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きさらぎ賞と『歎異抄』①朝日杯の絶望馬券から学ぶ
『歎異抄』と親鸞聖人の教え
ボクが学生のころというと、まだ徳川将軍の治世だった気がしますが、そんなわけはない気もします。
それはともかく、このことは高校の古典か倫理の授業で教わったと記憶していますが、かの親鸞聖人のお弟子さんである唯円が書き記したとされる『歎異抄』という本のなかに
「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」
という有名な言葉があります。
現代語訳すると
「善人でさえ救われるのだから、悪人は尚更のことである」
ということになるでしょうか。
なかなかインパクトのある言葉です。
このまま受けとめると昨今、横行する闇バイトを助長することにもなりかねません。
ボクは、とくに信心深いほうではないので正確な解釈は存じませんが、勝手に次のように理解しています。
仏はすべての人を救われる。
罪人であっても気づきを与え、決してお見捨てになることはない。
考えてみれば、週ごとハズレ馬券を積み増すボクも迷える罪人だと言えるでしょう。
だとすれば、親鸞聖人の教えにあるとおり、仏はボクを救ってくださるに違いありません。
きっと、ハズレ馬券の中にも、ありがたい気づきを見出すことができるはずです。
というわけで今一度、過去の愚かな馬券に目を向け、そこから学びを得ようと思うのです。
朝日杯の絶望馬券
何度か記事にしましたが、去年、最も罪深かった馬券は朝日杯フューチュリティステークスのそれです。
そもそも「フューチュリティ」と打つのが困難です。
ボクは三回くらい打ち間違いました。
まず、この恥ずべき絶望馬券を白日の下にさらすことから始めます。
![](https://assets.st-note.com/img/1736222250-ViH7wql5ke6ORpnAgYd1QDo3.png?width=1200)
ワイドの軸にした3番は、ルーキーの吉村誠之助騎手が騎乗したランスオブカオスです。
この馬を軸に選んだ理由については、過去の記事に書きました。
ほかの馬は次の通りです。
8 アルテヴェローチェ 1番人気 5着
10 トータルクラリティ 3番人気 13着
11 ニタモノドウシ 6番人気 9着
12 パンジャタワー 4番人気 12着
軸にしたランスオブカオスは、9番人気ながら3着と健闘し、ボクの推しである吉村誠之助騎手はG1初騎乗という舞台で見事に結果を残しました。
しかし、その相手が問題なのです。
ボクはランスオブカオスから1番人気、3番人気、4番人気、6番人気の馬へ流し、買わなかった2番人気、5番人気にやられるという神がかり的なハズしかたをしたのです。
正直なところ、ランスオブカオスには自信がありました。
その相手に、1番人気を含む、上位人気を4頭も買っているのですから、これは走る前から当たったようなものだと考えていました。
そもそも、この奢りも良くなかったのでしょう。
だいたいボクは、どのレースの馬券を買っても当てる気満々でいる(競馬あるある)のですが、当然そんなわけはなく、実際は5回に1回も当たればいいほうです。
「あれ、この娘はボクに気があるんじゃない?」と思ったら、そうでもなかったというアレ(オジサンあるある)です。
そんなとき、ボクは旅に出て一週間は帰ってきません。
こういう傲慢さが良くないわけですが、精神の話は僧侶の領域なので、ここでは馬券上の問題点を考えます。
相手をどう選んだのかという点ですが、ボクが考えていた軸馬の候補はランスオブカオスとアドマイヤズームの2頭だったのです。
ところが、最終的にランスオブカオスを軸に選んだため、アドマイヤズームを切り捨ててしまいます。
これはこれで理由があることなので仕方ありません。
ボクは「穴馬2頭の馬券(あるいは2頭を軸にした馬券)を買わない」というポリシーを持っています。
選んだ穴馬が2頭とも同時に馬券に絡む確率は決して高くないからです。
次に、過去のレース結果を眺めてみると、ほとんどの年で2歳重賞を勝った馬が馬券に絡んでいることを見つけました。
「面倒くさいから、それでいいや」と考えたボクは、この条件に当てはまる4頭を相手に選びますが、これらの馬は揃って惨敗し、レース後には、くだんの絶望馬券だけが残されたというわけです。
このレースは、単純に上位人気を選べば良かったのかも知れません。
しかし、先月の中山金杯は、アルナシームから人気馬に流して失敗しています。
どう買おうと、仏はいつもボクの愚かな行いを見ていらっしゃるのですね。
考えることをやめ、安易に何かに頼り、テキトーに買った馬券に救いはないということです。
迷うことなく、きさらぎ賞を買う
『歎異抄』には、こんな言葉もあります。
「念仏者は無碍の一道なり」
「無碍」とは「妨げるものがない」という意味で
「念仏する者は、何ものにも妨げられることのない、ひとすじの大道を歩むのだ」とでも訳しましょうか。
ボクたちは毎週のように馬券をハズし「いつ当たるのだろう」という苦悩を背負って日々を過ごしています。
ときには永遠とも思えるほどの苦悩です。
そして、そこから逃れたいがために「何だか怪しいな」と分かってはいても、大して根拠のない話に寄りすがってしまいます。
過去の勝ち馬がこうだったからとか、あの Youtuber の逆張りをしてみたらとか、そんなことで馬券が当たるほど、仏の道は甘くありません。
結局、自分自身の迷いこそが「碍」であったということですね。
親鸞聖人の言葉にあるように、ボクたちは迷うことなく競馬の大道を歩まねばならないのです。
「適当な馬に流すくらいなら複勝を買っておけ」
そんな仏のお告げを聞いたような気がします。
これじゃない感がすごいのですが、とにかくボクはこのことを実践してみるつもりです。
今週のきさらぎ賞に、そのランスオブカオスが出走します。
もちろん、ボクはこの馬から買うつもりですが、相手をテキトーに決めるつもりはありません。
時間の許す限り、深く考え、決めたからには迷うことなく馬券を買うでしょう。
この週末はスキーに行く予定なのですが、親鸞聖人も立ち寄ったとされる善光寺のある信濃の国で、ボクは改心して「悟り馬券」を手にするつもりでいます。