夢科学 #07:フロイトの「夢判断」、#03(下巻を読破)
フロイトの「夢判断」の上巻を読んでいたのですが、無事読み終わりました。
最近見た変な夢
夢の中で好きなキャラクターを不当に逮捕しようとする日本警察の警察官らが現れる、という珍妙な夢を見た。そのキャラクターが心の底から悲しそうな表情をしていたので、私は激情しながら捜査令状は持ってるのか、これは不当逮捕ではないのかといった法律用語を並べ立てて警察官を非難した。その夢の中では憲法で保障された基本的人権とか移動の自由だとか、一般常識もしっかり並べ立てていた。夢の中では直情的で感情・感覚でものを考えることがほとんどなので、思考がしっかりと働いて知識が活かせているというのは珍しい。感情・感覚が夢の中で考えることのベースになる、というのは大体同じ。
この1つ前の夢でも、「臨界状態になった原子炉をゲームのキャラクターと止めようとする」という、理屈っぽさと幼稚さが入り混じった夢を見ている。現実では読書や学習をして思考を主にしなければならないとき、ゲームで細かいことは考えず「考えるな、感じろ」となる状態を切り替えられるが、夢の中では両方が同時に起こることがあるのだろう。
「夢判断」下巻では、夢によって加工される内容や象徴の潜在内容・典型夢の意味などなどが分析される。
夢を見る人の視点・願望
夢が歪んだ願望充足であるという前提から、フロイトは夢の内容はその人本人の心の葛藤や問題が当然関係してくるという。例えば夢に登場する自己がカメラのような存在で他人が1人だけ登場するような夢でも、夢見者本人がその人そのものになりきっていると推測できる。
このような夢では、視点や自我そのものの「移動」が行われていることがある。自分自身の問題が夢の中で他者やなんらかの象徴に移動することを、「同一化」という。
夢においては、圧縮と移動によって知覚対象になりえないようなものが夢の顕在内容となることがある。例えば覚醒中でも、私たちは実際には存在しないケンタウロスや亡霊を心の中で「想像」して絵に描き出したりすることができる。これらの想像の対象が夢の中では実際に生身の存在として現れることを、フロイトは「混合」とよぶ。
夢の内容は、願望そのものが逆転してしまっていることもある。父親コンプレックスのある人の夢に、「夢見者の帰りが遅いので、その人が父親に叱られる」という夢を見る人がいるという。ここでは、その人の願望である「父親が嫌い」という感情は「自分が父親に嫌われる」という「逆転」したものになっている。夢で表現される舞台設定や人物設定は、それを逆転させると潜在内容が見えてくることがある。個人的には、これは願望充足夢そのものではなく単なる反復夢で「内容が逆転している」というのはかなりのこじつけに思える。
地味な夢・明瞭な夢
フロイトによると、夢の中でも最初の夢はより象徴的で地味、逆に最後の夢は大胆かつ明瞭な夢であることが多いという。最近見た夢だと、3つの夢で最初に見た夢は「臨界寸前の原子炉をゲームのキャラクターと止めようとする」という、どこに潜在内容があるかがわからない意味不明な夢となっている。一方最後の夢は「ゾンビから免れて生き残ったことに感謝する」という、生への執着を直情的に描いた夢の顕在内容となっている。最初の夢と最後の夢の内容を比較してみたらこれを統計的仮設検定で証明できるかもしれない。
不安夢・恐怖夢と超自我
夢には体が自由に動かせず、そのために不安夢や恐怖夢になるというシチュエーションが度々現れる。わたしの場合身体そのものが金縛りのように動かないということもあれば牢に閉じ込められる夢、2人の警察官に羽交締め人されるという物理的に拘束される夢を見ることもある。フロイトによると、この身体が動かない・拘束されるというときの気分は不安を抑制しようと意志の葛藤がある状態の象徴だという。これは性欲や幼児願望といったリピドーに対する抑圧が行われるときの超自我による作用であるという。
夢における象徴
夢における象徴について。フロイトが分析する限りでは、夢の中における象徴はそれぞれこのような潜在内容に対応している。
夢における性象徴についての解説
