意外とドラゴンボールはキリストを描いている件について
究極のヒーローは死んで復活して、そして人々に命を与えなければならない。
そう、イエス・キリストのように、、
と考えた時、ドラゴンボールの悟空もキリストぽいなと思った。
ドラゴンボールは反キリスト的な内容であると言われていたりするようだが、私は福音の要素を見出した。
悟空は全てのつえーやつにワクワクしておられるだけではなく、
悟空は人類の弱さの罪のために死んで復活する話なんだというふうに、ドラゴンボールを解釈できるのではないだろうか?
とくにフリーザ編は、死んで復活した悟空が、死んでいった仲間に新たな命を与えるために、ナメック星でサイヤ人の伝説にあるメシア(スーパーサイヤ人)になり人々を救うわけだが、悟空を信じた罪人のベジータも新たな命を得たことを考えると興味深い。
そう、、ベジータは死ぬ間際に、伝説のスーパーサイヤ人はカカロットであることを信じた、、、
まさに信仰による恵みでベジータは蘇ったと言える。まさにこの言葉が当てはまるではないか!!
作り手は全くそのことを意図していなかっただろうが、結果的にそうなっている。
フリーザ編が奇跡的な面白さなのも頷ける(笑)
サイヤ人もどこかユダヤ人ぽい気もする、だって彼らはフリーザによってバビロン捕囚のような目にあっているからだ。そんな散々な目に遭いながらもプライドだけは高いのも似ている気がする。
そんな彼らが願ってやまないスーパーサイヤ人というメシアが、サイヤ人どころか全宇宙の民を救うというのもキリストっぽいではないか。
なのでイエス・キリストをわかりやすく子供に説明するときには、彼は伝説のスーパーユダヤ人なんですと伝えると面白いかもしれない(笑)
そして悟空は人類の罪のためにズタボロになり、悟空がズタボロになるほどに戦ってくれるから人類は救われるのだと思うと、さらなる感動を得られるのではないだろうか?
おお、、悟空がズタボロになることにグッとくるのはやはり福音のメカニズムが組み込まれているからなのかもしれない。
生き返るなんてジャンプにありがちなご都合主義的な幼稚な展開と言い捨ててしまうのは簡単だ、
しかし死んで生き返るお話って人々の心を掴む強力なパワーを秘めているなとつくづく思う。
このことについて聖書の福音から取り入れているのかもしれないと考えるとジャンプメソッドは侮れない、、
ドラゴンボールがあそこまでヒットした理由には、実はイエス・キリストを描いていたからかもしれませんね。
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