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人は意外と繊細。 想ったことは相手に伝わっているし、嘘をついたら相手も自分も傷がつく。

三つ子の魂百までというように、人の性格や価値観は幼児期に形成されやすい。今回はそんな幼児期に関わる先生(園長先生)のお話です。

町田のとある幼稚園で園長先生を務める間中美穂さん、障がいを持つお子さんも健常なお子さんも、大人も動物も全ての生きものが愛おしいという。分け隔てなく相手を受け入れ、愛おしいと思えるようになったきっかけや、間中さんの想いの根元などお伺いしてきました。

(実はこの方、1回目にインタビューした金城さんが本をお勧めしたことがある方の例に出てきた方で、金城さんにとって大事な戦友みたいなお友達。金城さんづてにお話をお伺いし、ぜひお話しお伺いしたいとお繋ぎしてもらいました。金城さんありがとうございます。)


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生きてるいるもの全てが好き、
それは人を豊かにするから。

──間中さんは小さい頃から幼稚園の先生になりたいと思っていたんですか?

間中:小学校の卒業文集で保育園の先生になりたいって書いてました。多分それは母が土日も働いていたので近所の子とよく遊んでいたのもあるかな。たまたま周りに小さい子がたくさんいて、私が一番年上だったので、お姉さん的な役割でいろんな子を連れて遊ぶっていうのが楽しかったですね。

私、器用じゃないので細かい作業とか苦手で、唯一できることは自分が笑顔でいることかな。(笑)
誰かといる時が一番自分の中で自分であるっていうのかな、楽しくて自然と笑顔になります。でも、楽しいってワクワクとかハッピーだけじゃなくて、怒ったり、悩んだりすることも含んでいて、その人らしく喜怒哀楽を出せる存在でありたいかな。で、そういう時間を分かちあえるってことが好きなんだと思います。

あと、人以外でも動物も好きだし、本や音楽も好き。人を豊かにするものも好きなのかなって思います。普通に咲いてる花とか虫とかそういうのも子どもの心を豊かにしているんです。笑わない子が花を見て笑ったり、虫だったら友達っていう子もいっぱいます。そう思うと、生きているもの全てが好きなんだよね。

──生きているもの全てが好き。そう思うようなったきっかけは何かあるんですか?

間中:自分が母親になって子育てにすごく悩んだ時期がありました。それまでは“優秀”っていう言葉が好きで、よくできることって努力の賜物だと思っていたんですけど、努力してもどうにもならない事があるって気づいたんです。例えば元々視力がいいとか悪いとか、声が大きく出るとかあまり出ないとか、人が生まれ持った遺伝子や感受性の強さとか人格っていう部分かな……

自分の努力では変えられないことがあるって気づいた時、ちょうどご縁がありダウン症のお子さんを専属で見てもらえないかって話をいただきました。その時私は周りの人たちに助けられたり、安心できる拠り所があるってことが生きていく上で大事だっていうことを実感していたので、自分が受け取った分今度は逆に私に何かできることがあったらと思い、即答で二つ返事でお受けしました。

ダウン症のお子さんと初めて会った時、出会った瞬間に私は無条件になんて可愛いいんだと思いました。最初は歩くことも食事をすることも難しかったし、言葉も話せない状態だったけど、そんなことは全く気にならなかったんです。そのお子さん専属で従事する中でこちらが愛情を示すと次第に安心して言葉を発したり、コミュニケーションが取れるようになったり、歩き始めたり、どんどんお子さんが変わっていきました。お子さんが変わっていくとお母様も一緒に変わっていくんです。徐々にお子さんを社会に出そうとしていくようになるのをみて、安心できる場所や信頼できる人がいるとこんなにも人に勇気を与えるんだって実感しました。

ハンデを持ったお子さんっていうのは育てるのが正直難しいし一筋縄ではいかないし時間もかかります。けれどもその子を授かって生まれてきたことに意味があるって私は思うので、どんな子どももどんな親も幸せになって欲しいと願っています。


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心で想っていることは空気に漏れ出る。
特別扱いするのではなく共に補い合っていけばいい。

──ハンデを持ったお子さんと接するときに気を付けていることはありますか?

間中:受け入れ側の先生方の声掛けや気持ちの持ち方はすごく重要ですね。そのお子さんがきている日は大変な1日になるなって少しでも思ってしまえば言葉や表情に漏れ出てしまう。でも、どんな子でも大切で、そのお子さんがいることでみんなが助け合うことができるようになると思っていると、クラスの雰囲気が自然と柔らかくなります。だから命に優劣つけちゃいけないと思うし、人って必要とされる時輝くんだなって思うんです。子どもでもそう、助ける人助けられる人というよりは、みんな共に生きていると思います。

ハンデを持った子どもはいろんな子ども達と関わる中で、経験としては負けることが多いかもしれないし、同じように走れなくて劣等感を抱えるかもしれない。その中で助けてくれる人がいたり、どうしてもできなくて困ることがあるっていうそんな自分を経験することも必要だと思うんです。
普通が上でちょっとハンデがあるっていうのが下ということではなく、命あるものはみな助け合ってほしいです。

そうそう、ダウン症の療育研究会の中ですごく大事にされている言葉があってイギリスなどでは障がいを持っている子どもたちのことを「必要な援助を受ける子どもたち」という表現をしているそうです。

──「必要」という表現になると、ベースはみんな同じという感覚になりますね。

間中:なんでもそうだけど、見たことないことや知らないことってすごく不安になるんですよね。でもちょっと見たことあるもの、関わったことがあることは壁が低くなる感じと同じで、幼児の時にいろんな人たちに接していることはすごく大事なことだと私は思っています。大きく捉えれば貧困だったり言葉や国籍が違ったり、両親が揃っていなかったりとか、いろんな違いってありますよね。いろんな人で世の中なりたっているので、みんな補い合って生きていけばいいんじゃないかなって思います。

後編につづく



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〈プロフィール〉
間中 美穂
幼稚園教諭、保育士、心療カウンセラー、ダウン症療育研究員

小さい頃近所の子どもたちを連れて遊んだ経験などから保育士を目指す。大学卒業後、幼児教育、医療ケア児の経験を得て現在は町田の某幼稚園の園長先生を務める。趣味はヨガ、読書、アルトサックス。



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