絡んでくる。
第一次世界大戦中、イギリスはオスマン帝国と戦うための戦費をヨーロッパのユダヤ系証券会社から調達したとされている。それと引き換えにか、イギリスはパレスチナにユダヤ人国家を建設すること支持する「バルフォア宣言」を表明した。
一方パレスチナ周辺のアラブ人に対してはオスマン帝国への反乱を条件にパレスチナでのアラブ人国家の建設を支持する「フサイン=マクマホン協定」を表明した。
さらにイギリスはフランス・ロシア帝国との間で「パレスチナ・メソポタミアは戦勝終結後イギリス領とする」という密約サイクス・ピコ協定)を結んでいた。
これらの矛盾するイギリスの外交政策がイスラエル・パレスチナ紛争の根本的な原因となってしまった他、ナチスによる民族浄化が激化したことで大量のユダヤ人難民がパレスチナに押しかけパレスチナのユダヤ人・アラブ人との武力衝突が発生し始める。
第二次世界大戦後の1948年、ユダヤ人は国連とアメリカの支援を受けてイスラエルを建国する。その結果としてパレスチナのアラブ人はヨルダン西岸・ガザ地区への移住や国外への追放を余儀なくされる。
イスラエルに対するパレスチナ人・アラブ人の反発は4回(ガザ戦争を含めれば5回)にわたる中東戦争の原因となる。イスラエルはアメリカの支援を取り付けることで中東諸国の軍備を上回り、繰り返された戦争で占領地とパレスチナ人難民を生み出してしまっている。

次回は1つの民族紛争をより掘り下げた研究をして見ようと思います。個人的に関心があるのが、北アイルランド紛争と近年これまでにないほど激化してしまったイスラエル・パレスチナ紛争です。






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