人に依存するということ
皆様、今日もお疲れ様です。
今回は、【人に依存するということ】について考えていこうと思っています。
入浴中、水の音だけの空間で、良く色んな物事について考えてしまうものです。
今日の入浴では、依存について考えていました。
実際、私自身も過去の恋人や友達に依存をした経験がありました。
四六時中、その方を考えてしまうのですね。言えば、その方中心の生活をしてしまうのです。
何をしていてもその方ばかり考えてしまう日々が続き、やがて、その方が居なかった日々の感覚を忘れ、その方が居なくなった将来を想像つかなくなり、依存と気が付くのです。
物に依存をする場合、例えばタバコやアルコールの嗜好品ですと、依存性のある物質や、その物におけるドーパミンの分泌量が注目されます。
原因がその物にある事が明確に分かっています。
では、人に依存する場合はどうなるのでしょうか。
上の事を踏まえて考えると、その方と関わることでドーパミンが過剰に分泌されて、やがて依存になる。ということになります。
恋人間や友人の間で起きる、人との触れ合いのスキンシップ であれば説明はつきます。ですが、文面上のやり取りだけでも依存となる事がありうるのです。
ではなぜなのでしょうか。どこでドーパミンが分泌されるのでしょうか。
心の支えになると依存になりやすいと考えます。
求めた答えが返ってくる、それ以上の答えが返ってくると、どこか心が満たされドーパミンが出るのではと私は感じます。
毎日なにか褒めてくれる。
毎日話を聞いてくれる。
自分を受け入れて理解しようとしてくれている。
時には間違いを正してくれる。
自分が話したい時に相手からの返事が早い。
いくつかの条件を満たされていくと、やがて依存になりうるのだと思います。
こころのよりどころ、居場所になる事で離れられなくなるのですね。
心が一度満たされてしまうと、その心はそこが基準となり、下回ると求めてしまうようになる。
知らなかった頃には二度と戻ることが出来ないのでしょう。
そして依存先を失うと次の依存先を探してしまう。
こうして依存体質が出来てしまうのだと考えます。
依存するということは善なのでしょうか。それとも悪なのでしょうか。
仕方の無いことなのでしょうか。
皆様はどう考えますか?
それではまた次回。