
『最後の日記、ウサギの夢』
■2019年8月3日 茨城県つくば市にて
私は今日、長い眠りにつく。たぶん永遠の眠り。
だから、これは最後の日記になると思う。
不治の病に侵されて、治療法が発見されるまで人工冬眠して待つっていう、ドラマとか漫画でよく見るアレ。まさか自分がそんな事になるなんて思ってもいなかったけど、でも、私にとっては好都合。
私をいじめないと自分の居場所を作れないあの子も、綺麗事ばかりで助けてくれないあの教師も、優しいふりして厄介者の私を凍らせる事しか考えてない両親とも、永遠にさよならできるんだから。
誰も私を必要としていないし、私を大切に想ってくれる人なんていない。そんな世界とお別れできるなら、もうこのまま永遠に起きなくたって構わないって思う。なんなら、そのまま人類なんて滅びちゃったっていい。
でも、せめて寝てる間に夢くらいは見れたらいいな。
白馬の王子様が迎えに来て、私を抱きしめてくれる夢。
乙女チックで馬鹿げた夢だとは思うけど、夢なんだから異論は認めない。
■2099年8月31日 キリバス共和国タラワ島にて
雪に沈みつつあるキリバス共和国タラワ島。
そこにある研究施設で、俺はこれを書いている。
おそらく、これは人類最後の日記になるだろう。
今、外は5メートル先も見えない猛吹雪だ。頑丈なネオセラミック製のこの建物でさえギシギシと音を立てて軋んでいる。
さて、まずは現在の状況を説明しておかなくてはなるまい。
結論から言うと、人類は滅亡した。
いや、正確には滅亡寸前だ。おそらく生き残ってるのは俺だけだ。
俺が死ねば、晴れて人類は滅亡という事になる。
「晴れて」なんて言葉は、書いていてなんだかとても滑稽に感じる。
もうかれこれ10年以上も、空が晴れたことなんて無いのだ。
■2099年9月22日 キリバス共和国タラワ島にて
人類が滅びた原因について、一応少し書いておこう。
2059年から始まった太陽活動の急激な低下。そして、地軸の歪みによって世界中で火山活動が活発化、噴出された火山灰が空を覆い、さらに気温の低下は加速した。
原因が1つだけなら、人類には対処する余裕があっただろう。だが、2つの原因が重なった結果、予想を遥かに上回る速度で気温は低下し、あらゆる対策は後手に回った。
さらに、生活の場を失い南下する大規模難民と受け入れを渋る国々との小競合いは、やがて世界規模の移民紛争に発展していった。
わずかに可能性の残っていたいくつかの人類延命策。その最後の細い糸も戦争によって断ち切られ、そして人類の滅亡は確定したのだ。
不幸中の幸いは、赤道直下でありながら面積が小さい群島国家のキリバスに限っては、移民戦争に巻き込まれることもなく、俺たち科学者グループは、最後までそれぞれの研究に没頭することができたという事くらいだろう。
■2099年10月26日 キリバス共和国タラワ島にて
子供の頃の夢を見た。冴子ばーちゃんと夏休みの自由研究をやった時の夢だ。
80歳を超えてなお子供の様に無邪気で好奇心旺盛なばーちゃんと俺は、祖母と孫というよりは仲のいい友達みたいに、いつもはしゃぎあっていた。
現役時代は天才科学者だったというばーちゃんとの自由研究は、そのまま学会に発表してもおかしくないような内容で、毎年、学校の先生をうならせていたものだ。
気がつけば俺は大学で、ばーちゃんと同じ生機学を専攻し、彼女の研究を引き継いでいた。俺はどうやら根っからのおばあちゃん子だったようだ。
そのかいあって俺は、極低温下での生体活動を可能にするナノマシン薬を作り出す事に成功した。試験体である俺が今生きているのが、何よりの証拠だ。
しかし、全ては遅すぎた。
すでに、インターネット網はダウンし、全ての交通機関は断絶状態。寒さに弱いキリバス人たちはすでに果て、科学者仲間で生き残っていたのも、俺以外にはアメリカ人の科学者ジェシーだけだった。
結局、俺が全てを懸けて発明したナノマシン薬は、世界を救うことはできなかったのだ。
■2099年11月22日 キリバス共和国クリスマス島にて
なんだか、日記というより月報みたいになっているが、どうせつっこむ人もいないので、まあ別にいいだろう。