男性の場合、ネクタイをやたら凛色に使う人などは男性器の象徴としてネクタイが出現するケースが多いという。これはネクタイが「だらんと垂れ下がるから」(笑)という連想によるものだという。
女性の場合、男性の性器に対するイメージが夢における男性器の象徴に投影されるという。フロイトの患者で帽子を被った夢を見た女性は、帽子の奇妙な形が夫のアレ(笑)に似ていることに気付いたという。同じケースは男性の女性器に対するイメージにも当てはまるかもしれない。
夢においては、尿意や排泄欲がかなり極端化するという。子供の保母をしてるというフロイト患者の実例だと子供が失禁してできた水溜まりがどんどん広がり、それが大きな川になる。そして川に浮かんだ小舟がボート・ゴンドラ・汽船と巨大化していくという夢がある。小舟はレム睡眠中は性器が充血することがわかっているので、その象徴でもある。
夢においては、階段を降りた先で異性(あるいは同性とも)と性交するという夢を見ることがある。ここでは階段は性行為・性欲の象徴となっている。オーストリアと日本では階段の意味合いが違うのか、私はほとんどこのタイプの夢は見ない。このような階段にまつわる典型夢は「階段夢」と呼称されている。
夢においては、花そのものイメージや花言葉のような内容が象徴として現れることがある。テーブルの中央に花が置かれている夢を見た、という女性の例だと、その花は「鈴蘭、すみれ、石竹、カーネイションなど」Lillies of the valley, violets and pinks or carnationsだったという。鈴蘭は処女性や純潔を、Violetsは強姦を意味する英語Violateを、pinksは生殖器の色を、carnationsは転生・肉体化を表すincarnations=子供が生まれることを連想させる。これら全ては性行為と妊娠に関係しており、性行為の象徴となっている。
夢の中における感情・情動
夢の中における感情・情動について。夢の中ではかなり感情が不安定になるとフロイトは分析している。例えばとんでもないシチュエーションでも納得して冷静を保ったり、あるいはくだらないことで困惑・激怒したりという差が激しい。私の場合夢においては直情的になることが多く、思考よりも先に感情を働かせていることが多いように思える。夢における一見不可解な情動の変化を「情動湧起」と呼ぶ。
フロイトは夢においては情動湧起のみが心的検問所の影響を受けず、潜在内容に対応した情動がそのまま保存されると考える。夢において感じたことと現実の情報でどう考えたかを記録をつけておくと良いかもしれない。(現実日記)
フロイトが見た変な夢
フロイトは父親が死後マジャール人(オーストリアの少数民族)の統一に役立ったという内容の夢を見た。フロイトは生前父親がガリバルディーに似ていると思っていたので、それが実現したことに(夢の中で)満足したという。夢の中では、このような何の脈絡もないことが実は潜在内容と結びついていることが明らかとなったりする。これを「夢の荒唐無稽性」(意味不明性)と呼ぶ。
フロイトは糞まみれになった(笑)ベンチを掃除するという夢を見たのだが、不思議とその様に全く嫌悪感を抱かなかったという。そのベンチはフロイトが治療した婦人が送ってくれたもので、患者からの尊敬の念を象徴する夢象徴であったためだという。ベンチが糞まみれになってしまったのは(笑)その日にお節介な生徒に「先生は誤謬と偏見に満ちあふれたアウギアスの厠を掃除なさった」という下品なお世辞を言われたのが印象に残ったからだという。
フロイトの夢では嫌悪感や劣等感が「厠を掃除した」というイメージから汚物として、そして自己過大評価が患者からプレゼントされたベンチとして表され2つが圧縮されて登場している。このように強い感情が働くものは夢に象徴的に登場しやすく、その上圧縮によって合体してしまうこともある。
フロイトが見た異常な夢の1つに、恩師のブリュッケ教授に腰を解剖されるという夢がある。フロイトによるとこれは精神分析が目指している自己分析のことであり、恩師によって自己分析されるのは寧ろありがたいことだから全く恐怖感を感じなかったという。この夢においては自己分析が潜在内容であり、腰の解剖は顕在内容である。