ミニデーモン化していく勇者アルスについて


ロトの紋章第二話
アルスたちが平和に暮らす仙人の里に
ミニデーモンとボストロール(ずっと普通のトロルだと思っていたがカラーの絵が緑色だった)が強襲にくる話。
私はこのお話が妙に心に残っている。そしてこの漫画を象徴するようなお話になっていると思うのだ。


仙人の里の結界を破るために、ミニデーモンはボストロールをだまし、彼の命と引き換えに結界を破らせる。

しかし、ミニデーモンにとって彼は命の恩人であり親友であった。ミニデーモンは後悔の念に駆られながらアルスに挑むのである。


そして自分が失ったものがいかに尊いものであったかを思い知り絶命する。


なぜか私は昔からこのエピソードが好きだった。

ああ、、このミニデーモンには良い心があったのに、かれにあった良心が誰にも知られることもなく死んじゃって可哀想、、、みたいに思っていた。

自らの罪の重大さを誤魔化したまま勇者に挑み、最後罰を受け悔い改める、、

とても人間臭いミニデーモンなのだ、、

そんなミニデーモンにめちゃ同情してしまうこのお話、もっとルナフレアを絡ませてもよかったと思うが、この漫画における象徴的な回だと思う。


「目的のために仲間を犠牲にしてもいいのか?」


という問いがこの回にはあると思うのだが、実この漫画の最後にアルスが行き着く先は、このミニデーモンと同じ結末なのである。

しかも、ミニデーモンよりももっと酷い結末である。それは仲間の犠牲により目的を果たした結果、悲しみと憤りを抱えて「生き続けなければいけない勇者」という結末だ。

なんと残酷なことなのでしょう。
世界の平和を実現した先に待っているのはこれなのです。

私には最後のアルスの背中からそういうものを感じるのです。この漫画はなんかその辺を誤魔化しているが、めちゃアルスのミニデーモン化を感じる。

おいおい、勇者はそうであっていいのか?

イエス・キリストは人類を救うために十字架にかかり、復活した。

神である存在が人間になり人間として生きることの苦しみを受け、全ての人の罪を引き受けてくれるのである。

そして復活することによって救いの道を示すのだが、言っちゃえばミニデーモンみたいなやつを救うためにイエスは地上に来た神なのだ。

アルスはミニデーモンみたいな人間と同じ苦しみを味わい、救うために地上に現れた勇者ということなのだろうか?


もしかすると、それを描こうとした?と解釈できなくもないが、アルスは復活した後にそうなるのである。

生き返って、さらに苦しみを味わい続けるというのはなんか違う気がする。

自らのミニデーモン化を防ぐために、最終盤でパーティ解散の決断をしたと読めなくもないが、アルスのために犠牲になった人たちは全員生き返ったわけではない。

その結果ミニデーモンよりも辛い現実が待ち受けているとおもうのだ。

この漫画は聖書をベースにしているが、ボタンのかけ違いが起こっちゃったなぁとミニデーモン化していく勇者を見て思うのでした。

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