俺は今、雪上モービル『ラビット』に乗って、同じキリバス共和国のクリスマス島に来ている。海面が凍ってるとはいえ、天候は常にハリケーン並の猛吹雪だ。ラビットで無ければとてもじゃないが来れなかっただろう。
この島に来た目的は、JAXAのダウンレンジ局(※)だ。ここの通信施設を利用して、各国の気象衛星やスパイ衛星をハッキングすれば、解析プログラムを組んで1ヶ月程で地球全域に生体スキャンをかける事が可能だ。
何にしても、まずは地球上に他の生存者がいないか調べる必要があると思ったのだ。
氷の下から掘り出したばかりのマグロを1匹持ってきた。寿司バーのマグロ寿司からは想像できないほど、マグロはデカい。これなら、スキャンが完了するまでの間、ここで十分暮らせそうだ。
※日本の宇宙航空研究開発機構がロケットの追尾、飛行中のデータ取得を行う際に、射点から見えなくなった以降の追尾やデータ取得の為にクリスマス島に設置した地上局。
■2099年12月1日 キリバス共和国クリスマス島にて
生体スキャンは順調に進んでいるが、結果が出るのはまだ先だ。
待っている間、少しジェシーの事を書いておこう。
機械工学者ジェシーの最後の作品となる雪上モービル『ラビット』は、その可愛らしい名前からは想像できないほど高性能だ。スキー板による滑走移動に車輪走行、変形しての歩行移動。砕氷アームで氷を掘る姿は、あたかもウサギがニンジンを掘り出している様にも見える。性能と可愛さを兼ね備えたそんなラビットは、まさにジェシーの化身だ。
ジェシーは、卓越した才能の持ち主だったが、同時にとても素敵な女性でもあった。いつもその明るさで周囲を元気付け、気を抜けばいつでも絶望に沈みそうになる俺の心も、何度救われたか分からない。
ナノマシン薬が完成した時、俺は何度もジェシーに投薬を提案したが、その度に彼女はなんとも言えない悲しげな笑顔で断った。
「私は運命を受け入れるけれど、あなたには何か別の運命がある気がするの。ラビットは、愛するあなたの為に作ったのよ? 知らなかったでしょ?」
それが彼女の最後の言葉だった。
俺は、彼女の言葉にどう答えていいか分からなかった。
愛してると言われても、俺には愛というものの定義が分からない。
だが、それでも、彼女の亡骸を氷に埋め、墓標に彼女の名前を刻みながら、俺はいつまでも涙が溢れて止まらなかった事だけは覚えている。
■2099年12月25日 キリバス共和国クリスマス島にて
今日は、クリスマスだ。
クリスマス島でクリスマスなんて、なんだかちょっとオシャレではないか。俺は、大事にとっておいた中トロの刺身で、一人で贅沢なクリスマス気分を満喫している。
…というのは大嘘だ。
本音を言えば、死ぬ程の孤独感を味わっている。この孤独感は、「クリスマスなのに恋人がいなくて寂しい。」なんていうレベルでは無い。
1ヶ月かけて地球全体にスキャンをかけた結果、生体発見数は「1」。
つまり、俺が最後の一人だという事が科学的に実証されたわけだ。
■2099年12月31日 キリバス共和国クリスマス島にて
世界で一人だけになってしまった孤独感。
それは、日を追うごとにじわじわと深くなる。
死を選んだジェシーの選択は正しかったのかもしれない。この絶望的な孤独感は、ずっと息を止めているかのような苦しさだ。
困った事があっても、相談する相手もいない。
嬉しい事があっても、伝える相手がいない。
たわいの無い、どうでもいい話でいい。誰かと話がしたい。
馬が合わない奴だっていい、イヤな奴だったっていい。
他の誰かがいる世界とは、なんとかけがえのない素晴らしい世界だったのか。
『大事なものは失ってはじめて気づく』という言葉があったが、それを実感するにはあまりにも手遅れだった。
そろそろ、俺もジェシーの待っている天国に行こう。
行き先が天国とは限らないが、それでもここよりはマシだ。
だが、最後にもう一度だけ、地球全域にスキャンをかけてみるつもりだ。
ジェシーは、俺には俺の運命があると言った。それが何かは分からないが、最後にもう一回だけあがいてみたいのだ。
だが、何も無い所から人間がいきなり沸いて出る事は無い。おそらく、同じ結果しか出ないだろう。
■2100年1月1日 茨城県つくば市にて
起きた。と言うか、起こされた?
