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父さんの世界
1年間控えていた実家帰りを2020年の最後に決行した。
短時間でいい。行かなくては。
今行かなかったら一生後悔する。
#息子への威厳
東京の患者発生数が1,000人にも迫っていた12月29日の朝、
出発の直前まで中止すべきか悩み続けたが、
やはり全く行かないという選択や先延ばしは選べなかった。
更に遡ること1年、2019年12月上旬、父さんから電話がきた。
「久しぶりにととや、行かないか」
ととやは父さんが長年大切に足を運んだ“とっておき”の割烹だ。
息子が就職を決めた時に差しで。
息子の妻になる人と仲良くなろうとしてくれた時に三人で。
そんなちょっと誇らしくて、息子への格好もつきつつ、
でも堅苦しくしたくない時に選ぶ馴染みの店、それがととやだ。
裏を返せば、何もない時の飲み会には使わない。
差し飲み日の直前にこっそりと母から、
「最近のパパは少し歩くのが困難だから、お願いね」
と連絡があった通り、ととや前の横断歩道に現れた父は、
クロスカントリー選手のように両手に杖を持って信号を待っていた。
とても大柄なはずの父が、
他の人と同じくらいの背丈であることに不思議な違和感を覚えた。
ただ、そんな違和感は錯覚であったと、
カウンター越しの大将と楽しげに語る姿は、いつも通りの父を保っていた。
一つ思い出せないのは、なぜその時にととやで会ったのか。
お祝いも報告も相談もあった記憶がない。
今思えば、何か威厳のようなものを示したかったのかもしれない。
例えば「まだまだ俺は元気だ」とでもいう意地のような。
父はパーキンソン病を患ってから数年が経つ。
#父さんの世界
2020年12月初旬、困り果てた母から電話がきた。
父に代わってもらうと「ママが家に帰らせてくれない」と言う。
その電話は実家の電話番号だった。
数日後、父から電話で、
「この間は何か変なこと言ってすまなかったな 笑」
といつもの口調でお詫びがきたが、安心したのも束の間、
懐疑心なく今はどこにいるのか尋ねると、かつての職場の地名を言った。
その後も不思議な電話は度々掛かってくるようになり、
父はいつも、どこか他の場所に居るようだった。
そしていつも、家に帰らなくてはならないと時間に急かされていた。
父さんには父さんの世界があるようだ。
それは僕の空間とは認識が異なるらしかった。
お互いの世界が完全な別物になる前に、父さんに触れたいと思った。
#家長の責任
2020年12月29日、6時間ほどの帰省中、大半を父は居眠りで過ごしたが、
時々起きては「せっかく◯◯が来てるんだから」と名前を言ってくれた。
父は、夕方になると「そろそろ家に帰るぞ」と言い出した。
母に聞くと、毎日そのくらいの時間になると家に帰りたがるそうだ。
そんな父を引き止めるのは大変で、母はとても疲れていた。
「いっつもママが帰らせてくれないんだ、お前からも言ってくれ」
父が言うには、今は違う場所に居て、
家族がこんな時間になっても帰ろうとしないことが不思議らしい。
一人であれ、家族と一緒であれ、
夜は家という、謂わば安全地帯へ行かなければならないようで、
それは父なりの責任感とか、家族を守りたい気持ちの表れだとわかった。
自分なりの正論に周りの皆が異議を唱えるのは、さぞつらいものだろうな。
#安全な我が家
帰りしな、玄関で靴を履いていると、父が送りに出てきた。
今までの帰省と同じように、「またな、近い内にととやでも行こう」と言われ、
グローブみたいな手を差し出してきた。
僕はその手を両手で取って、今までの帰省よりも長い時間、しっかりと握った。
電車の車窓に流れる街の灯りを眺めていると、妹からLINEが届いた。
父は、今日来たのが僕であることを、もう忘れているらしかった。
それを読んだ時、「父さんが早く家に帰れて、安心できるといいな」と思った。