高校生900人に「差別が生み出すモノ」をテーマに授業をした
会社のCSRを担当する部署から「高校生に出張授業をやって欲しい」との依頼を受けた。全学年の生徒900人。人に会うのは記者の仕事のようなものだが、相手はムズかしい年頃だ。咄嗟に「その日、忙しいんです」という逃げの文句が頭に浮かんだ。しかし最終的には引き受けることにした。一緒に授業をするのは日本唯一の全盲の新聞記者・岩下恭士氏。授業のタイトルは「ニュース報道から学ぶ心のバリアフリー」だった。
私はダメな高校生だった。登校はいつも三時限目から。興味のない授業はサボっていた。自分に学ぶ意欲がなかったから、高校生というのはそんなものだと勝手に思っていた。
東京から「記者」と称する中年おやじが二人やってきて、講釈をたれる。こんな授業は苦痛に違いない。かわいそうな生徒たちだ・・・・。
罪悪感すら覚えながら、東海道線に乗って、神奈川県茅ケ崎市の高校に向かった。
一緒に授業をする毎日新聞の岩下恭士記者は信念の男だ。視覚を失った障害者の立場から「境界のない共生社会」を訴えている。
名物コーナー「記者の目」で、障害者と健常者が同じ舞台で競う「オリパラ統合」の論陣を張った記事を私も読んだことがある。
バニラエアによる「車椅子客の搭乗拒否問題」を取り上げた時には、ハワイで自ら飛行機を操縦し、日本社会のバリアフリーの遅れを指摘した。
軟派ネタも書く。次は、激辛ラーメンの大食いチャレンジをレポートするらしい。
56歳、自ら「目立ちたがり屋」と称する岩下は体育館の壇上から、高校生900人に熱く語り始めた。
人を識別する小型カメラや点字電子手帳、といった全盲記者ならではのハイテク七つ道具を披露しながら共生社会を訴える。
舌鋒は鋭い。相模原障害者施設連続殺傷事件に話が及んだ際には、容疑者の差別思想だけでなく、事件現場となった「障害者を隔離する施設」の存在自体を否定した。
ところが私は障害者やバリアフリー問題に明るくない。25年間の記者人生で専門としてきたのは裏社会。「テロリスト」や「スパイ」「ギャング」といった、どす黒いアングラな世界だ。
教育とは真逆。そもそも私が授業をする資格などまるでないのだ。
だが、私は自分自身と岩下記者との共通点を見いだし、授業を結論に導かねばならない。
そこで「報道特集」で、去年制作した「トランプ大統領を支持した白人至上主義者」のVTRを高校生に見せた。
白人だけの国家樹立し、異人種を排斥すべしと訴える団体のリーダーの話だ。
欧米でこうした危険な人種差別思想が勢いを増していることを話した。
「これは対岸の火事ではない」
こう言うと、最前列の女子生徒が何かに気づいたように顔を上げた。
彼女を見ながら私はこう続けた。
「在日韓国人や中国人の排斥を訴える集団が日本にもいるでしょう。人種差別、民族差別主義者が日本国内でも跋扈している事実を皆さんにも認識して欲しい」
次に、パリの街中でマシンガンを乱射し、爆弾を爆発させたテロリストたちの話をした。
まず私は生徒たちにビニル袋を見せた。中にはナット。自爆ベストに仕込まれていたもので、テロリストの体を木っ端微塵に引き裂いた実物だ。
自らの命と引き替えに大虐殺を引き起こしたテロリストたちは、ベルギーのスラム街に住む北アフリカ系移民の若者だった。
私が取材した米国のストリートギャングたちの話もした。数々の凶悪犯罪に手を染めてきた危険な男たちだ。彼らはハーレムの低所得者住宅で育ったプエルトリコ系移民だった。
テロリストとギャング、いずれも子供の頃から差別と疎外感を味わいながら生きてきた。そして、彼らは憎しみの銃口を白人社会に向けるようになった。
「社会にひかれた境界線」が憎しみや悲劇を生んでいる。マイノリティを区別し、排除しようとするマジョリティこそが加害者だ。
その現実を知って欲しい、という訴えこそが岩下記者と私の共通点だった。
生徒たちが退屈な時間を過ごしたかどうかは分からない。だが、私たちを送り出すときの生徒たちの眼は輝いていた。
中年おやじ記者二人の「熱」だけは記憶にとどめてもらいたい、と思った。
了