ちょっと寝て起きただけって感じなのに、なんだか体がだるい。
それに誰もいない。研究所の人もいない。
機械が壊れて、フタが開いちゃったのかな? 横の画面で「2100/1/1」って文字が赤く点滅してるから、たぶん今日は2100年の1月1日。私、80年も眠ってたみたい。
建物の中は寒いけど、一応電気もついてるし、保存食もいっぱいある。外はすごい雪が降ってて出れないみたい。
みんな死んじゃったのかな?
私が滅んじゃえばいいと思ったせいかな?
でも、もうイヤな人たちはいないんだ。
これって、私だけの世界だ!
なんだかすごくいい気分!
■2100年1月27日 キリバス共和国クリスマス島にて
信じられない事が起こった。
2回目のスキャン結果は、生体発見数「2」。
そう、俺以外にもう一人生きてるって事だ!
もしかすると、解析プログラムのバグかもしれない。
あるいは、冬眠してたクマかもしれない。
いや、クマでもいい!
この際、何者だろうと、生きていてくれるだけで嬉しいのだ!
それだけでもう、愛しくてたまらない。
とにかく場所の特定を急ぐ。
■2100年1月31日 茨城県つくば市にて
ウソだった。
前に書いた事はウソだった。
ウソっていうか、私がバカだった。
一人だと何も楽しくない。
保存食もおいしくない。
おいしいお寿司とか食べたい。
贅沢言えば、大トロがいいな。
って、そんなの絶対無理って分かってる。
それ考えると涙が出る。
もう二度とおいしいものも食べられないし、
もういい事も悪い事も何も無いんだ。
一人ぼっちがこんなに苦しいなんて知らなかった。
誰か助けて。
■2100年2月2日 キリバス共和国クリスマス島にて
場所が特定できた。
日本の茨城県つくば市だ!
つくば市と言えば、ばーちゃんが現役時代に通っていた研究学園都市だ。
確かにそこなら、なんらかの技術で人間が生き残っている可能性は十分考えられる。
ゆっくりしてはいられない。
ラビットの燃料を満タンにしても片道分にしかならないが、2週間程で行けるはずだ。
掘りたての冷凍マグロも積んでいこう。
待っている彼女の為に、大トロの部分は残しておこう。
ああ、彼女とは限らないな。これは俺の希望的願望だ。
その方がテンションが上がる。
ばーちゃんから教わった雪の歌でも歌いながら行くとしよう。
さあ、待っててくれよ!
愛しの誰かさん!
■2100年2月14日 茨城県つくば市にて
変な夢を見た。恥ずかしくて誰にも言えないような夢だけど、どうせ誰も読まない日記だから書いちゃう。
それは、雪の中を大きなウサギが走ってくる夢。
しかも、ウサギの背中には、魚を背負ったおじさんが乗ってるの。
書いてて自分でも笑っちゃう。
私が見たかった夢は、白馬に乗った王子様だったのに、ウサギに乗って魚を背負ったおじさんってどういう事なの?
そのおじさん、全然イケメンじゃないけど、でも、なんだかとっても嬉しそうな顔してた。しかも、「雪やこんこ」のロックバージョンみたいな歌を歌いながら、こっちに向かってくるの。それがなんだか、すごくおかしくって、私、夢の中で涙流して大笑いしてた。
だからね。そんなおじさんが本当に現れたら、たぶん私、ちょっと不本意だけど、抱きついて泣いちゃうかも。
本当は、今日死のうと思ってたけど、今はちょっと奇跡を信じたい気分。
だってほら、なんか遠くから聞こえてくるような気がするもん。
ゆ~きやこんこ yeah♪
あられやこんこ yeah♪
ってね。幻聴かな?
<完>
※表紙絵は、フォトギャラリーからもものたねさんのイラストを使用させていただきました。→https://note.mu/momonotane
※この作品は以前、モノカキ★プロジェクトの季刊マガジン「水銀灯」に投稿させてもらったものです。
※投げ銭は「サポート」からしてもらえると、にゃろ族一同とても喜びます!w(’~^)ゝ
いいなと思ったら応援しよう!
